作家、佐藤究さんの直木賞受賞後第1作となる長編「幽玄F」(河出書房新社)が刊行された。三島由紀夫(1925~70)の晩年の作品をモチーフに、空にとりつかれた男の数奇な人生を追った物語。構想から5年、三島と向き合った末に何が見えたのか。
はじめに「F104」があった。三島の長編エッセー「太陽と鉄」のエピローグに配された戦闘機の搭乗体験記。死の2年前に発表された文章は、〈私には地球を取り巻く巨(おお)きな巨きな蛇(へび)の環(わ)が見えはじめた〉との一文で始まる。
「精緻(せいち)な淡々とした文体なのにスピード感がある。あんな感じの、速度しかないような小説をいつか書いてみたいと思っていたところに、三島さん関係の執筆依頼がきて。あの謎かけのような一文について、改めて考えてみようと思ったんです」
物語の主人公は2000年生まれの易永透。少年期から、空を支配する重力・Gにひかれ、航空宇宙自衛隊へ。戦闘機F―35Bを操る天才パイロットとして名をはせることになる。
透の名前は三島の遺作「豊饒(ほうじょう)の海」4部作から。壮大な輪廻(りんね)転生の物語の最終巻「天人五衰」の主人公と同じ音を持つ。超音速の世界で空への欲動を鎮めた透だったが、不慮の出来事で自衛隊を辞め、タイ、バングラデシュへと流れていく。ただ、空を目指せる場所を求めて。
透が空にとりつかれた理由は読者に明かされない。他の登場人物からも奇異な目で見られている。狂気を帯びたような透の姿は、晩年、何かにとりつかれたかのように肉体の鍛錬に努め、やがて壮絶な自死を遂げる三島を想起させる。
三島は肉体について「太陽と鉄」の冒頭で記す。〈言葉の記憶は肉体の記憶よりもはるかに遠くまで遡(さかのぼ)る〉。そして、自らの肉体は白蟻(シロアリ)のような言葉にむしばまれた白木の柱のように現れた、と。
「なぜ言葉にむしばまれるようになったかを三島さんは書いていない。最初からそうだったと。本作でもなぜ空にとりつかれたかを探るのではなく、とりつかれた人間がどういう道をたどったか、透に視点を添わせて追っていった」
妄執の先に透は何を見るのか。ともすれば観念的になりそうな物語だが、戦闘機を操る場面の緊迫感、異国の地に現れる癖のある人々、そしてラストのカタルシスまで、エンターテインメント性にあふれている。小説自体が三島の重力圏から抜け出そうとしているかのように。今年4月、雑誌に発表した時は三島の享年と同じ45歳。三島の謎に迫れたのだろうか。
「謎を追えば追うほど、一貫した筋なんて見つからないとわかる。そこが人間の深みですよね。ただ、三島さんの笑顔がふっと見える感じはあるんです。この小説を滑走路にして、近年あまり読まれなくなった三島作品の魅力を再発見する読者がいたらいいですね」(野波健祐)=朝日新聞2023年11月8日掲載