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「たいへんおまたせしました」中垣ゆたかさんインタビュー ケーキが食卓に上がるまでをユーモラスに描く

『たいへんおまたせしました』(赤ちゃんとママ社)より

食べ物って、いろんな人が関わってできている

――このレストランでは、ケーキの材料作りからスタッフが野外に出て奮闘するので、孫の誕生日はとっくにすぎてしまいます。最高のケーキのための手間と時間の長さがユーモラスに描かれますね。

 最初はハンバーグでお話を作ろうとしたんです。レストランの従業員が海や山へ走り、海水から塩を、牛から肉を……というイメージで描きはじめるとどんどん図鑑みたいになって。「知識の本じゃなく、楽しい絵本にしたいな」といったん制作をストップしました。

 少したって「ハンバーグじゃなく、デザートはどうですか?」と編集者さんに提案され「デザート、いいかも!」と思ったところから再び描き出しました。見た目のかわいらしさと、ちょっとレトロな雰囲気の絵本を作りたかったことからイチゴのケーキになりました。

――材料作りの苦労も描かれ、食育に役立ちそうです。

 僕はただ「おもしろい絵本を作りたい」と思って描いたので、“食育本です”と胸を張れるほど大げさなものではないつもりです。でも「食べ物って、たくさんの人や生き物が関わって、目の前の食卓に並んでいるんだな」と感じてもらえたらいいなと。

『たいへんおまたせしました』(赤ちゃんとママ社)より

――「たいへんおまたせしました」とテーブルに届けられる頃には、おじいさんの髭も長く伸び、孫たちも成長しています(笑)。

 待つ間に赤ちゃんが幼児になっちゃうくらいですから、現実にはありえないですね。そこはファンタジーで(笑)。イチゴを抱いて歌ってあやしたり、応援したり、ちょっとリアルからずらしたところもあります。

 単純に「みんなのおかげで食べることができている」という思いと、「真剣に作っていたらとんでもなく時間がたっちゃった」というジョークみたいなおもしろさを描きたかったんです。

食べ物の奥行きを表現

――中垣ゆたかさんといえば、デビュー作『ぎょうれつ』(偕成社)のように、画面ぎっしりに人や物を描き込む緻密な集合絵が特徴です。『たいへんおまたせしました』では、むしろ広々した牧場や麦畑が描かれていますね。

 アイデアが浮かんだはじめの頃から、牧草地に牛がいてゆったり草を食べているところや、道の先までずっと続く麦畑のイメージがあって。いつものように絵を詰めこむのはやめました。

『たいへんおまたせしました』(赤ちゃんとママ社)より

――牛のお乳から作る生クリームやバターもおいしそうです。

 自分は、子どもの頃、学校給食の紙パックの牛乳がちょっと苦手だったんです。生活科見学みたいなもので牧場へ行って、そこで初めて“牛のお乳”としての牛乳を飲んだとき、給食の牛乳とはまったく別のもののように感じました。おいしくてお腹を下すくらい飲みました(笑)。

 僕のように、食物アレルギーではないけれど「なんとなく給食の牛乳が得意じゃない」という子はいるんじゃないかと思います。「牛乳」が全部ダメなわけじゃなくて、ビン詰めの牛乳や、牛の育ち方でも味は違う。そういった食べ物の奥行きみたいなものを、広々とした絵で表現したかったのかもしれません。

『たいへんおまたせしました』(赤ちゃんとママ社)より

――使われているのは赤・青・黄・緑の4色ですか?

 そうですね。あと白地と黒と。以前からアメリカンコミックのはっきりした配色が好きで、ドクター・スースという人の絵本作品が好きなんですよ。白地を生かした少ない色数やユーモアのある線がかっこいいなと。

 今回はその感じをイメージしていろいろな配色のパターンを試し、最終的に4色にしたのですが、動物を赤や青に塗るのはちょっとだけ抵抗がありました。「誰も止めないけど、本当にいいのかな……」と(笑)。でもありえない色にすることでファンタジーっぽい側面も出せたと思います。

 また、普段は鉛筆のラフをペンで清書しますが、今作は鉛筆の線の勢いを生かすため、あえて鉛筆のままモノクロコピーで線の濃さを調整して原画に。着彩はコピックというカラーインクです。

大病で28歳まで自宅療養、映画漬けからイラストレーターへ

――絵本作家デビューから約10年ですね。

 絵と文の両方を手がけた『ぎょうれつ』でデビューしたのが2013年なので、確かに10年たって11年目に入るのですが、実は福音館書店の月刊絵本「たくさんのふしぎ」2011年9月号で、「おもしろい楽器 中南米の旅から」という写真絵本の表紙と挿絵を描かせてもらっているんです。

 絵本を描く以前は、2005年頃から音楽雑誌や映画雑誌などでイラストを描いていました。「R25」というフリーペーパーに描いていたこともあります。

――イラストの仕事をするきっかけは?

 20代のはじめに大病をして、半年間の入院生活と、28歳まで約5年間、自宅療養の日々を送りました。内臓の機能が落ちちゃって、はっきりした原因もわからないし退院時点では「良くなったから退院」というよりも自宅療養しか他に方法がないという感じでした。疲労感で一日何もできずに横になっている日もあって。

 もともと映画が好きだったので、ちょっと気力が戻ってきてからは一日3本映画を見るようになりました。洋画も邦画も、アジア映画もアニメもなんでも。今思えば幸せな時間でしたね。親もどうすればいいかわからないから、好きにさせてくれている感じでした。

 普通の会社勤めは難しいし、どうせなら好きなことをやろうと思って、2004年頃から手当たり次第に雑誌編集部に電話をかけて絵の持ち込みを始めたのが、イラストの仕事をするきっかけです。

 絵の勉強をしたこともないし、ロック音楽のCDジャケットみたいな抽象的な絵を2枚くらい描いて持っていくとずいぶんいろんな人に呆れられ叱られました。「絵はちゃんとファイルに入れて」「色も塗ってくるんだよ」とかそういうレベルです。あまりにも怖いもの知らずで見ていられなかったのか、怒ったり心配したりと構ってくれたデザイナーさんや編集者さんがいて。今仕事できているのはその方たちのおかげです。

――持ち込み以前に、絵は描いていたのですか。

 絵は描いていなかったです。療養中も何も。大学ではバンドを組んで音楽活動をしていましたし……。なぜイラストを描こうと思ったんでしょう。子どもの頃は確かに絵を描くのが好きだったので、変な自信はあったんでしょうね。

 家に、普段は漫画を読まない父が大人買いした手塚治虫と藤子・F・不二雄の作品集があったので、小学生の頃はどっぷり浸かっていました。イラストを描くようになって、キャラクターがお尻をちょっと突き出して立ったり、片手を上げたりする仕草が手塚治虫っぽいねと言われて、そうなんだ、とちょっと嬉しく思ったことがあります。

 好きな作品の影響はほとんど意識したことないです。ただ映画も漫画も、病気の経験もすべて体の中に入っていて、どこかで作品の中に出ているのかもしれないとは思います。

『たいへんおまたせしました』(赤ちゃんとママ社)より

食べられることが元気な証拠

――食べることは好きですか?

 好きです。こだわりはあまりなくて、カップラーメンみたいなインスタント食品も大好き。甘いものも結構食べますね。今は小さな子どももいるので、少しバランスを気にしつつ食べたいものを食べている感じです。

 病気療養中は、お医者さんに「1食抜いたら死ぬかもしれないよ」「食べることが治療だ」と言われたので、一日3食ちゃんと食べていました。でも「食べなさい」と言われるとかえって食べられないものなんですよね。

 散々検査をしたので「人体って思ったより単純なんだな」「食べたものがすぐ検査の数値に反映されるんだ」と実感があって。栄養が行き届かないときは、髪も爪もなかなか生えないんですよ。食べ物が栄養になれば、体はちゃんと反応するんだな、と。

 やっぱり食べないと生きていけないですもんね。食べられるということが、元気な証拠。食べる意欲があって、自分の手で食べられることが、元気に生きている証拠だと思います。

――ところで、レストランで注文したものが出てこないとき、「今、材料を遠くまで取りに行ってるんだよ」なんて冗談を言い合うことがありますが……。

 そういえばありますね。僕もジュースを頼んだだけなのになかなか来なくて「今、きっと、りんごを木から取ってきてるんだよ」なんて友人と言い合ったことあります。

『たいへんおまたせしました』(赤ちゃんとママ社)より

 例えばレストランで子どもが「まだー?」と言いはじめたら「みんな頑張って(材料を)取りに行ってるよ! もうちょっと待とうよ」と言えるかもしれませんね。絵本『たいへんおまたせしました』をそういうふうに使ってもらっても嬉しいなぁ(笑)。