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綿矢りささん短編集「嫌いなら呼ぶなよ」インタビュー 「自分を責める」から自由に生きると

綿矢りささん

 SNSにコロナ禍、私たちの快不快は時代とともに絶えず変化している。綿矢りささんの『嫌いなら呼ぶなよ』(河出書房新社)は、ポップな文体で人間の欲望に迫っていく短編集。癖の強い主人公たちは同調圧力から身をかわし、欲望のままにしたたかに、現代社会をサバイブしている。

 承認欲求が強すぎてインスタでも職場でも他人から浮いてしまっている「眼帯のミニーマウス」など4編を収録。書き下ろしの「老(ロウ)は害(ガイ)で若(ジャク)も輩(ヤカラ)」は小説家の綿矢と彼女を取材したライターのメールによる丁寧な罵倒の応酬が恐ろしくも楽しい。

 表題作は、妻の友人宅での地獄のようなホームパーティーのひと幕。「僕」は風采が良く、デートはスマート、社交もそつなくこなす。しかし愛しているのは妻だけではない。「不倫してるんだってね」。証拠写真を突きつけられるが、彼女たちの非難の声は「僕」の心に響かない。

 「口では悪いと言いながら根本では反省のない人を書きたかった。自分に刃(やいば)が向くようなことが起きるとぼんやりしちゃう主人公に、私もこうやって生きられたらいいなと思います」

 テレビで謝罪会見を見て興味をひかれるのは、非難する側ではなく、される側。「たたく方には理由があるし、その正義感はわかりやすい。一方で、反省の見えない人は、視線が遠くにあるようで不思議でした。自分が責められているという実感がなくて、焦点が遠くなっていくのかなと書きながら思いました」

 2001年に文芸賞を受けたデビュー作『インストール』や、04年に最年少で芥川賞を受けた『蹴りたい背中』では、主人公の女子高校生が自罰的だった。「善悪に厳しく、自分にも厳しい主人公でした。私自身も自分に刃を向けるタイプでしたが、年をとってだんだんそれがなくなってきましたね。自分を責めるのが文学だと思っていたときの方が生きづらかったな」

 デビューから21年。華やかなスタートに見えて、芥川賞受賞後の数年は苦しんだ。「文章を書くことに緊張して書けなくなった。自分の感じたことが特別だとも思えなくて。ほかの人と同じことを考えていてもいいと思えたときに、小説が書きやすくなりました」

 執筆を始めるときの、小説への向き合い方が変わったという。「原石は素朴でいい。そこに手を加えて加工していくことで個性が出る。加工を途中でとめると共感してもらえる物語になる。推敲(すいこう)によって個性の強弱をつけられるとわかり、最初から完成品である必要はないと気づきました」

 どの小説も書き進めるうちに主人公の気持ちがのりうつる。「物語でつらいことがあっても主人公の性格が良いと前向きでいられる。今回、執筆中は楽しかったけれど、終えたときは気分がすさみました。考え方が辛辣(しんらつ)になったり享楽的になりすぎたり。二日酔いみたいなかんじかな。飲んでいるときは楽しいのに、翌朝ぶり返しがしんどい」

 ここ数年、熱心に読んでいるのが100歳前後の著者、いわゆる「アラ100」のエッセーや小説だという。憧れているのは宇野千代。佐藤愛子や瀬戸内寂聴が好きで、日野原重明、やなせたかしも読むそうだ。「つらいこと、大変な経験もされたのにみなさん共通して明るい。自分がどう生きたいのかが見えてきます。それにはまず、長生きしないと」(中村真理子)=朝日新聞2022年7月30日掲載