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ジムに通い、自己主張を始めた私の筋肉 「我が友、スミス」石田夏穂さん寄稿

ジムには背中を鍛えるマシンが多くある

 先日、寝ようとしたら、誰かが背中を突いた。刺客かと思ったが、背中の筋肉が動いただけだ。無害な痙攣(けいれん)であるが、ドッ、ドッ、ドッ、と、やけに自己主張する。私はもう寝たかったが、それは背中の筋肉が私をノックしたみたいだった。

 日常生活で背中の筋肉はさほど意識されない。私もジム通いするまでそうだったし、ジム通いするようになってからも「背中を鍛えよう」と思ったのはしばらく経ってからだ。他の部位とは違い、背中の筋肉には「ご利益」がない。脚の筋肉なら階段を上るときに役に立つだろうし、腹の筋肉なら割れたときに嬉(うれ)しいだろう。本当は背中の筋肉にも「猫背が治る」「肩こりが治る」などの効果があるとされるが、なかなかモチベーションが湧かない。

 私が「背中を鍛えよう」と思ったのは、単にそのマシンが多いからだ。ジムが混んでいると、しばしばマシン難民になるが、そういうときは他に選択肢がない。そのころはまだ、なぜ一流どころのジムに背中のマシンが多いのか、あまりわかっていなかった。

 背中の種目は主に「ラットプルダウン」だ。これは頭上に吊(つ)るしたバーを胸許(むなもと)に引っ張るトレーニングである。これで背中の筋肉、すなわち「広背筋」「大円筋」「僧帽筋」等が鍛えられると言われ、確かに十回もやるとしんどいが……ハッキリ言って、背中を使っているのかどうか、よくわからない。背中というより腕が頑張っている気もする。何しろ見えないために、背中の筋肉はそもそも存在しているのかさえ危うい。

 そうして1年ばかりナーナーで「ラットプルダウン」していたところ、あるとき気づいた。会社の重いドアを引いたときに、背中の筋肉を感じたのだ。おお、背中! 初対面のようだ。いるのかいないのか(?)と思っていたら、君は重いドアを引いていたのか。それからというもの、私は意識的にドアを開閉するようになった。「重いドアを引く」もそうだが「後ろ手に引き戸を閉める」も、かなり背中を感じる。背中を感じたいあまり「後ろ手に引き戸を閉める」動作が日に日に過激になって、別に怒ってないのに「めっちゃキレてる人」になる。

 そのころになると、ようやく「ラットプルダウン」でも背中を感じるようになった。毎日のようにやっていると、ひとつの欲望が芽生える。自分の背中の頑張っているところを見たい。こうも手をかけている割に、一度も見たことがなかった。

 これには二つハードルがあって、ひとつは「撮影者を得る」。これはジムの人にお願いするとして、もうひとつは「いまのTシャツからタンクトップになる」。Tシャツでは背中の筋肉は見えない。

 一口に「タンクトップ」といって、背中の筋肉を見るのであれば、後ろが一般的な「H」より「Y」のものがよい。「Y」がなければ「X」でもよいが、それだと何か背伸びしすぎなので、やっぱり「Y」がよい。

 で、そういう「Y型タンクトップ」を買ったのであるが、実際に着ると、全く似合わない。万年Tシャツだった人間にとり、これは裸になったにも等しい。皆さんジムでフッツーにタンクトップを着ているが、こんなに無防備な気持ちなのか。結局Tシャツに戻った。

 私はいつになったら、自分の背中を見られるのだろう。最近は仰向けになると、自分を以前より分厚いように感じるものの、一生懸命やっている割に、未(いま)だ懸垂もできない。しかしもしかすると、背中の筋トレは見えないからおもしろいのかもしれなかった。鏡なしには存在すら怪しいものだから、それがだんだん正体を現すときは、他の部位にはないバーチャル感を伴う。まだまだ自分にはこういう自分の知らない筋肉がついているのだろう。

 上級者の間でも、背中の筋トレは難しいとされる。だから多種多様なマシンが存在すると(勝手に)思っているが、あるとき、そういう上級者の「ラットプルダウン」を見ていたら、あっと思ったことに、正面から背中の筋肉が見えた。そうだ、あそこまで鍛えれば、背中の筋肉も表に出てくる。私もああなれたらなあ。そしたら撮影者はいらないが、やはりタンクトップだ。(寄稿)=朝日新聞2023年11月29日掲載