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「民藝のみかた」書評 本流から切り離され静かに存在

評者: 横尾忠則 / 朝⽇新聞掲載:2024年12月14日
民藝のみかた 著者:ヒューゴー・ムンスターバーグ 出版社:作品社 ジャンル:趣味・実用

ISBN: 9784867930526
発売⽇: 2024/11/06
サイズ: 14.9×20.9cm/200p

「民藝のみかた」 [著]ヒューゴー・ムンスターバーグ

 今日の現代美術ブームの背景には、作家の署名を必要とする自我表現としての個人主義があるように思える。
 僕が大衆芸術と呼ばれるグラフィックデザインを起点とした1960年代はモダニズムの台頭する時代で、僕が地方で幼年時代を過ごした頃は土俗的産物として民藝(みんげい)が生活環境を支配していたように思えた。
 民藝もグラフィックも大衆という同根を源流にしていたにもかかわらず、近代デザインを確立するためには民藝はどことなくうさん臭く、この時代から排除されており、土俗的環境からいきなり西洋近代主義に洗脳されたために、僕の内部の民藝的土俗性を追放せざるを得なかった。が、わずかに残った土俗的尾骶骨(びていこつ)によって、あの時代の僕の演劇ポスターが生まれた。
 さて、その時代に民藝がすたれかけた理由は、有名性を否定し、あくまで実用を目的として芸術的な試みを無視したからだ。
 本書の著者が言うように「都市文明の本流から切り離された」ものとして、モダニズムの日陰でそっと静かに、存在していたのである。
 今日の現代美術が観念と言語によるコンセプチュアル全盛なのに対して民藝は、むしろ霊性への覚醒をうながしているように思えるのは、無知愚鈍な魂の発露したものと思えるからだ。霊性の覚醒は知性の否定から生じるものである。つまり知性は霊性を容易に目覚めさせる障害になっているのではないか。
 民藝作家の濱田庄司は作品に署名を入れない。彼は個人としての才能を表現することには興味がない。従って芸術家というより職人と考えている。そして彼の作品は抽象表現主義に先行する無作為によって、今日の現代美術にない、もっと言えば現代美術が無視している民藝の根である人間の魂を反映している霊性、それによって現代美術の先に立ったのではないだろうか。
    ◇
Hugo Münsterberg 1916年生まれ。米国の東洋美術史家。52年に来日し、国際基督教大で4年間教えた。95年死去。