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「人間椅子」和嶋慎治さんの希望をつないだ「刑事コロンボ」

©Getty Images

 恐ろしく貧乏で、そして孤独だった。朝7時に起きてスクーターで埼玉県の工場まで行き、夜の7時半まで働く。場合によっては10時になることもあった。唯一の楽しみはといえば、帰宅してからの酒。同居人がいるわけでもないので、酒の友はもっぱら文庫本、コンビニ専売の漫画、100円レンタルのビデオ。それが15年前の僕だった。

 本は主に哲学書が多く、難解なので繰り返し読んだ。漫画は再編集の安価なやつで、福本伸行、さいとう・たかを、ビッグ錠あたり。ビデオだが、「宇宙船レッド・ドワーフ号」がいたく気に入り、これはDVDにダビングしてことあるごとに視聴した。DVDボックスが欲しかったが、当時の僕には高過ぎて買えなかった。

 よくレンタルしたのは、「刑事コロンボ」。テレビで何回も再放送されているから、もうとっくに内容は知っているはずなのに、ビデオ屋に行くとすっと手が伸びる。家に帰って来て、DVDデッキに入れ、ああこれはこういう話だったなと、先読みしながら酒を飲む。「刑事コロンボ」の特徴は倒叙形式──先に犯人を提示した上で、謎を解いていく──にあるわけだが、何のことはない、コロンボ自体を僕は倒叙で見ているのだった。

 小学校の5年だったか6年だったか、新しく担任になった、赴任したばかりという少し気取ったところのあるT先生が、壇上で言った。「みんな、刑事コロンボは知ってるか。あれは面白いぞ。見事に犯人を追い詰めていくんだ」。知ってるよ、と思った。土曜の夜、家族で揃って見る「刑事コロンボ」は楽しかった。あの特徴的なテーマが流れてくるだけで、みんなして画面に釘付けになったものだ(本来あれはコロンボのテーマではなく、NBCミステリームービーのテーマ)。

 冴えない風貌のコロンボが、頭脳明晰でハンサムな犯人をやり込めていく。日本のドラマの主役はたいがい万能で男前だったから、えらく斬新で、痛快だった。コロンボがネチネチしているところもいい。しつこい。普通なら欠点になる部分が、長所になっている。外見がみっともなくたっていい、性格に問題があったっていい、それで素晴らしい仕事が出来るなら、むしろそっちの方がカッコいいのではないか。──コロンボの人となりは、僕の人格形成に大きく寄与したように思う。

 40を過ぎた僕は、またコロンボを見ている。あの無限の可能性を秘めていた少年時代を懐かしむように。少年の頃の僕は、週払いのアルバイトに疲弊している大人の自分を、果たして想像出来ただろうか‥‥。画面上に繰り広げられる70年代の風俗のいちいちが、懐かしく、豊かで、生き生きとして、涙が出そうになる。間違いなく当時の僕にとって、「刑事コロンボ」はタイムマシーンであり、心の癒しであり、そして明日への微かな希望だった。

 気に入った話は何度でも借りた。「別れのワイン」「構想の死角」「ビデオテープの証言」「意識の下の映像」「歌声の消えた海」などなど。ふとビデオ屋で手の止まることがある。「おいお前、毎度同じDVDを借りてるな。そんなにコロンボが好きなら、いい加減セットでも何でも買うがいいじゃないか」心の声が聞こえる。顕在意識の僕は、そうだなと一旦は思うものの、しばらくはこのままでいいさ、やっぱりレジへと向かってレンタルするのだった。

 曲がりなりにも、アルバイトを辞めることが出来た。そのうち金銭に余裕も出て来た。ようやく、念願だった「刑事コロンボ」のDVDをセットで購入した。せっかく買ったのに、いつしかコロンボは見なくなってしまった。