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「黒い海」書評 「事件」疑う情報 謎の真相追う

評者: 行方史郎 / 朝⽇新聞掲載:2023年03月04日
黒い海 船は突然、深海へ消えた 著者:伊澤 理江 出版社:講談社 ジャンル:日本の小説・文学

ISBN: 9784065304952
発売⽇: 2022/12/23
サイズ: 20cm/301p

「黒い海」 [著]伊澤理江

 17人が亡くなったこの漁船事故の記憶は、驚くほど薄い。それだけに冒頭から展開される壮絶な描写に一気に引き込まれた。
 15年前、事故翌日の本紙記事には「横波を受けて転覆したとみられる」との見立てが示されている。3年後に国の運輸安全委員会は「大波を受けて転覆した可能性」という予定調和な結論の報告書を公表した。
 ところが生き残った3人の船員、救助に駆けつけた同僚らの証言から浮かび上がる実相は明らかに異なる。「激しい衝撃から1~2分で転覆」「海は油で真っ黒」。あの報告書には納得できないという話を偶然聞き、著者の取材が始まる。事故の11年後だ。
 当時、一部の新聞が「潜水艦衝突の可能性」「船底に衝撃」「潜水調査を検討」などと報じていた。入手した内部文書からも運輸安全委員会が船から流出した油に注目していたことがうかがえる。「事件」を疑う情報がありながら、なぜ立ち消えになったのか。
 調査にかかわった関係者や海難事故の専門家を訪ね歩き、不可解な謎の真相を追う。その執念の取材は、1966年に羽田沖で起きたジェット機墜落事故の原因に迫った名著『マッハの恐怖』(柳田邦男著)をほうふつとさせる。
 独自の実験をもとに機体の欠陥説を唱えた航空工学者が政府の調査団を辞任する――そんな気骨ある学者がいたのが『マッハの恐怖』の書かれた時代だ。翻って現代はどうか。「守秘義務」と「記憶にない」という立ちはだかる二つの壁をどう乗り越えていくのかが本書の醍醐(だいご)味である。
 権力を持つ側にとって都合の悪いことが公式な記録から排除され、「正しい歴史」として伝わる。著者が抱く危機感を私も別の取材で感じたことがある。であればこそ、丹念に証言を集めた本書には普遍的な意義と価値がある。読後感が意外にも晴れやかなのは著者自身がまだ希望を捨てていないからかもしれない。
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いざわ・りえ 1979年生まれ。英国の新聞社、PR会社などを経てフリージャーナリストとして活動する。