植物を育てて幸せをもたらす子のお話
――愛猫マリーが行方不明になって閉じこもるおばあさんを元気づけようと、ツタを切ったり土づくりや植え替えをしたりして、次第に庭を甦らせていくリパ。庭師のリパが主人公のお話は、どんなふうに生まれたのですか。
もともと植物や虫が好きで、小さい頃は昆虫博士になりたいと思っていたくらいでした。家の植物を世話していると植物の「のどが乾いた」という声や、天候によってその日の気分が伝わってくる気がします。『みどりのゆび』(岩波書店)という有名なフランスの児童文学がありますが、知り合いに「みどりの指を持っているね」と声をかけられると嬉しくて。植物を育てて周囲に幸せをもたらすお話を描いてみたいなと、ぼんやり思っていました。そこへちょうどのら書店さんから声をかけていただき、担当の編集者さんも植物が好きで、おしゃべりしているうちにトントンと物語がまとまっていきました。
リパのモデルになったのは、スロバキア留学時代のルームメイト、ミルカです。まるで親鳥が雛に教えるようにひとつずつスロバキア語を教えてくれました。彼女はスロバキアの人気イラストレーターであると同時に庭師でもあって「ツタはのびた髪を切るみたいに切ってあげるのよ」とか、森で葉っぱが落ちてくる音を「雨の音みたい」とか、そんなふうに表現するのが素敵でした。
私がひどい風邪で咳に苦しんでいたとき、ミルカがエルダーフラワーのハーブティーを作ってくれたことがあります。生姜をすりおろして、レモンを生でスライスして入れて。それに発酵してクリーム色になった地場のはちみつをたっぷり溶かすと、すごくまろやかでおいしいんですよ。半信半疑で飲んだらあっという間に治ってびっくり。ルームメイトにはチェコ出身の子もいて、彼女たちから植物を活用する知恵を学びました。
虫や草にも居場所がある“理想の庭”
――リパが描いた地図にも、のどの痛みや咳に効くというエルダーフラワーの木が描かれていますね。
エルダーフラワーの大木やバラのアーチがあって、栗やレモンの木も。裏庭には井戸やりんごの木がある……私の理想の庭です(笑)。
「お庭をきれいにしたら、きっとマリーも帰ってくるわ」とリパはおばあさんを慰めます。リパの名は、スロバキア語で西洋菩提樹を意味します。スロバキアの国の樹で、日本の桜みたいなものなんですよ。
――春から夏へ、庭の変化が美しいですね。
アカツメクサ、ツユクサ、カモミール、バラ、ルピナス、紫陽花……と順々に花が咲きます。初夏になると、リパが耳に赤いチェリーをイヤリングのようにかけているでしょう? スロバキアでは小さい子たちがこんなふうにチェリーを耳にかける姿をよく見かけます。とても可愛いんですよ。季節の流れを表現するために、何冊ものダミー本を編集者さんが作ってくださり、じっくり構成を練りました。
「ハチやクモも、増えすぎた虫たちを食べてくれる、大事な仲間よ」というセリフがありますが、リパは草を全部とらず、虫が食べる分を残しておくんですよね。カモミールは“植物のお医者さん”と言われる草花で、甘い匂いでアブラムシを引きつけます。あえてバラの下にじゅうたんのように植えてアブラムシの居場所を作ると、カモミールに付いたアブラムシをテントウムシが食べにきて、アブラムシの増えすぎを抑え、バラが食害にあわずに済むのです。
絵本をつくるにあたっては、京都の総合園芸店「まつおえんげい」さんに取材をさせていただきました。植物の状態と季節の齟齬(そご)がないかどうか見てくださり、細かなアドバイスをいただきました。
スロバキア留学のきっかけ
――スロバキアに留学したいと思ったのはなぜですか。
アニメーションを専攻していた京都嵯峨芸術大学(現・嵯峨美術大学)在学中、図書館で偶然、スロバキアの著名な版画家ドゥシャン・カーライさんの絵本『不思議の国のアリス』を見つけて、一目で魅了されたのです。でも、あまりにすごいので歴史上の画家だと思っていて。卒業後もまた偶然、「ドゥシャン・カーライの超絶絵本とブラチスラヴァの作家たち」(2010年、滋賀県立美術館開催)という大規模な展示を見て、そこで初めてブラチスラヴァ美術大学で教鞭をとっている現代の方だと知りました。
「私もカーライ先生の元で学んでみたい」と思ったものの、すぐ実行に移すことはありませんでした。というのも、大学卒業時は就職氷河期で、正社員のWebデザイナーとして働きながらアニメーション作家としての制作活動も自由にできていたからです。アニメーションの本場チェコで研修を受けたり、日本各地で上映会に参加したり、NHKで制作した作品が放映されたり……。アニメーションで食べていくことは難しいけれど充実していました。
毎日、朝4時に自然と目が覚めて、起きてすぐ制作を始めます。絵を何千枚と描くアニメーションなので6時まで夢中で描いて、6時になるとはじめて目覚ましが鳴るんですね。「あぁ、会社にいく準備をしなきゃ」と支度をして7時に家を出る。出社して仕事して、帰宅後はご飯を食べたりお風呂に入ったりして、すべて終わるのが夜9時。そこから11時までまた制作。11時になるとアラームが鳴り「寝る時間だ!」と、ヨガをしてから寝て、明け方4時になると制作の続きがやりたくて目が覚める。集中すると寝ずに描いてしまうので、目覚まし時計で体調管理をしていたんです。そんな生活を6年ほど続けました。
そうこうするうちに会社でも中堅社員になり、仕事も作家活動もすごく忙しくなってしまって。2011年の東日本大震災のとき、当時会社のパソコンのモニターで空港が津波に覆われる映像を見ていて、こんなことが起こりうるのかというショックと、私はこのままでいいのか、と悶々と考えていました。
2013年にはスロバキア在住の降矢ななさんが主な呼びかけ人となり、ブラチスラヴァ世界絵本原画展の作家をはじめ、世界から絵本作家が参加した「手から手へ展 絵本作家から子どもたちへ 3.11後のメッセージ」の巡回展を見に行きました。私はカーライ先生に学びたいと思いながら実行に移していない自分に気づき、ようやく動き出しました。降矢さんに助けていただきながら2014年にブラチスラヴァ美大を一度見に行き、その年に受験。7年半勤めた会社を辞めて、9月から留学生としての生活が始まりました。
版画で絵本をつくる喜び
――憧れていたブラチスラヴァ美大の授業はいかがでしたか。
最初は外国人聴講生として英語で授業を受けていたのですが、正規生たちがスロバキア語で受けている、伝統的な版画技術を学ぶクラスをどうしても受けたいと思いました。でも聴講生は受けられないと断られてしまって。じゃあ院の試験を受けようと、英語を封印して美大に通いながら、地元のコメニウス大学のスロバキア語を学ぶ夜間クラスで勉強を始めました。
3カ月は失語症のようになるくらい言葉が出てこなかったのですが、相性がよかったのか、周囲の友人たちのおかげもあってぐんぐん上達して、半年後には院の試験をスロバキア語で受けられるまでに漕ぎ着けました。
聴講生のときに制作した作品を先生方が評価してくださり、“語学はまだおぼつかないけれど上達したし、スロバキア語で論文を書いたり発表しなければいけないが、頑張れるか?”と聞かれました。「やります!」と答えて、念願かなって、大学院で伝統の版画を学べることになったのです。
カーライ先生のアトリエは広く、プレス機が一台あり、クラスメイトそれぞれが使える机がありました。ディエルニャ(工房)には、木版画のプレス機から、リトグラフ、銅版画などそれぞれ専用のプレス機が置いてあります。私もすべての版画技術と、本の挿絵について学ぶことができました。またシルクスクリーンは特殊な大型機械や水圧洗浄機などを必要とするため、別にシルクスクリーン室を使います。ゲリアク先生という方が私のシルクスクリーン技術をイチから鍛え上げてくれました。
――『リパの庭づくり』はどんな版画でつくられているのですか。
この絵本はシルクスクリーン、いわゆる孔版という種類の版画技法です。簡単に言うと、網をはったフレームにインクが通る部分(孔:あな)と通らない部分を製版して作ります。版の上にインクをのせて「スキージー」というヘラのようなもので体重をかけてシャッと押しつけると、インクが孔の部分から落ちて刷りとられます。さらに一版、一版、色を重ねて絵をつくっていきます。
例えば水色、黄色、ピンクの3色が、組み合わせ方によって6色にも7色にも展開できるんですね。水色と黄色を混ぜたら緑ですが、水色の種類によってはごく淡いグリーンからくすんだ渋い緑までいろんな色になる。きれいな色ができたら、「つゆ草ブルー」「シーコルイエロー」「リパ長ぐつピンク」などオリジナルの名前をつけて管理しています。
――どんなふうに作品を読んでほしいですか。
アニメーションと版画はよく似た魅力があって、制作の段階ではまだ自身の頭の中にあるものを見せることはできません。たくさんの絵を描いたり、版を刷ったりして、すべて出てきた瞬間に「(頭の中にあったのは)こんな絵だったんだよ」と伝えられる。時間がかかる芸術ゆえの喜びがあると思います。
私は3年半のスロバキア滞在で多くのことを学びました。スロバキアとウクライナは隣の国なので、ロシアのウクライナ侵攻はまるで自分の国のことのように辛く感じます。
感染症の流行期もあり、今も閉じこもりがちな方が多いかもしれませんが、庭でもベランダでも、土があれば鳥や風が種を運んできたり、小さな命が育ちますよね。月日が経てば咲く花の種類も変わり、命が巡ります。『リパの庭づくり』を通じて、循環する世界を楽しんでもらえたらなと。1人でいる人も、1人じゃなくて、みんな繋がっているんだよと感じてもらえたらと思っています。