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「ゾルゲ・ファイル 1941-1945」書評 政府中枢から精緻な情報を収集

評者: 保阪正康 / 朝⽇新聞掲載:2023年01月14日
ゾルゲ・ファイル 1941/1945 赤軍情報本部機密文書 (新資料が語るゾルゲ事件) 著者:名越健郎 出版社:みすず書房 ジャンル:歴史・地理・民俗

ISBN: 9784622095149
発売⽇: 2022/10/19
サイズ: 20cm/389p

「ゾルゲ・ファイル 1941-1945」 [著]アンドレイ・フェシュン

 旧ソ連の赤軍情報本部直轄の情報工作員、リヒアルト・ゾルゲが本部に送った電報、書簡とモスクワからの指令などは、650本に及ぶ。そのうちの1941年分は218本に達する。工作員として来日し8年になるゾルゲの活動は、この年がまさにピークであった。10月に逮捕されるが、その前に「独ソ開戦」「日本軍の南進策」をほぼ正確に本部に送っている。
 戦後のある時期までゾルゲの活動は無視されていたが、64年に名誉が回復し、プーチンなどもあこがれる国家英雄の座についた。本書は公開された機密文書をロシア人研究者が丁寧に解読したものである。一読し、ゾルゲが情報を日本政府中枢から得ていたことに驚く。また、ゾルゲとモスクワの本部が必ずしも一体ではなく、ゾルゲが二重スパイと疑われたことなどは興味深いエピソードだ。
 41年の世界は列強の肚(はら)の探り合いだった。ゾルゲの電報は、日本に対ソ戦参戦を迫ったり、シンガポール攻撃を挑発するドイツの動きについて伝え、ドイツの対ソ戦をモスクワに必死に警告するなど、歴史の足音や響きをナマの表現で語る。「ヒトラーとドイツの将軍たちは、ソ連と開戦しても、対英戦の足かせには全くならないと確信している」などの内容は、ゾルゲの情報収集がいかに精緻(せいち)であったかを物語っている。
 日本の軍事政策についても、三菱系企業がドイツ人技術者の力を得て火炎放射器の実験を行ったとの情報を裏づけ、各部隊の動きを知らせよというモスクワからの指令にはきわめて正確な情報を送っている。独ソ戦には中立を守るが、ドイツがソ連を制圧する状況になったら、日本は参戦するとの情報も報告している。ゾルゲの情報工作グループの日本側協力者は、近衛文麿に近い尾崎秀実だが、彼への依存が情報の正確さにもつながったのであろう。
 ゾルゲに協力した人たちの、人生を賭けた闘いの姿が文書の背後から浮かぶ。
    ◇
1957年生まれ。モスクワ国立大准教授。在日ロシア大使館科学文化代表部代表などを経て現職。