1. HOME
  2. コラム
  3. 信と疑のあいだ コロナ後の世界を探る
  4. 父に連れ出されたチロ 青来有一

父に連れ出されたチロ 青来有一

イラスト・竹田明日香

 横断歩道でイヌを連れ、信号待ちをしている人を時々見かけます。イヌはきちんとしつけられているのでしょう、飼い主のかたわらで行儀よく待っています。飼い主がうらやましくなるのはそんな時です。

 小学校2年生の頃、スピッツの仔(こ)犬を譲り受け、家で飼ったことがありました。

 純白の毛が長い、愛玩用の小型の室内犬で、昭和の一時期、この犬種は流行(はや)ったようですが、キャンキャンと甲高くよく吠(ほ)えるせいか、今は見かけなくなりました。

 当時、イヌは番犬という考えが一般的で、父も母も愛玩用の小型犬の知識はなく、夜も外につないでおくものと思いこんでいたはずです。

 「チロ」と名づけたそのスピッツも、はじめは室内の段ボール箱で育てましたが、成長すると玄関先の犬小屋に鎖でつないで飼うようになりました。

 純白の毛は雑巾のように灰色にくすみ、甲高い声で吠え、木造の家々が密集した地域で近隣から苦情もありました。チロもストレスがたまったのでしょう、頭をなでようとした女の子を噛(か)み、それをきっかけに父が保健所に連れていきました。

 小学校2年生の頃の今も胸が疼(うず)く記憶です。父も母も可愛がっていたので、困り果てた揚げ句の決断だったと思います。

 二度と犬は飼わないと誓ったあの日から半世紀以上が過ぎ、今ではイヌを連れている人をうらやむイヌ好きという鬱屈(うっくつ)した人間になりました。

 先日も横断歩道で信号待ちをしているコーギーを見ました。三角の両耳がぴんと立ち、手足は短いけれど胴は太く、全体としてがっしりとして、そっとかたわらから顔を見たら、イヌも気配を感じたらしく、一瞬、目が合いました。大粒の黒真珠を思わせる利発そうな目になにかが閃(ひらめ)きました。

 イヌは二度、三度、シッポを振ったのですが、自分の飼い主を急に思い出したのか、飼い主をちらりと仰いで、こちらは無視して、なにもなかったかのように前を向きました。

 見知らぬ人間の好意の視線に喜んだものの、そばにいる飼い主をはっと思い出して、無関心を装った――。イヌのそんな内面の動きを感じました。あるいは人見知りをする内気なイヌだったのかもしれません。

 ナイーブなイヌの「心」に触れた気がしたのですが、ほんとうにそんな微妙な気遣いや戸惑いがあったのか考えると、たちまちアイマイになり、自意識過剰なイヌ好きの、おおげさな思いこみのような気もします。

 カルガモのヒナが親鳥を追って歩く姿は、ニュースでよく見ます。親子の愛情を感じる微笑(ほほえ)ましい姿ですが、ヒナは卵から生まれた瞬間に見た動くものを親として認識し、ひたすらそれにくっついていく本能があるそうです。

 風船やオモチャの自動車を追いかけるヒナたちの映像もありました。

 親鳥も数は認識できないので、ヒナが一、二羽消えてもわからないと言われています。

 動物の行動は生まれつきの本能に、刺激とそれへの反応が複雑にからみあった結果で、精巧で複雑な機械だと考えた方が、正確に理解できるという考え方もあります。人間と同じような愛情や心があるように考えるのは、動物を擬人化して解釈しているだけかもしれません。

 それなら、動物に心はないのかと問われたら、そもそも心とはなにかという難問中の難問にすぐにぶつかり、これもよくわからなくなるはずです。

 遠い日の父に抱かれて家を連れ出されるチロの不安な心を思うことがあります。愛情と非情がからみあっていたはずの父の心を考えもします。

 傷つけたという記憶は、正しく優しく生きるためには簡単に失ってはならないのかもしれません。もしかしたら、その疼きが、人間としての「心」なのかもしれません。=朝日新聞2023年10月2日掲載