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「ブロッコリー・レボリューション」書評 「小説」の枠外れた世界そのもの

評者: 金原ひとみ / 朝⽇新聞掲載:2022年08月27日
ブロッコリー・レボリューション 著者:岡田 利規 出版社:新潮社 ジャンル:日本の小説・文学

ISBN: 9784103040521
発売⽇: 2022/06/30
サイズ: 20cm/219p

「ブロッコリー・レボリューション」 [著]岡田利規

 こんなに奇妙な文章を書いていて不安にならないのだろうかと不安になるほど、本書は奇妙だ。それぞれ濃淡はあるものの、五つの短編からなる本書の奇妙さの原因は主に視点にある。
 例えば一章目の「楽観的な方のケース」では「私」という一人称で描かれているものの、「私」には知り得ない彼の気持ちだったり、「私」が居合わせなかった情景であったりがフラットに描かれる。
 表題作「ブロッコリー・レボリューション」では、「ぼくはいまだにそのことを知らないでいるしこの先も知ることは決してないけれども」と繰り返しながら「ぼく」は「きみ」がタイで経験していることを語る。「きみ」に逃げられた「ぼく」はDV男であり、「きみ」がどこにいるかも知らないのだが、「きみ」がタイで滞在しているホテルのベランダにある椅子が座った瞬間たわんで少し動くことや、ドラゴンフルーツを買いだめしていること、タイ国王の写真を見るたび日本の天皇の写真に変換して想像していること等々を「きみは」という二人称で語り続けるのだ。
 この視点の設定、文章の操り方に、誰しも戸惑わずにはいられないだろう。しかし、人はどこかで自分のいない場所、誰かの語る言葉や、誰かの思い、世界の裏側のことさえ想像しているもので、実は一人一人が視点という概念を超越したところに存在しているのかもしれない。私たちが「私」と雑に括(くく)って取りこぼしているものを拾い集め形にしたかのような本書は、それこそ「人称」や「小説」、「物語」という枠すらも取っ払い、私が知らなかったけれどどこかで知覚していた世界そのものを提示してくれたようにさえ感じられる。
 本書に書かれた、慣れ親しんだはずの日本語の見慣れない姿に、私はまだ世界のことを何も知らないのだ、という心細さと、まるで超常現象を目の当たりにしたかのような興奮が同時に襲ってきた。
    ◇
おかだ・としき 1973年生まれ。演劇作家、小説家。2022年、鶴屋南北戯曲賞。本書の表題作で三島由紀夫賞。