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まわる地球、不動の「私」 青来有一

イラスト・竹田明日香

 冬の寒さが和らいだ朝、カーテンを開いたらまぶしさに思わず顔を背けました。陽射(ひざ)しがまっすぐ目に飛びこんだのです。

 南向きの畳の部屋は奥のふすまも、東向きに置いた仏壇も、朝日に照らされていつになく明るく、菊の花の黄色がひときわ鮮やかです。ロウソクに炎をともし、線香をあげて合掌していると背中にほんのり暖かさを感じました。

 夏には強烈な陽射しでベランダは熱く感じるほどになりますが、朝夕の陽射しが部屋の奥まで照らすことはなく、夏と冬の太陽の高低差に今さらのように気がつきました。

 その日の夕刻、日課となったウォーキングにいつもよりいくらか早く出かけた時、もう一度、太陽のまぶしさに目を細めることになりました。毎日のルートをたどり、南西の方向に続くまっすぐな国道に出た時、夕方の太陽の光が目に飛びこんできたのです。

 大学のキャンパスにそびえるクスノキの枝葉の木漏れ日でしたが、とてもまぶしくて、逆光の中に黒い手の骨のような幹と枝の影が見えました。

 透明な半球体を伏せ、斜めに切れ目を入れたような、太陽の軌跡を示した図を理科の教科書で見たことがあると思います。

 長崎市では春分・秋分の日の太陽は、地面から約57度の角度で最も高くなり(南中高度)、夏至の日は約80度、冬至の日には約34度が南中高度になります。夏至と冬至では、太陽が最も高くなった時の角度が約46度も違います。

 朝日も夕日も、夏より冬がずっと低い位置から射してくる。夏には家の奥まで届かない陽射しが、冬には届き、普段と変わらない暮らしの中で太陽のまぶしさにはっとするのもそのためでしょう。

 実際には地球は自転しながら太陽の周りを公転していて、しかも地軸は傾いているので、太陽系の外から眺めて、この現象を理解しようとすると、ちょっと考えこむかもしれません。

 これも太陽系の模型を見ながら解説を聞くとわかりはしますが、私たちの実感はまだ「天動説」。太陽が平らな大地を出たり入ったりしている感じではないでしょうか。

 科学の認識に実感はなかなかついていけません。リンゴが落ちるのを見て、地球と引き合っているとは考えない。モノみなが互いにくっつき合おうとしている世界で暮らしているなんて想像もあまりしません。

 「万有引力の法則」だけでなくニュートン力学の「慣性の法則」も同じで、「力が加わらなければ静止しているものは静止し続け、動いているものは永遠に動き続ける」というのもピンときません。止まっているものが急に動き出すことはないにしても、動いているものもそのうちに止まるというのが、素朴な日常感覚でしょう。

 摩擦も抵抗もゼロの宇宙空間を想像したら納得はできます。星もまったく見えない暗黒の宇宙を慣性飛行していたら、自分が静止しているのか、動いているのかもわからなくなるはずです。実際、地球が猛烈な速度で自転をし、太陽の周りを動いているなんてほとんど忘れている。忘れていないとめまいがしそうです。太陽や月、星との関係でその事実を理解しても、やはり実感は「天動説」で、「私」の立ち位置は不動です。

 そんな「私」なる存在をふっと孤独だなあと感じたのは、宇宙だの暗黒だの永遠だの、あまりにとりとめもないことを想像して淡い虚無に誘われたからでしょうか。

 まぶしい夕日に向かって息を切らしてウォーキングをしていたら、3人のランナーが追いぬいていきました。地元企業のマラソン部の選手で、時々、練習で走っている姿をそのあたりで見かけます。

 今年の元日のニューイヤー駅伝でも大活躍した彼らは力強い足取りで逆光の中にたちまち消えていきました。=朝日新聞2024年2月5日掲載