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宇野碧さんに「島癖」をつけた10代の旅

©GettyImages

 気づけばいつも、島にいる。

 それは20代のころの私の癖のようなものだったと思う。
「離島巡りが趣味」というほど突き詰めたものではなく、特定の島に入れ込むマニアックなものでもなく、引き寄せや宿命といった大仰なものでもない。

 気づけばいつもカバンは右肩にかけている、くらいの感じで、気づけば島にいた。

 大陸は大きすぎて気が滅入る。
 オスマントルコとかモンゴルとか中国とか入り乱れてなんだかめんどくさそうだ。
 その点、島は海に囲まれていて、地形的に独立しているところが気楽だ(歴史的には気楽でない島もたくさんあるという話は別として)。

 うるさい集団からパーソナルスペースを保って個室にいるような気になれる。

 島に行きがちだったのは、そんなおおざっぱな感覚によるものだった。
 島にいるときの自分が、いつも好きだった。

 きっかけは、15歳で友達と行った屋久島への旅だった。
 青春18きっぷで一日半かけて鹿児島まで行き、プロペラ機で島に渡った。
 島の人はものすごく親切だった。ヒッチハイクをしようと親指を立てる前に、乗せてほしそうな顔で振り返るだけで止まってくれた。
 縄文杉までの往復8時間の登山は思ったよりきつくて、携帯していた干し芋に救われた。
 泊まった宿の主人は、高校生相手だからと客と思っていないような態度だったので、彼が庭で趣味のアーチェリーをしている間に「間違えて自分に矢を当ててしまえ」と友達と陰口を言った。
 あの頃を振り返ってみて、グーグルマップも乗り換え案内アプリもなしで目的地に行けていた自分に驚いている。

 17歳で一人旅をしたのも、やっぱり島だった。
 テレビ番組「世界ふしぎ発見」でバリ島のお葬式のことを放映していて、「これ見たい」と思ったのがきっかけだ。時給850円の明石焼き屋のバイトで旅費を貯めて、春休みに飛んだ。
 お葬式には遭遇しなかったけど、泊まっていた宿のスタッフが帰省する時に連れて行ってくれて、村のお祭りに参加した。彼の妹が、民族衣装を着付けてくれた。
 復路便に乗る前にお金が尽きてお腹をすかせていたら、空港の職員がマクドナルドでチーズバーガーをおごってくれた。

 10代のころにそうして「初めて」とともに島に触れ、べらぼうに親切にしてもらった記憶が、私に島癖をつけたのだと思う。

 島に住んでる人はどうしてあんなに親切なんだろう、と思っていたけれど、自分自身が瀬戸内の島に住んでいた時はやっぱり島外から来た人にすごく親切にしていた。
 島に住んでいた頃の私は、ナチュラルに今の2倍は親切だった。
 海を渡って来てくれる存在というものが嬉しかったのもある。

 先日、久々に島癖がぶり返して、五島列島の福江島に行った。

 ヘブンリーな高浜ビーチの美しさ、島情報を教えてくれたUターンの青年たちの空気感。鬼岳の草原に立って、島を吹き渡る風に内面のわだかまりが吹き飛ばされていくような感覚。

 すべてに、「前に出会ったことがある」という、懐かしさのような感覚があった。初めて行った場所だったのに。
 それが私個人の経験から来るものなのか、個人を超えた何かなのか、わからない。
 そんな豊かな「わからなさ」が、15歳の自分と、今の自分をつないでくれている気がした。

 思い返すたび「ふふっ」となる思い出をたくさん貯めている人が成功者だと思っているけど、私の思い出の大半は島とともにある。
 島はいつも何かを思い出させてくれる。
 ひとりの人間を満たしている海について、そこに無数に点在する島と、そのあいだを行き来する何かについて考える時間をくれる。