シドニー・スミス作品との出会いは“ジャケ買い”
――世界で注⽬される絵本作家シドニー・スミス作品の訳を手がけるのは、『ぼくは川のように話す』『おばあちゃんのにわ』(ともに、偕成社)に続き3作⽬ですね。訳のきっかけは?
きっかけは『ぼくは川のように話す』原書の“ジャケ買い”です。インターネットで見た表紙に魅了され、中⾝を⾒たくて取り寄せました。惹かれたのは、逆光の中に、川に立つ少年が浮かび上がるような、光と⽔の表現のすばらしさです。カメラのフレームに切り取られたようなカットや展開に、まるで映画みたいな独特の魅力がありました。文章はカナダの詩人ジョーダン・スコットで、詩的な絵本でした。
版権エージェントに問い合わせたら、その時点ではまだ⽇本の出版社が決まっていないと。少しして翻訳権を取得した出版社がわかったので、ぜひ訳させてほしいと⼿をあげました。拙訳『ぼくは川のように話す』は第69回産経児童出版文化賞の翻訳作品賞を受賞し、続けて『おばあちゃんのにわ』『ねえ、おぼえてる?』を訳す機会に恵まれました。
思い出をめぐる家族の物語『ねえ、おぼえてる?』
――最新作『ねえ、おぼえてる?』は⽂・絵、ともにシドニー・スミスさんですね。
シドニーが絵と⽂の両⽅を⼿がけるのは2作⽬です。お⺟さんとぼくが2人で「ねえ、おぼえてる……?」と交互に思い出を語りあいながら、新しい町へ引っ越した夜と朝を描くストーリー。「これは私の体験から⽣まれた、私の物語です」とシドニー自身が語り、制作は3年がかりだったということからも、彼にとって特別な本なのだと思います。
私が訳したインタビュー記事で、彼はこう語っています。「この本の制作はほんとうにたいへんでした」「2⼈の登場⼈物が思い出を語りあう構成を考えたあと、その思い出にリアリティをもたせ、ほんとうにあったことのように読者に感じてもらうには、わたし⾃⾝の記憶を⽣かすしかないと思いました」「つまり、それまであまり⼈に話してこなかった⾃分の過去を語るほかなくなったのです。おかげで、この絵本の制作はとても難しくて苦しい作業になりました。今のわたしを作っているのに、今まで 35 年間向きあってこなかったできごとを語るのですから」 と。(原田勝訳、偕成社のウェブマガジン「Kaisei web」より)
「光」の表現と、映画のような構成
――自伝的な絵本なのですね。どんなところが特徴的でしょうか。
対話の形式や、場⾯を転換しながらすすんでいく⼿法だとか、構成がユニークだと思います。はじめは家族3⼈でのピクニック、誕生日にぼくが赤い⾃転⾞を買ってもらうなど幸せな思い出が描かれます。次に嵐の場面になり、外で⾬に濡れるピクニック・ブランケットや⾃転⾞が象徴的に描かれます。そしてお母さんとぼくはお父さんと別れ、2⼈で新しい町へ引っ越し、夜から朝を迎える……。
暗いベッドで「ねえ、おぼえてる……?」と過去をふりかえる母子の対話と、過去から現在が交互に描かれ、時間がいったりきたりします。よく⾒ると、朝の光がさしはじめた部屋の中に、幸せの象徴だった⾚い⾃転⾞も青いチェックのブランケットもあって、新生活の中にちゃんと残って存在していることがわかる。読み手は、シドニーの絵に引き込まれ、絵に描かれている世界に、自然に気がついていく……。 非常にドラマ性がある絵本だと思います。
――1ページ、1ページごとに、描かれる場面が魅力的ですね。
シドニーの絵の一番の魅⼒は「光」だと思います。特に、やわらかい逆光の場面は、絵筆でこんなにうまく光があらわせるのかと感動します。シドニーは大学で映画を勉強していたこともあり映像表現に詳しい。どこから光を当て、どう露光させると、どう⾒えるのか、彼にはわかっていて、そういった視覚的な効果を意識しながら絵筆で表現できる。技量と構成力、両方がすばらしいのでしょうね。
『ねえ、おぼえてる?』の中でも、少しずつ部屋が明るくなっていくときの、光の入る向きや描かれ方から、天候、明け方の何時くらいなのかが想像できるんですよね。なかなかすごいことだと思います。
2023年秋にシドニーが来⽇したときの講演では、画材は絵具だけでなく、絵具で描いたものをコンピューターに取り込んでトリミングしたり、加⼯を加えたりして原画を作っているということでした。
“記憶の本質”を描くことへの挑戦
――家族の別れを描きつつも、そこにとどまらない作品なのですね。
自らの体験やそのときの感情がどう記憶され、今の自分につながっているのか……そんなことを考えさせられる本です。
今回シドニーは “記憶”の本質を描こうとしただけでなく、「⾃分の⼈⽣のこの時期がもつ⼤きな意味の根底にあるものを掴もうと」したのだと言っています。(制作目標への)「野⼼が⼤きすぎた」とインタビューでは語っていますが (目標に)“近づけた”手ごたえのような感触はあったのではないでしょうか。
たやすく表現できないものを⾔葉や絵で表現しようとするとき、絵本という表現方法が有効だと、あらためて確認できたんじゃないかと想像します。
――日本語版の表紙のタイトルと著者名を、シドニーさん自身が書かれたというのは本当ですか?
そうなんです。来日時に彼と編集者の間で「書いてみたい」という話になり、ひらがなとカタカナの書体見本をいくつかと、書き順や注意点を英語で書いたものをシドニーに送って、書いてもらったのです。シドニーが丁寧に書いた文字が主⼈公の男の⼦の「きまじめさ」と重なり、結果的にとてもいい題字になったと思います。
YAの翻訳を通して改めて知った「読むおもしろさ」
――翻訳者としての原⽥さんについても聞かせてください。児童文学やYA(ヤングアダルト)を多数訳されていますが、そもそも翻訳家を志したのは?
⼤学卒業後、⼀般企業に就職し10 年近く働きましたが、30 歳ごろ急に「会社をやめよう」と決めてやめてしまいました。でも食べていかなきゃならないし、外国語の国⽴⼤学出⾝なので「塾の仕事なら雇ってもらえるんじゃないか」と……。英語の塾講師として就職したのが 31か 32 歳。何か他の⽬標がほしくて「翻訳ならもしかして自分にできるんじゃないか」と思ったんですね、無謀にも(笑)。塾の仕事は午後だから、午前中に受講可能なクラスのある翻訳学校を探して⾦原瑞⼈さんの講座に出会いました。 半期ずつ5回、全部で 2 年半通いました。
――⾦原瑞⼈さんは YAジャンルの翻訳を⽇本で積極的に始めた⽅ですね。
当時アメリカで生まれたYAというジャンルが定着しつつあるころで、講座で扱う作品もYAが多かったです。YAを読みはじめてしばらくして……例えば⼩学⽣低学年は語彙が少ないけれど、本を読むうちに新しい語彙に次々当たり、わかる語彙数が増え、⾼学年にかけて「読むおもしろさ」のレベルがどんどん上がっていくのが自分でもわかる時期があるじゃない? あの感覚が原書でYAを読んでいくとき再現されたんです。
知っている⾔葉と知らない⾔葉と混じっている英文を読み続けていくと、だんだん解像度が上がるというかストーリーやニュアンスが徐々に深くわかっていく。紙にインクが印刷されているだけなのにワクワク、ドキドキする。すごく新鮮で、不思議な追体験でした。児童文学やYAなら⾃分にもわかるぞと、塾勤務の行き帰りの電車で原書を読むようになりました。金原先生にリーディング(*)の仕事を紹介してもらい、だんだん編集者ともつながりができて出版物の訳をできるようになりました。
*リーディング:原書を読んであらすじや感想・評価等をまとめる業務。翻訳出版の判断材料となる。
――翻訳の仕事に喜びを感じるのは、いつ、どんなときですか。
⼀冊出版されるまで、何回もあります。まず「あ、これはおもしろい!」という作品を⾒つけたとき。出版社に持ち込んで企画が通ったとき。実際に訳しはじめると「⻑いなー」とぐったりすることもあるけれど、訳を進めるうちに「思った通りいい本だ」と実感できるとワクワクしてくる。で、本が出版されたら嬉しい。読んだ⽅から感想をいただいたり、売れればもっと嬉しい(笑)。
逆も全部あるんですけどね。いい作品だと思って持ち込んでも企画が通らなくて。やっと通って訳しはじめたら、思っていたのとは違って(笑)。本は出たけど部数は少ないし売れないし……翻訳だけじゃなかなか食えないし……。でも……本に関わっていると楽しいですよね。おもしろくてやめられなくなっちゃって、翻訳を続けています。
アンデルセン賞受賞作家のこれから
――ところでシドニー・スミスさんの受賞はどのように知りましたか。
ノミネートを知っていたので、イタリアのボローニャで行われているIBBY総会の配信ページに、日本時間の夜11時すぎに繋ぎました。そうしたらちょうど発表のところで。シドニーの顔写真が画面に映り、名前が読み上げられ「おお!」と思わず声が出ました(笑)。
私は運がよいことに、翻訳した本の原作者の中にアンデルセン賞受賞作家がシドニー含め3⼈いるのですが、他の2人、エイダン・チェンバーズとピーター・シスに比べて40代前半のシドニーは受賞時の年齢が若いです。この賞は「その作品群が、子どもの本への永続的な寄与を果たしたと認められる作家・画家に贈られる国際的な賞」です。若くしてすばらしい賞を受賞しこの先どう制作するのだろうと思うけれど「これからどう変わっていくか」の⽅が多分おもしろいんでしょうね。
これも来日講演のときに⾔っていたんですが、彼は⾃分の絵のスタイルを決めない。⼀作⼀作、作品に合わせて画⾵を変えていくことを恐れないんだそうです。普通、画家は⾃分らしい表現を追求し「これが⾃分の絵だ」というものを作りたいんじゃないかと考えていたんですが、彼は“むしろ変えていきたい”と。常に画⾵を変え、作品にあうタッチを選びたい、と⾔っているんですね。あくまで⼀作⼀作、その作品の中で表現したいことを、⼀番ぴったりの表現で、絵本を作っていくということらしいです。シドニー・スミスがこれからどんな作品を出すのか、楽しみですね。