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荒木あかねさんが自らの思春期を重ねるアニメ映画「私ときどきレッサーパンダ」

スペースワールドの閉園を惜しむファンが最後のイベントを見守った=2017年12月31日、北九州市八幡東区、金子淳撮影

 子どもたちにとって、保護者の同伴なしの遠出は最高の冒険である。大人の目を気にせず、友だち同士で勝手気ままにはしゃげるのがいい。それでいて、なんだか大人の階段を一歩上ったような気もする。

 私が初めてそれを経験したのは12歳のとき。小学校を卒業した記念に、3人の親友とともに福岡県北九州市に位置するテーマパーク・スペースワールドへと遊びに行った。スペースワールドは2017年12月に閉園し、跡地にはすでに大型商業施設が建っているけれど、観覧車のてっぺんで大はしゃぎした思い出は消えない。

 約10年の時を経て、私は1本の映画の中に、あの日の自分とそっくりな13歳の女の子を見つけた。「私ときどきレッサーパンダ」の主人公・メイである。

 物語の舞台はトロント。中国系カナダ人のメイは、アイドルに熱中しているごく普通の女の子だ。大好きな親友たちと一緒にいるときは元気いっぱいなのだが、母親を前にすると期待に応えようとついつい「いい子」を演じてしまうという悩みを抱えている。ある朝目覚めると、メイは巨大なレッサーパンダへと変身していた。どうやら怒りや羞恥など、激しい感情を抱くことによって身体が変化してしまうらしい。メイは内なるレッサーパンダを抑えるべく、感情をコントロールしようと奮闘する。──本作は、思春期の少女が経験する心と身体の変化をレッサーパンダへの変身という形で表象したコメディである。そして「血縁による束縛からの解放」や、「ありのままの自分を愛すること/変化を受け入れることの大切さ」など、普遍的なテーマを描く作品でもある。

 大好きなポイントはたくさんあるのだが、中でも私が特に注目するのは本作の友情物語的な側面である。主人公のメイには3人の親友がいる。レッサーパンダへと変身した姿を目撃されて泣き出したメイに対し、レッサーパンダでもレッサーパンダじゃなくても大好きだと言ってくれる、最高の友だちだ。実はメイにとっての最も大切な目的は、感情をコントロールすることでも不思議な力を封印することでもない。厳格な母親の目を盗んで3人の親友とともに推し──人気男性アイドルグループ「4★TOWN」のライブに行くことである。

 物語の後半、メイたち仲良し4人組は、お金が足りず3人分のチケットしか用意できなくなるというピンチに見舞われる。メイが気を遣って参加を辞退しようとすると、親友のひとりミリアムがこう返すのだ。「4人で行けないなら、全員、行くのやめよう」。その台詞を聞いた瞬間、「この映画は私たちの映画だ」と思った。

 私もメイのように、友だちに恵まれた人生を歩んできた。特に幼馴染の3人とは、小学生のときからずっと一緒。前述した、スペースワールドの友である。

 スペースワールドで一生の思い出を作った私たちは中学生になっても愉快な毎日を送り、別々の高校に進学しても連絡を取り続けた。そして受験シーズンを目前に控えた高校2年生の春休み、「受験生になる前にパーッと遊ぼう!」という話が持ち上がって、長崎のハウステンボスへと遊びに行く計画を立てた。

 楽しみで楽しみで仕方なく、指折り数えて待っていたのに、ハウステンボス行きの数日前、原因不明の高熱に襲われ布団から出られなくなった。前日の夜、38度を超した体温計を確認した私は泣く泣く遊びの予定を諦めることにしたのだが、そこではたと気づく。私が今体調不良を訴えてしまえば、優しい友人たちは「じゃあ日を改めようか」と言うに違いない。熱を出した私が悪いのに、他の3人まで巻き添えで遊びに行けなくなるのは可哀想じゃないか? ──だからドタキャンすることにした。当日の朝、集合時間の直前に電話をかけて「行けなくなった」と言えば、3人はそのまま長崎へと向かうだろう、と思って。

 泣きながら横になっていたら、夕方になって3人が家を訪ねてきた。「お土産」と言って渡されたのは、当時流行っていたお笑い芸人の日めくりカレンダー。ヴィレヴァンで売っていそうな、いわゆるネタグッズである。訊けば3人はハウステンボスには行かず、近所のショッピングモールで一日中ぶらぶらしていたのだという。「気を遣わなくてもよかったのに」とこぼした私に向かって、3人は「みんなで行けないなら意味ないよ」と言った。

 4人で行けないなら、全員、行くのやめよう。みんなで行けないなら意味ないよ。それは画面を越えて伝わってくる、生き生きとした友情だった。

 「私ときどきレッサーパンダ」はざっくり言ってしまえば家族についての話なのだが、しかし、決して血縁関係にこだわった映画ではない。主人公の心を支えるのはいつだって3人の親友なのだ。「家」以外に自分の居場所を描き出してくれる、優しい映画である(と同時に家族との和解も明示する、本当にあらゆる面で優しい物語だとも思う)。

 思えば中学生の頃、私の小説の話を聞いてくれたのは件の親友たちだった。昨年、文学新人賞の最終候補に残ったときも、家族よりも先に彼女たちに報告した。そもそも家族には作家を目指していることすら伝えていなかったのだが、不思議と友人には何でも話せた。仲良し4人組のうち2人は地元を離れ、今はみんなバラバラの場所に住んでいるけれど、今でも一緒にディズニーランドに行ったりする仲である。

 私は映画の中に、私の居場所を見た。そこには思春期の私がいて、親友たちがいた。私はときどき、思い出という名の宝物を手に取って眺めるように『私ときどきレッサーパンダ』を観る。