自分の挑戦を後押ししてくれた
――映画は沢木耕太郎さんの原作を元にしていますが、横浜さんは脚本を読んでどんな感想を持ちましたか?
横浜流星(以下、横浜):翔吾の行動や言葉は他人事じゃなく、自分のことのように思えてシンパシーを感じました。燃えつきることが出来ずに後悔したことや「自分にはボクシングしかない」と思っている2人が出会って、もう一度命をかけて挑戦する姿は心を揺さぶられました。翔吾の生き方は自分がボクシングのプロテストに挑戦することへの、あと一歩を後押してくれたところもあります。僕も一度しかない人生なので、後悔しないように今を全力で生きようと改めて思えた作品でした。
――原作の上巻では、仁一にクローズアップして描かれていましたが、佐藤さんは原作と映画にどんな違いを感じましたか。
佐藤浩市(以下、佐藤): 連載小説ということもあるのでしょうが、原作はいい意味で非常に古典的なお話でしたよね。映画ではプロローグ的なことや設定をできるだけ省いて、登場人物全員の背景は入れていない。僕はそこが潔いなと思いました。ある程度のことは各々が想像すればいいことで、仁一がアメリカでどう生活していたのかを2時間弱の映画で丁寧に話すのも難しいので、それで十分なんじゃないかなと思いました。
――ボクシングシーンにも感情が乗っていてとても迫力がありました。横浜さんは先日、プロボクサーのテストも合格されましたが、どのような役作りをされたのでしょうか。
横浜:まずは自分がやってきた空手のクセを一から抜くことから始めて、半年間くらいかけてボクシングを一から学びました。とにかく格闘家としての体をちゃんと作っていかないと思い、撮影中は食事も気をつけて、試合前はフェザー級の57.15㎏に合わせるように調整しました。
佐藤:僕はセコンドとして試合を見守っている立場でしたが、台本に書いてある結末に向かっていきながら「絶対負けたくない」という思いをワンカットごとに強く感じました。ある程度、手は決まっていたけど、それをいかにニセモノではなく、少なくとも目の前にいる対戦相手に「俺は本物なんだ」と見せられるような体づくりをしていましたね。流星は本当に自分を追い込んでいましたよ。
感情をぶつけ合った世界戦のシーン
――窪田さん演じる中西との世界戦のシーンは4日間かけて撮影されたそうですね。
横浜:ただ殴り合うだけじゃなく、そこに感情と感情をぶつけ合っている様子をちゃんと表現できたのは、窪田くんとだからあそこまで高いところに持っていけたと思っています。流血することもあるので、怖いと思われる人もいるかもしれませんが、殴り合いだけじゃないそれまでの2人のドラマもあるので、そういう部分も見てもらえたらと思います。
佐藤:このシーンを台本で読むと「長いなぁ」と思うし、抜粋でいいんじゃないかと思うけど、ちゃんと12ラウンドやりきりましたからね。時間にすると約20分ありますが、多分皆さんが見たときにそんな長さを感じないと思いますし、そう感じさせないようなシーンになっているのは見ていてもすごかったです。
――作中、何度か翔吾の目に力が入る瞬間があり、言葉以上に伝わってくるものがありました。
横浜:そう言っていただけて嬉しいです。お芝居でも目は常に意識しています。翔吾は思ったことをそのまま言葉に出したり、すぐに感情を人にぶつけたりするので、目に力を入れることでより強い感情を表に出せたらと思っていましたし、とにかく感情を相手にぶつけるということを意識していました。
――翔吾に自分が今まで培ってきたものを教えていく中で、仁一が「こいつに賭けてみよう」と思い始めたのはどの辺りからだと感じましたか?
佐藤:それが分からないから、面白いんじゃないですか。この映画には「この人の気持ちはこの瞬間から変わった」ということがはっきりと描かれていないんですよ。2人が前に進んでいく中で、仁一は翔吾に「もう辞めろ」と言ったり「俺も試合に連れていけ」と言ったりするんだけど、このむちゃくちゃさがいいんです。単純に「俺の背中についてこい」という一昔前の話じゃない。原作だとそこがやや強調されている中で成立する話になっていますが、映画は少し違って、世代の違う男たちがお互いに何かを引っ張り上げられるような関係性になっている。僕はそこがこの映画の面白いところだと思います。
仁一のむちゃくちゃに説得力
――病室で仁一と翔吾が本音をぶつけるシーンでは、佐藤さんのアイディアが採用されたと伺いました。
佐藤:ここもある種むちゃくちゃで、最初は整合性がない会話のように見えますが、年寄りは大体、むちゃくちゃを言うものなんですよ(笑)。それがかえって本音っぽく伝わるような気がしたし、どこか説得力があるなと思ったんです。翔吾が記憶のない実の父親と仁一への思いを吐露する、ハードルの高いシーンですが、お互いがこれまで抑えていた感情をぶつけ合うことができたシーンになったと思います。
――横浜さんは本作で翔吾を生きてみて、どんな思いが残りましたか?
横浜:自分の夢の一つだったボクサーとして生きるということを、翔吾という役を通して叶えることができましたし、その景色を見られたのはこの仕事でしか味わえないので、とても幸せな経験をさせてもらいました。リングに立つときは孤独だけど、支えてくれる仲間と一緒に見ることのできた景色だから、より幸せに感じたのかなと思います。自分一人だけの力じゃないということは大事にしたかったところなので、世界戦の最後に翔吾がある行動をするのですが、それは僕のアイディアなのでぜひそこにも注目していただきたいです。
――「今をどう生きるか」といった原作のテーマについてどのように考えますか。
横浜:自分の全てを「今」に捧げた翔吾が失ったものは大きかったけど、それ以上にこれから先もきっと得るものがあると思うんです。そこがこの映画のゴールという認識があったし、翔吾のように全力で何かに打ち込めることがあるのは素晴らしいことで、それを全うしてちゃんと燃え尽きることができる「今」があるのはいいなと思います。
佐藤:映画や文学だと、刹那的という言葉は非常に肯定的な意味合いを持っていて、ある種、美的なものにさせられることが多いんですよね。でも、刹那的には悲しさもあって、その時はそれでいいのかもしれないけど、そこからの生き方の方が長く苦しくて大変なこともある。その中でまた新たな発見があったり、美しさがあったりする。そんな風に、いろいろな意味で逆説な部分もとらえながらこの作品を見てもらいたいなと思います。
だれもが道半ば
――本作を見て、自分の夢の諦め時や引き際についても考えました。お二人にも、自分が人生を賭けた「今」や「夢」が終わった後の不安や恐怖はありますか?
横浜:僕も同じような思いはありますが、目の前にあることが大切だと思うんです。先のことばかり考えて、今、目の前にあることを見失ったら意味がないですし、もちろん将来について考えることも大切だけど、それよりも「今、自分がどうしたいのか」という気持ちを一番大切にしたいなと思っています。
佐藤:一概には言えませんが、だれもが道半ばなんですよね。自分の人生、大願成就してやりきったと思える人なんてほとんどいないですよ。だけど、それで良しとする時も必要なんだと思います。それは必ずしも人生を諦めたわけではないし、また別なことができるほど残りの人生は長くないかもしれないけど、自分の中でちゃんと腹のくくり方ができるかどうかで、また別の新しいものが見つけられることもあるんじゃないかと思います。僕は映画のラストシーンの翔吾の表情を見て「あぁ、ちゃんと完結したな」と感じました。「この男は今後の人生を生きていく中で、もうノックアウトされることはないだろう」という顔をしていたんです。