猫は窓から何を見ている?
――街中で、猫が家の窓から外を見ている風景をよく見かけますが、その風景を描こうと思ったきっかけはどんなことでしょうか?
今は、いろんな事情があって猫を外に出せないというのもよくわかるし、猫が不自由さを感じているわけではないんでしょうけど、猫たちは窓から何を見ているのかなあ、何を考えているのかなと、猫が頭の中にイメージするものを絵本にしてみたいと思ったのが最初でしたね。
――コロナ禍で猫を飼う人も増えたようですが、昔に比べて家の中で飼うのが普通になっていますね。
最近、猫を飼っている友だちが、猫との楽しそうな生活の写真をSNSでアップしているのを見たり、話を聞いたりすると、昔と今では飼い方や人間と猫の関係もだいぶ違うんだなと思うようになりました。僕も猫が好きで、今は飼っていないんですが、生まれた時から実家には猫がいたし、自分でも飼っていたことがあります。猫がいるという生活は体験しているんですけど、子どもの頃から僕にとって、猫は観察する対象だったので、家族とかっていうよりも、すでにそこにいる存在という感じで、人は人、猫は猫という距離感を保った付き合い方をしてきました。僕は、いわゆる猫可愛がりというような飼い方はしたことがないし、半分ほったらかしというか、猫も勝手に家を出て散歩して帰ってくるみたいな感じだったので。
自分が猫だったら、外に出たいなという気持ちもあるので、絵本の中で猫に自由を与えたら、どんなことを想像したり、思い描いたりするのかなということをイメージして描いてみました。
僕の「ふみふみ」は絵を描くこと
――猫特有の仕草、前足を踏むように動かす「ふみふみ」が描かれているのも印象的ですね。
「ふみふみ」をやらない猫もいるみたいですけど、猫がよくやる仕草ですね。僕が飼っていた猫も、洋服とか毛布とか、やわらかいものにモサモサとふみふみしていました。おっぱいを探す仕草とも言われていますが、ずっと見ていると、誰かと会話しているような、何かと交信しているようにも思えてきます。遠い誰かの記憶というか、猫の大先祖様と交信しているような。それがすごく羨ましいというか、いい瞬間だなって思うんですけど、もしかしたら人間にもそういう瞬間があるんじゃないかと思うんです。生き物はみんな誰かと何かと交信して、安心しているんじゃないかと。
――ふみふみしながら誰かと交信。それはとても興味深いです。荒井さんはどんな人と交信したいですか?
昔の世界にいた、僕のような誰か。実際、似たような誰かと交信しているような気がするんですよね。僕は日常的に絵を描くことが多いですが、絵を描くときに交信してるんです。「交信」って言葉で言ってしまうとそのままなんですけど、色を塗りながらぶつぶつ会話をしてるんです、誰かと。自分自身と会話していることもありますが、自分じゃないなっていう瞬間もあるし、それがすごく嬉しい感覚で。うまく言えないんですけど、通じ合っている誰かと会話しているような気がしてとても安心するんです。だから、それが僕の「ふみふみ」なんじゃないかと。
猫もきっと、ふみふみすることで安心感に包まれているんじゃないのかな。自分と似たような誰かと会話しているような状態になって、すごい幸せな気分なんじゃないかと思います。僕は絵を描くことが好きだから安心するのかもしれないけど、実は絵を描くことによって誰かと何かが通じ合えるから安心しているのかもしれない。猫の「ふみふみ」のことを考えたときに、そんなふうに思ったんです。
人間、誰にもきっと安心できる「ふみふみ」があって、僕は絵を描くことでふみふみしてますけど、料理が好きな人だったら料理をしているとき、野菜や肉を切ったりしているとき、これはどこで採れたものだという情報から、どんどんどんどん昔に遡っていって、誰かと何かと会話をする。そういうことを繰り返しているのかもしれませんね。
――自分だけの「ふみふみ」を探してみたくなりました。荒井さんにとって猫の魅力とはどんなところですか?
簡単にいうと、人みたいなところ。僕、小さい頃に猫の顔を見すぎて、引っ掻かれたことがあるんです。うちの母親に猫がこっぴどく叱られて、こっちが悪いのに、猫に悪かったなって思ったことを覚えています。だから、猫にはあまり近付くのはやめようと、猫可愛がりしないで、距離感を持って接してきました。そういうこともあってか、なんか人みたいな感じがするんですよね。言葉が通じなくてよかったなっていう存在です。もし猫と言葉が通じていたら、すっごい叱られたり注意されたり、「人生とはな」って諭されそう(笑)。そうやって無言で語っているような感じがするところが好きですね。
窓のような絵本でありたい
――本作は、それぞれの猫の物語を想像するのが楽しい作品ですが、荒井さんの作品は物語を読むというよりも、物語を想像するのが楽しい作品が多いですね。
以前、トークイベントで、小学校4年生の男の子に「荒井さんの絵本にはストーリーがありませんね」って言われました(笑)。よくぞ気がついたと思って。その子が「荒井さんの描く絵本は窓みたい。ストーリーを『読む』というよりもストーリーを『探す』」って、とてもいいことを言ってくれました。本当に僕は、絵本は開いたときに窓のようでありたいなと思っているんです。誰がどんな環境でこの本を読むかはわからないけれど、読んだ人が行ったことも見たこともない世界を見せてあげたいなと思っています。絵は、僕自身も行ったことがない世界も描けるので、みんなとそういう想像の世界を共有できたらいいなという思いで絵本を作っています。行ったこともない風景を見て、主人公の目を通して追体験ができるような役割になれたらいいですね。
だから、ストーリーではなく、絵のディテールを見ながら想像を広げて、本の流れとは違うストーリーを探してみてほしいし、楽しんでほしい。言葉が少なめなので読み聞かせには不向きな絵本ばかりですが、誰かと一緒に読んでほしいですね。読み聞かせは大勢でもいいんですけど、僕は一対一がうれしいなと思っていて、大人と子ども、大人と大人でも、絵本を読んで会話ができるといいなと思っています。そのためにも、言葉は少なく、絵の情報を多めに配置しています。いろんなストーリーを想像しながら話をしてもらえるとうれしいです。
――絵本を通して、行ったことがない世界を見せてあげたいというお話でしたが、7月からの展覧会のタイトル「いつもしらないところへ たびするきぶんだった」にも似ていますね。
少し意味合いは違いますが、似ていますね。僕はこれまで、イラストレーションや広告、絵本、絵画、壁画などいろんな仕事をしてきましたが、それぞれの世界があるんです。それを知らずに入って、何も知らないところを旅しているような感覚になりながら仕事をしてきたなという思いがあって、このタイトルになりました。でも、確かに絵本の話とも通じ合いますね。どんな展覧会になるのか、どんな世界が広がるのか、僕自身も楽しみです。