それぞれの濃密な半生 浮かび上がる惨劇の真相
永井さんの観劇歴は小学2年にさかのぼる。芝居好きの大おばに連れて行かれたのが1986年初演のスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」。中学時代には東京・下北沢の小劇場に足を踏み入れていた。歌舞伎を題材にした作品を依頼された際、思い出したのが野田秀樹さんが歌舞伎演目「研辰(とぎたつ)の討たれ」に新解釈を施した、中村勘九郎(後の勘三郎)主演の舞台だった。
「好きと好きがドッキングしたようなお芝居で、特にラストが印象に残っていて。仇討ち物は歌舞伎の華でもあるし、せっかくなら王道で、と思って、この小説を書いたんです」
物語の舞台は芝居の街・木挽町。ある雪の夜、美少年・菊之助による凄惨(せいさん)な仇討ちが成し遂げられた。父親を殺した下男の首を高らかに掲げた姿は一幅の絵のようだった。2年後、菊之助の縁者と名乗る若侍が芝居小屋を訪れる。仇討ちのいきさつを詳しく聞きたいというのだが……。
若侍が順々に訪れるのは現場に居合わせた芝居小屋の裏方たち。木戸芸者、殺陣師(たてし)、衣装係、小道具職人らの語りは、仇討ちだけでなく、現在の境遇に至った自らの半生に及ぶ。武家や農家といった出自の異なる者たちの物語は、それぞれが一編の長編にできそうなほどに濃密だ。職務に誇りを持つ者たちの証言はやがて、読者を驚くべき真相へと導いていく。
「当時の身分が上から下まで入っている平べったい場として芝居小屋を描きたかった。裏方たちは本来の居場所を追われて小屋にたどりつき、それぞれが居場所を見つけて生きている。今も昔も外の社会はいろいろと窮屈だけど、それでも生きる場所はあるんです」
「平家物語」にひかれ、永井路子さんや田辺聖子さんらの歴史小説に導かれ、中学生のころから小説を書き始めていた。「歴史をひもといていくと、現在の悩みなんて大河の一滴にもならない」と思い、いつしか作家を目指すように。新聞記者をへてフリーライターとなってからも応募を重ね、2010年にデビュー。源頼朝の娘・大姫を描いた『女人入眼(じゅげん)』は昨年の直木賞候補になった。
自他共に認める「鎌倉オタク」だったが、最近は江戸期が面白くなってきた。
「江戸時代に習慣付いたものって、現代社会につながっているものが多い。芝居も含め、あらゆる方面の研究が進んでいるだけに難しい面はありますが、そのはざまにあるような切り口で書いていきたいですね」(野波健祐)=朝日新聞2023年2月1日掲載