頼朝の娘の朝廷入りめぐる駆け引き
物語で娘の大姫を帝(みかど)の后(きさき)にしようと画策するのは、鎌倉幕府で権勢を振るう母・北条政子。朝廷から大姫の教育係として鎌倉に派遣された女房・周子(ちかこ)の視点から、鎌倉と京都、新旧両勢力の権力闘争が描かれる。
「鎌倉ものは男性サイドから見た物語が圧倒的に多いと思う。一方で、よくよく史料をあたると、大きな政治的権力を持つ女性たちがいた時代でもある。調べていて、政治史と女性史が絡み合い、両輪となって動いていく時代はこんなにも面白いものか、と感じました」
大姫は幼くしていいなずけと死に別れて以来、ふさぎ込む日々を送る。帝の后にふさわしい教養、礼儀作法を身につけさせなければならない立場の周子は、大姫の心に寄り添おうと試行錯誤を繰り返す。
永井さんは、大姫の「気鬱(きうつ)」の一因は母・政子との関係にもあったと考えた。「強いリーダーシップは半面、とても人を傷つける。仮説に仮説を重ねてみると、母親の過度の愛情、思い込みによって追い詰められていったと考えるのが、私にとって腑(ふ)に落ちる流れでした」
カリスマ的魅力を持ち、周囲を強引に巻き込んでいく政子と、苦しみ続けた大姫。「この物語は女の人たちが金と権力で殴り合うようなところがあるけれど、勝ち進むロマンではなく、挫折し、痛みを抱えた人たちにどういうまなざしを向けるのかを考え続けたい」(興野優平)=朝日新聞2022年8月10日掲載