物心ついた時から実家の車の中には、成田山新勝寺の交通安全札がある。毎年新しいものにしているので、年が明けるたびに我が家では、誰かが成田山詣でをすることになっている。そんなわけで私はずっと、成田山と因縁が深い平将門を祀る、神田明神界隈を避けている。いわれを知らなかった当時は立ち寄ることもあったが、知ってしまったらもう、戻ることはできない。
迷信と笑われても避け続けてきたが、先日何十年かぶりに、神田明神の鳥居前を横切ってしまった。なぜなら3軒隣にある、再燈社書店に立ち寄ってみたかったからだ。再び燈すという名前の由来を知りたかったし、一体何を燈すというのか。

通りから店内が良く見渡せるガラス張りの入口は、ロイヤルブルーのひさしがアクセントになっている。キレイな色だなあ。そんなことを思いながら中に入ると、店内中央の平台には、さらに色があふれていた。
た、楽しいと目が言っている……。まるでシュウジ・イトウ(「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」の登場人物。「〇〇と、ガンダムが言っている」が口ぐせ)のごとき状態に陥っていると、「ここにあるカードと封筒は自由に組み合わせて、箱詰めすることができますよ」と、店主の中村達男さんがそっと教えてくれた。

「『神』と『紙』は響きが同じ」
中村さんは、日本橋にある紙製品をあつかう会社の7代目。創業は1806年(文化3年)と、実に200年以上の歴史を持つ。かの喜多川歌麿が亡くなったのも1806年ということで、当時のお江戸と紙は、切っても切り離せない関係だったようだ。中村さんの会社も雁皮紙と呼ばれる高級和紙から庶民のための千代紙など、和紙製品の販売からスタートしている。
中村さんが代表となったのは約20年前で、きっかけは先代が急逝したことだった。幼い頃から家業を継ぐことは意識していたものの、急な事態だったゆえ、大学を休学。長年勤めてきた社員たちに教えを乞いながら、7代目を継ぐことになった。
時代は移り変わって令和になっても、心電図の測定などに使用する「記録紙」などを販売していたものの、徐々に紙の需要は落ち込み始めていた。そんな中で起きたコロナ禍やペーパーレス化の推奨などで、紙が求められる機会はさらに減っていった。
どうしたら人々に、紙に触れ続けてもらえるのだろう。コロナ禍まっただ中だった2021年、中村さんは紙と縁が深い存在である、本を扱う店を始めようと決意した。
「やめた方がいいという意見もありましたが、多くの『やってみたらいいと思う』の声に押されて、すぐに準備に取りかかりました。老若男女、さまざまな人が行き交う場所を探していたところ、今の物件と出会いました。神社巡りをする方は伝統文化が好きな方も多いし、何より『神』と『紙』は響きが同じですよね。家賃も折り合ったし、大通りに面しているので通りすがりに気付いてもらえる。だからこの神田明神の並びに本屋を作ることを決めました」

紙や東京をベースに広がる本の品揃え
約1年の準備期間を経て、2023年1月にオープンした。約15坪の店内に、約3000冊の在庫が並ぶ。これまで書店を手がけた経験はなかったものの、紙を通して付き合いがあった日版に問い合わせたところ、小規模書店の開業支援をしていることがわかり、本を仕入れることがかなったという。
棚と棚の間は職人さんが手漉きをした越前和紙で仕切られていて、棚そのものも本屋定番の木材ではなく、ガラスになっているところに個性があふれている。確かに本は重いので、強度があるガラスならしっかり支えることができる。
「これまでにない、新たな価値観による場所を作りたいと思いました。そんな気持ちもあって、とにかく大きな紙と、紙という自然素材との対比としてのガラスやアクリル、タイルを使っています。レジ前の壁面にある桧垣紋のタイルは、職人さんが一枚一枚、手で貼り付けたものです」

確かに、居合わせたお客さんの多くが、縦と横に巡らされている和紙に興味を示していた。紙を知り尽くしながらも中村さんに書店員経験がないからこそ、自由な発想から生まれた空間なのだろう。なるほど、と思い棚を端から眺めてみる。紙に関するものや手紙の書き方はもちろん、色や言葉、文章がテーマの書籍が目に付くのは、紙と関係が深いからだろう。
東京や散歩、グルメなどの街歩きに関するものや、本屋や神社に関するものも並んでいるが、ガチすぎないオカルトやビジネス系、離島に関するものもある。なんだか、ある誰かの頭の中を見ている感覚がよぎった。
「確かにビジネスは僕自身の経営者目線から集めましたが、オカルトは民俗学的な視点から、手に取る方が多いようです。離島や移住をテーマにしたものは、本を通して忙しい現実から離れる瞬間を味わって欲しいなと思ったので置いています」
1冊で離島と本屋の両方を知ることができる拙著『離島の本屋』も置いてくださっていて、思わず嬉しくなってしまう。選書は中村さんだけではなく、現在6人いるスタッフもかかわっている。そのうちの一人で4月から働いている寺田智美さんの前の職場は、学校図書館だった。寺田さんの参加で、セレクトの幅が以前より広がったそうだ。

紙にペンでしたためる習慣に再び光を
紙製品の会社が手掛けているのだから、ノートやメモ、お隣を意識した御朱印帳なども置かれている。そのいずれも牡丹や唐草、桜に瓢箪など、これまで千代紙として使われていた図柄が表紙にあしらわれている。ノートも通常のタイプに加えて糸閉じや、背が解放されていてサクッと180度開くコデックス装など、さまざまな種類が並んでいる。
最初に目に飛び込んできた80種の小さなカードと30色の封筒を組み合わせて箱に詰める「はこか」は、再燈社書店のオリジナル商品。便箋と封筒で手紙をしたためる機会は少なくなったけれど、贈り物をしたり、そのお礼をしたりしたときに、ちょっとしたカードを添える習慣は2025年現在も消えていない。だったら好きな柄と好きな色の紙を送れば、お互いの距離がより縮まるのでは。そんな中村さんの思いが、小さな四角に込められていることが伝わってきた。

「店のオリジナルは、『はこか』だけじゃないんです」
中村さんが指し示したレジの横に、40種のしおりが並んでいた。このしおりは1000円買うごとに1枚選んで無料でもらうことができる。ポップでカラフルなものは「タント」というファインペーパーでできていて、白地のものは「羊皮紙」やエンボス加工された「レザック」など、それぞれに手触りが違っている。見た目の鮮やかさか、触り心地の面白さか、選ぶのに悩んでしまうだけではなく、「こんなに違うんだ……」ということにも気付かせてくれる。紙は文字にするとたった2文字で終わるけれど、本当に「神」なのではないかとすら思い始めてきた。

オープンして2年が経過したが、ふらりと立ち寄る人もいれば、SNSなどを見て訪れる人もいる。本と紙製品、どちらが突出して売り上げがあるわけではなく、両方買っていく人の割合も多いという。今後はフェアや選書サービスなど、これまで手がけてこなかったことにもチャレンジしたいと、中村さんは言う。
中央の平台は可動式ではないものの、通路の幅は確保されているので、椅子を並べればイベントもできそうだ。大きくとられたガラスのウィンドウ越しに人が集まっているのを目にしたら、気にして足を止める人もいることだろう。そうしていくうちに店名にもなった、「紙の文化に再び火を燈したい」の思いを受け取る人が、1人また1人と現れていくかもしれない。
メールやチャットは一瞬で届くけれど、速さゆえに言葉はすぐに溶けていく。だけど紙にしたためた文字は、100年以上留まり続けることもある。即効性はなくても、じわじわ効いてくるのだ。もともと好きだった紙への愛情が、再び強まってきた気がする。この週末は久々に誰かに、手紙を書いてみようと思う。
中村さんと寺田さんが選ぶ、手と目で楽しみながら読みたい3冊
●『東京の美しい本屋さん』田村美葉(エクスナレッジ)
世界をどう切り取るかで書店のあり方は全く違うものになります。テーマ性のある書店、人が集まる場としての書店、自分と向き合うための書店。きっとあなたにぴったりの書店があります。
●『三島由紀夫レター教室』三島由紀夫(筑摩書房)
三島らしい強い身体性のある文章を下地にお送りする男女5人の手紙のやりとり。作中の文章はすべて手紙で構成され、手紙を通して物語が展開します。時に愛し愛され、時にくんずほぐれつの乱闘へ。次の手紙が気になります。
●『暮らしの図鑑 紙もの 集めて、使って、愛して 12人の楽しみ方×かわいい紙もの120×基礎知識』暮らしの図鑑編集部編(翔泳社)
ラッピングペーパー、マスキングテープ、レターセット、壁紙……。あらゆる紙への愛があふれる1冊。紙を扱う店舗から紙を作る工場の紹介、紙の歴史までを写真と共に紹介。紙がもっと好きになる一冊です。
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