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一穂ミチさん「光のとこにいてね」インタビュー 惹かれ合う女の子2人の「名前のつけられない関係」描く

緊急事態宣言で見た光

――『光のとこにいてね』というタイトルが、とても素敵ですね。小説の中で何度か登場する重要なセリフでもあります。これは実際に耳にした会話からきているのでしょうか。

 じつは、この小説はタイトルから始まったんです。オーダー頂いてからなかなかストーリーを思いつかなかったので、先に何かエモいタイトルをつけてテンションあげようと思って(笑)。

 ちょうど最初の緊急事態宣言が出た頃(2020年4月)で、人けのない公園をよく散歩していたんですね。桜が咲いていて、うらうらと陽だまりが揺れていて、人間なんかいなくても春は来るし、桜は咲くんだなって感じました。同じ頃、町である女の子を見かけたんです。髪の毛をひっつめて、レッスンバッグを持って、おそらくバレエ教室なんかに行くところで。その子からちょっと離れたところに、お母さんが待ってるんです。その子は一人、道を行きながら、何度もお母さんを振り返って「そこにいてね」って言ってたんです。それがとってもかわいらしくて。

 不安だったあの頃に見た光景のもろもろがミックスされて、『光のとこにいてね』というタイトルができました。

――タイトルが最初だったんですね! このお話は、裕福な家に育つ結珠(ゆず)と、シングルマザーの元で団地に暮らす果遠(かのん)の出会いと別れを、7歳、15歳、29歳と四半世紀に渡って描いています。どんなところから着想を得たのでしょうか。

 コロナ禍が落ち着いた頃、友人と、とある温泉に行ったんです。二人で海を臨む広い湯船に浸かっているときに、ふとここに同性の恋人と来たらすごく楽しいんじゃないかなって思って。温泉って男湯と女湯で分かれているので、男女のカップルだと一番きれいな景色を別々に見ることになるんですよね。女の子同士でここに来て、コスメとかスキンケアの話しながらキャアキャアとデートしているカップルがいたら、かわいいなって思ったんです。

 それから、年1回ここでだけ会って、またそれぞれのところへ帰っていくというイメージが浮かんで。じゃあ、そこに至るまでに何があったんだろう……と考えて書いていったら、7歳、15歳、29歳で出会うという物語が出てきました。

一穂ミチさん自ら作成した特製の栞。「読者の皆さんに書店に足を運んでいただくきっかけになれば」と、『光のとこにいてね』を応援している一部の書店に配布された

――裕福な結珠と貧しい果遠、二人の経済状況を対照的に描いたのはなぜでしょうか。

 私は兼業作家で普段は会社員をしているのですが、関西のいわゆる富裕層のエリアに住む同僚がおりまして。彼が「同じ文教地区の中でもだいぶ格差あるよ。うちの嫁は一本道を隔てた向こうの公園には子どもを絶対連れて行かない」と話したことがあったんですね。そっちには本物の富裕層の奥様方がいて、すぐサイズアウトするような小さな子どもにブランド物のピカピカの靴を履かせているんだそうです。同じママでも格差が存在していて、みんな不文律を守っている。見えないようでいて、そういうのってやっぱりあるんだなと印象に残り、このお話に取り入れることにしました。

女の子には「母」がつきもの

――境遇の異なる二人ですが、二人とも母親に抑圧されていますね。果遠の「お母さん」は自然派志向を押し付けて、給食を拒否して雑穀米のおにぎりを持たせたり、酢と塩で体を洗わせたりして、果遠を周囲から孤立させます。一方、結珠の「ママ」は結珠に大量の習い事をさせ、医者の嫁になるように仕向け、道具のように扱います。

 果遠の母親は、自分だけの可哀想な世界でお姫様でいる人。謎のこだわりで共同体の中で浮いても、周りが悪いと思っていて、それでいてなにか放っておけない感じもある。そういう危うい母親にしました。その対比で、結珠のママはソツのないマダムではあるけれど、結珠に見せる顔はどこまでも冷淡、というふうに描きました。女の子の物語を書くと、どうしても母親に物語の比重を置きます。それは私自身、娘として母親の心情に寄ってしまうからだと思います。

――果遠が「お母さんのことはまあまあ好き。好きでいるほうが楽だから」と言ったり、ほかの子の「ママ」呼びが嫌なのに、結珠の「ママ」呼びはぴしっとしていて好きだ、と思ったり、娘たちと母親たちの間の距離感が印象的でした。

 果遠は幼くて奔放な反面、冷静な一面がある子。保護者としての母親という存在を切り離すことはできないので、嫌いと言ったところで仕方ない、とある種の割り切りがあるんですよね。一方、結珠は賢くって冷静であるけれど、逆に彼女は母親が絡んだ途端、我を忘れてちょっとパニックになってしまう。二人にはタフさ加減の違いがあるんです。

――7歳の二人は母親の強いコントロール下にありましたが、15歳になると、結珠には藤野という男性が、果遠にはチサという女性が、母親からそれぞれを逃がそうと手助けしてくれます。救いを結珠⇔果遠というお互いにせず、第三者にしたのはどうしてでしょうか。

 結珠と果遠がお互いに望むことは、「寄り添い合いたい」ということだけ。だから、現実的なSOSは外の人間に出すだろうなと思いました。また、「やっぱり家族が一番だね」「お母さんでないと」というような思い込みが人を不自由にすると感じます。肉親からの虐待事件が起こる一方で、子どものいない方が養子を迎えるのに高いハードルがあったり……。もっとゆるいつながりでやっていけたらいいのにな、という思いもあったので、書くうちに、よそのお兄さん・お姉さんが出てきたんだと思います。

――ほかにも結珠の同級生、亜沙子は実は結珠の抱えている何かに気づいていて、ずっと気にかけていたことが描かれます。主人公二人だけの閉じこもった世界ではないんですよね。

 無人島で二人で生きていくっていうのは無理なので、どうしても現実とか周辺の人とはコミットしていかなきゃいけない。二人にはおとぎ話の優しい世界を生きるのではなくって、残酷であったり、無神経であったり、当たり前の世界を生きてほしかったんです。

名前のつけられない関係

――本作は、二人の女の子が強く惹かれ合う物語です。一穂さんはBL作家として長く活躍されていましたが、同性同士の恋愛をどのように捉えていますか。

 同性同士だからどうっていうことはなく、人間同士だから恋に落ちることもあるだろうと当たり前に考えています。異性愛と変わらず、ただそのようであるのだから、という気持ちです。お互いの合意形成を誠実に行えば、男女だろうが同性同士だろうが同じことだなと。パーソナルな感情なので、これは正しい、とか、これは正しくないとか、説明は必要ないと思います。

 今回の二人も、誰もが持ち得る、名前のつけられない感情、名前のつけられない関係を描いたつもりです。

――一穂さんにも、結珠や果遠のようなソウルメート的存在はいますか?

 はい。15年ほど前からの友人で、彼女になら何でも言えます。小説を書いていて、「ここがうまくいかない」「もう書けない」とか私が言うのを、向こうはそんな深刻には受け止めないんですよ。「ハイハイ、また言ってる」って感じで。「書き終わったよ!」と言うと、「ほらね」みたいな。その感じがいいんでしょうね。

――現在も会社勤めをされながら執筆とのこと。周りは一穂さんが小説家だということを知っていますか? 

 何人かはペンネームまで知っていて、何人かは「小説を書いてるらしい」ってところまでは知っています。ペンネームを聞かれたら「宮部みゆき」と言い張ってます(笑)。小説は土日で書こうと思っているんですが、実際は月火で帰宅後めっちゃ頑張るってことが多いですね。金曜日くらいまで「土日でめっちゃ進めたるねん」と思っているんですが、いざ土曜日になると「やっぱり休息しないとね」ってなって、日曜日の夕方4時くらいに「何やってたんだ……」と唖然とするという(笑)。これは連載だったので、なんとか書くことができました。

――この小説には、ぴるぴる、じょわじょわ、しびしびなどユニークな擬音がたくさん登場しますね。普段から一穂さんは頭の中で感情を音的に捉えているのでしょうか。

 どうでしょうね……。ただ、私マンガが大好きで、マンガの擬音語って作家さんの個性が出るじゃないですか。たとえば、スマホを触る音。昔の携帯なら「カチカチ」、今はスワイプなので「スッスッ」って描かれたりするんですけど、どなたかが「スムスムスム」と表現されていて。すごく感覚的にわかるなあって。擬音にはっとすることは結構ありますね。それと、川上弘美先生の小説がすごく好きで。先生も独特なオノマトペをお使いになるので、それに対しての憧れもあるんです。

――『光のとこにいてね』を書き終えた今、何を感じていますか。

 名前のつけられない関係や感情を一口で言ってしまうのは容易いけれど、このページ数かけて書いたというのは財産になったと思います。絵画でいうと印象派みたいな。伝わるか不安で、つい主線を描きたくなるたびに、担当さんが抑えてくれました。陰影を描くということを勉強させていただいた気がします。

 とはいえ、基本的には一人の女の子と一人の女の子が出会って、大きくなるというシンプルな物語。分厚いですけれど、あまり構えずに気軽に読んでいただけたら嬉しいです。