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小川哲さん「君が手にするはずだった黄金について」インタビュー 主人公は自分「承認欲求ってよくわからない」

小川哲さん=家老芳美撮影

「俺って変わり者だったんだ」

――以前のインタビューで「小説を書く時にはなにかひとつ新しいことをすると決めている」とありました。本作に対しての新しい挑戦は。

 やはり、主人公を自分にしたことですね。この本のテーマは「小説家を主人公に据えて、小説とは何かを書く」だったのですが、だったら架空の小説家より「小川哲」にしたほうがより迫って書けると思って。これまでは、満州とかクイズとか、自分の全く知らない世界を調べながら書いてきました。今回は、自分の持っているものの中で書くので、一見ラクに見えるかもしれませんが、そういう小説っていっぱいある。その中で、作家性をどう出すかっていうのがチャレンジでしたね。

――自身を書く難しさや、新しい気づきはありましたか。

 小説って、自分も含めた出来事や感情を、距離を置いて見られる人じゃないと書けないと思うので、じつはそんなに難しさは感じませんでした。ただ、この作品のプルーフの感想に「変わり者の視点で面白かった」という声があって、「俺って変わり者だったんだ」と、そこは意外でしたね(笑)。ひねくれてる、とか、めんどくさい、と言われることはありましたが、ここで書いたような僕の考えは誰しもが持っていて、でもいちいち考えててもしょうがないと目をつぶって他のみんなは生きてるんだろうなと思ってたら、考え自体がみんなと違っていたとは……。

小説を書く理由は「推敲したいから」

――「プロローグ」で、エントリーシートが書けない大学院生の小川哲は小説を書き始めます。実際の小川さんが小説を書き始めたきっかけは?

 経緯はほとんど「プロローグ」に書いた通りなんです。博士課程に進んで、そのまま大学教員になろうと思っていたのですが、そのうちにそれも会社勤めとあまり変わらないことが分かってきた。僕は満員電車に乗ったり、誰かの命令を受けたり、誰かと一緒に働くというのがとにかく無理だったんです。「一人で完結できる仕事」といえば漫画家やシンガーソングライターなどがありますが、僕にその才能はない。でも、小説ならいっぱい読んできたし、書けそうだなと思って。

――小説を読むことと、書くことはまた別物だと思うのですが、実際書いてみてどうでしたか。

 他人の小説を読んでいて、ここはいらないなとか、このギャグがスベッてるとか、この描写がクドいとか思うことがしょっちゅうあって。ということは理論上、僕の書いた小説を、読者の僕が厳しい目で判定して直していけば、少なくとも僕から見た「いい小説」はできあがるはずだと思いました。今でも、推敲が楽しくて書いているところがありますね。遠慮なく直していい原稿を自分で頑張って用意している感覚です。

――「プロローグ」の中で、主人公は小説を書き始めてから恋人の美梨に会う気になれません。「小説を書くことと、美梨と会うことは、人生において同じ部分に存在している」から両立しないのだという推測を立てますが、これは小川さん自身の実感ですか。最近、漫画家・山本さほさんと結婚されましたが……。

 なかなか慎重に答えないといけない質問(笑)。僕はシングルタスクの人間なので、なにか夢中になったり、エネルギーを注ぎ続けたりというのがひとつしかできない。小説も恋愛もどちらも大きい部分なだけに両立が難しい。とくにあの頃はそうでした。今も小説を書くことが一番大事なことに変わりはありません。でも(山本さんが)それを一番に置きながらも一緒にいられる相手だったということですかね。相手も同じ作家業だというのもいいのかもしれません。

小説家は「本物になれない人」

――表題作の「君が手にするはずだった黄金について」は、「何者かになりたい」という思いに囚われた高校の同級生・片桐が登場します。片桐は詐欺行為で金を集め、SNSで派手な生活ぶりを発信しますが、主人公の「僕」は、小説家も片桐と同じく虚構を売り買いする偽物ではないかと感じます。

 小説家って本物になれない人がやる職業なのかもしれない。本当に人を好きになったり、熱中したりしているときってそれをわざわざ言語化しようという働きが生まれないじゃないですか。でも小説を書くってそういうこと。一歩引いて状況とか感情を分析して、言語化して……。僕は、村上龍さんの作品って、ずっとそのことを書いている気がします。すべてを外から見ているスペクテーター(観客)なんですよね。

――「君が手にする~」は承認欲求がテーマ。小川さんご自身も承認欲求に囚われることはありますか?

 それが実は承認欲求ってよくわからなくて、それを知りたくてこの小説を書きました。

――そうなんですね。直木賞や山本周五郎賞など、数々の賞に輝く小川さんですが、通常であれば承認欲求が満たされるそのとき、小川さんはどう感じているのでしょうか。

 ぼくは「いい小説だ」って誰かに言ってもらうためじゃなく、自分がいいものを書けたって思うために小説を書いています。逆に自分が納得できていれば、他人に何を言われようがあまり気にならないですね。賞というのは選考委員の方々の価値観で決まるわけなんで、受賞したか否かは作品の価値とは関係ない。落選したら、ああ好みじゃなかったのかなと思うくらいです。多くの人に読まれないと作家という職業は維持できないので、そういう意味では受賞は重版がかかったり宣伝したりもしてもらえるのでありがたいことですけど、「ラッキー」って思うくらいです。

 『地図と拳』で直木賞を獲った時、いろんな人に「すごいですね」と言われましたが、すごいのは受賞した俺じゃなく、1年前、あれを書き上げたあのときの俺なんだって思っていました。僕が「やったぜ」って思うのは、いいものを書けたとか、書いたものに全力を尽くせたと自分が思うとき。自分を承認するのは自分なんです。

 「君が手にする~」の片桐を書いてみて、他人に自分の承認の基準を任せてしまう人が一定数いるんだなと感じました。自分で自分を認められないから、他人に基準を任せてしまう。それが過度に進むと、他人から見た自分と現実の自分のギャップを埋めるためにウソをつき続ける羽目になってしまう。悲しいことですよね。

――では、自分で自分を認められるようにするには、どうしたらいいでしょうか。

 やはり自分が何がしたいか、どうありたいか、基準を自分で設定できるといいですよね。他人から「すごい」とか「成功している」とか認めてもらうのを目標にしちゃうと、どんどん虚構になっていく。他人からうらやましがられたくて高級ずしの写真をSNSにアップするんじゃなくて、すごく美味しいからアップするのが本物じゃないですか。もちろん、価値を何に置くかは人それぞれですが、最後の手綱を握っているのは自分自身であることが大切ですよね。

素手で戦って挑戦した作品

――「偽物」では、創作のために取材する立場である主人公が、漫画家から取材される側に回ります。盗作や書き換えなど、取材される側に対しての取材側の暴力も描かれますが、ご自身が誰かを取材して書く時にはどんなことに気を付けていますか。

 取材って、書くことが増えることでもあるけれど、同時に書けないこともいっぱい増えるんです。誰かに話を聞くと、その人を裏切れないし、傷つけられないから、作品が窮屈になってしまうリスクがあるんですよね。そのリスクと、取材しなければ書けないこととを天秤にかけて取材するかどうか決めています。たとえば、ポル・ポトを描いた「ゲームの王国」では上巻を書いた後に取材に行きました。

 また、これまで戦争やテロなどを書いてきましたが、調べ過ぎるとどうしても相手側のロジックに取り込まれてしまう。でも僕が書いているのはスピーチでも伝記でもノンフィクションでもなく小説。誰かの主義主張を自分が肩代わりすることがないよう気を付けています。偽物に徹して、どちら側でもない全方向の外側から物事を見なきゃいけない。それが小説家の一番きついところであり、一番重要なことなのかなと思います。

――あらためて『君が手にするはずだった黄金について』はどんな一冊になりましたか。

 これまでと違い、満州とかクイズとかいう「お土産」がない小説だから、心配ではあります。武器を使わずに素手で戦って挑戦した作品。今日お答えしたようないろんな考えを持って書いたわけですけれど、それがどういうふうに読まれるか、どう広がっていくかも含めてのチャレンジで、どんな一冊になるかはこれからわかることなんだと思います。