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「ホラーの帝王」スティーヴン・キングが原点回帰、中国・スウェーデンの「キング」作品と読み比べる

超能力をテーマに「帝王」の本領発揮

『異能機関』(白石朗訳、文藝春秋)を読んでいる数日間は幸せだった。寝食を忘れるほど巨大な物語にどっぷりと浸り、登場人物たちとともに人生の大切な瞬間に触れる。キングは一貫してそうした体験を与えてくれる稀有な作家だったが、魔術的な語りの力はデビューから約50年を経過した今もまったく衰えず、いよいよ円熟味を増している。「これこれ、この感じを味わいたくてキングを読んでいるんだよ」と、ページをめくりながら何度も呟いてしまった。

 物語は元警察官のティムが、サウスカロライナ州の田舎町デュプレイに流れつき、夜まわり番の職を得るところから幕を開ける。過去のある男が警察署長ら町の住人と交流を深め、徐々に信頼を獲得していくさまが、キング一流の生き生きした筆致で描かれていく。冒頭に登場した後はしばらく出番のないティムとデュプレイの住人たちが、どのような形で本線に合流してくるかがひとつの読みどころである。

 本線というのは、謎の研究所に囚われた子どもたちの友情と冒険の物語だ。12歳で難関大学の入学内定を勝ち取るほどの神童ルークは、家に侵入してきた男女によって両親を殺され、拉致されてしまう。ルークが目を覚ましたのは見慣れぬ施設の一室で、そこには同じようにアメリカ各地から誘拐されてきた少年少女がいた。子どもたちの共通点は、皆ささやかな超能力を持っていること。研究所の大人たちは甘い言葉を囁きながら、残忍なテストをくり返す。果たしてこの機関の目的とは? ルークたちは生きてこの施設を出られるのだろうか?

 デビュー長編『キャリー』以来たびたび取り上げてきた超能力をテーマに、『スタンド・バイ・ミー』『IT』などのような、はみ出しっ子たちのサバイバルを描く。いわばキングの得意技が詰まったこの小説が、面白くならないわけがない。胸の高鳴る序盤から、切なく美しいラストシーンまで一貫してずっと面白いが、とりわけ下巻のクライマックス(ティムたちが再登場してから)は巨匠の筆が乗りまくっており、一瞬も注意をそらすことができない。子どもたちvs圧倒的な巨悪という構図なので胸の痛くなるような展開もあるが、キングは力強く誠実な言葉で、すべてのキャラクターの運命を描ききった。久しぶりにキングを読もうかなという人、これからキングを読んでみたいという人にも自信をもっておすすめできる娯楽巨編。物語に浸る幸福を思い出させてくれる、本当に素晴らしい一作だ。

蔡駿の大きなスケールの着想と巧みなキャラクター

 中国のスティーヴン・キングこと蔡駿の長編『忘却の河』(高野優監訳、坂田雪子・他訳、竹書房文庫)にもひとりの天才少年が登場する。

 上海の爾雅学園グループの若き女性理事長・谷秋莎(グー・チウシャー)は小学3年のあるクラスを視察する。そこには漢詩をすらすらと暗唱し、文学史の難解な知識を披露する生徒・司望(スー・ワン)の姿があった。司望の隠された能力に驚いた谷秋莎は、彼を養子に迎え、自らの手で育てたいと考えるようになる。

 司望が大人びているのには理由がある。彼は約20年前、工場の廃墟で殺された高校教師・申明(シェン・ミン)の生まれ変わりなのだ。背後から何者かに刺されて命を落とした申明は、死の世界の「忘却の河」のほとりで孟婆と呼ぼれる仙女に生前の記憶を消すスープを差し出されたが、飲んだスープを思わず吐き出してしまった。そのため申明としての記憶を保持したまま、次の人生を送ることになったのである。かくして司望は、自分の前世を殺した犯人を探し、さまざまな事件に巻き込まれていく。

 蔡駿といえば、以前この連載でも『幽霊ホテルからの手紙』を紹介したことがある現代中国のベストセラー作家。相次いで邦訳された2作に共通しているのは、スケールの大きい着想と、巧みなキャラクター造型、内外の文学作品への言及、そして歴史への深い関心だろう。今回の『忘却の河』はホラーではなく、アジア的な輪廻転生思想を取り入れたミステリだが、市井の人びとがそれぞれ歩んできた数十年の歴史が、物語に濃い影を落としている(このあたりはキング的といえばいえるかもしれない)。ラストで明らかにされる意外な真相も、個人史の絡み合いから否応なく浮上してくるものだ。ドラマチックで、しかも先の読めない物語に翻弄されっぱなし。中国エンタメの底力をうかがわせる長編だった。

マッツ・ストランベリ、後半はド派手な吸血鬼パニック

 スティーヴン・キング往年の名作『呪われた町』では、平凡な田舎町に怖ろしい吸血鬼がやってきた。スウェーデンのスティーヴン・キングと称されるマッツ・ストランベリの『ブラッド・クルーズ』(北綾子訳、ハヤカワ文庫)では、スウェーデンとフィンランドを毎日往復する大型クルーズ船に吸血鬼が乗り込んでくる。逃げ場のない空間で1200人の乗客はどうなってしまうのか?

 物語はいわゆるグランドホテル形式で、クルーズ船に乗り合わせた乗員乗客のドラマを、多視点描写で綴っていく。孤独な人生を送る老婦人。養父母とクルーズに参加したベトナム出身の少年。ボーイフレンドにプロポーズすることを決意した庭園設計士と、その行方を見守るスタッフたち。船内のカラオケ・バーで客にお世辞をふりまく往年の流行歌手。クルーズ船という華やかな空間で、自らの人生を見つめ直すことになる人びとの物語は、ほろ苦くて愛おしい。さまざまな人生経験を積んできた大人の読者であれば、このあたりは一層楽しめると思う。

 あまりホラーらしいことが起こらない上巻から一転、下巻はド派手な吸血鬼パニックものになる。キングの『呪われた町』では人知れずじわじわと町を侵略する吸血鬼が描かれていたが、海上を舞台にしているせいか、本作の吸血鬼は自らの正体をほとんど隠そうともしない。どんどん惨劇が起こり、ねずみ算的に吸血鬼が増えていく。

 パニックホラーの勢いを重視したためか、後半やや駆け足になってしまったきらいはあるが、凶悪な不死の怪物が暴れまわるホラーが読みたい、というファンの欲求にはしっかりと答えてくれている。解説によればストランベリには他にも多くのホラー作品があるようなので、蔡駿同様、翻訳紹介が進むことを期待したい。

 ところでキング作品といえば、本が弁当箱のように分厚いことも特徴のひとつ。『異能機関』は2段組で合計700ページという大作だが、キングにしてはまだ大人しい方だろう。ちなみに『忘却の河』は上下巻合わせて850ページ超、『ブラッド・クルーズ』は同じく上下巻で約800ページもある。各国のキングと呼ばれるにはまず、これだけの大長編をものする必要があるようだ。