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「香港存歿」「香港陥落」 危機にあって良心に責任を負う 朝日新聞書評から

評者: 阿古智子 / 朝⽇新聞掲載:2023年02月25日
香港存歿 自由と真実に関する一考察 (論創ノンフィクション) 著者:張政遠 出版社:論創社 ジャンル:ノンフィクション・ルポルタージュ

ISBN: 9784846021344
発売⽇: 2022/12/27
サイズ: 19cm/322p

香港陥落 著者:松浦 寿輝 出版社:講談社 ジャンル:小説

ISBN: 9784065300237
発売⽇: 2023/01/13
サイズ: 20cm/252p

「香港存歿」 [著]張燦輝/「香港陥落」 [著]松浦寿輝

 「香港」をテーマとする哲学者のエッセイ(一部はインタビュー)と小説という、異色の組み合わせを選んだ。
 『香港存歿』の著者・張燦輝は香港中文大学哲学科を退職し、現在イギリス在住。雨傘運動を記録し、逃亡犯条例改正案の反対デモでは弁護士の妻と共に数十人分の弁当を作って配り、学生たちを応援した。
 張は香港が数々の危機に直面する中で、良心と理性、知識を持ってそれを乗り越えようと思考し、表現し続けた。1949年以降、中国共産党、台湾の国民党の白色テロ(政治的敵対勢力に対して行われる弾圧や暴力的な直接行動)から逃れ、香港に亡命した労思光や唐君毅ら、香港中文大学の恩師や先輩哲学者の思想を胸に、西洋の哲学者や中国の思想家の言葉をちりばめながら香港の日々を描いた。
 死の哲学を教えてきた張は、死と向き合うことで生の意味を問う。死は生の外にあるのではなく、生の中にある。命が脅かされ、恐怖が目の前に迫った時に、私たちはどうするのか。暴政は人々の価値観を破壊し、社会的行動を無意味なものにし、戦う勇気を失わせようとする。
 だが、誰もが自分の良心に責任を負っており、ナチスの弾圧下にあったフランスで人々は自由の意味をよく理解していた。留(とど)まるか去るかという判断も、自分が何者であるかの再定義につながる。
 自らのルーツ、土地、過去から切り離された故国喪失者は、イデオロギーの夢から覚めると、実質的に耐え難い状態に置かれるのだ。
 『香港陥落』は、侵攻した日本軍とイギリス軍が交戦下にあった41年、終戦後の46年、そして61年の香港を舞台に、日本人、英国人、中国人がそれぞれの「戦争」を語る。
 書評を書いている今、学生たちを連れて台湾に来ているのだが、もう一編の「香港陥落―Side B」が表題作を補完するという本書の構成が見せる展開にハッとさせられた。現在の国際情勢を彷彿(ほうふつ)させる描写が多数あり、人が人を疑い合う空気感が似ているように感じられるからだ。
 半世紀以上前、19歳で政治犯とされた蔡焜霖さんにお目にかかったが、漫画『台湾の少年』でも描かれた彼の少年時代が、いま香港国家安全維持法で裁判にかけられている香港の若者に重なって見えた。学生が蔡さんに訊(たず)ねた。「収監されていた時、未来に希望を抱けましたか」と。
 この問いを前に私は、「正義は説かれるべきではなく、正義であることを実行すること」という張の言葉を反芻(はんすう)している。
    ◇
Cheung Chan-fai 1949年、香港生まれ。フライブルク大哲学博士。専門はハイデガー研究▽まつうら・ひさき 1954年生まれ。詩人、小説家、批評家、仏文学者。著書に『人外』(野間文芸賞)など。