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木内昇さん「雪夢往来」 江戸のベストセラーはなぜ、出版まで40年もかかったのか

新刊小説「雪夢往来」を出した作家の木内昇さん

 雪深き越後・塩沢の風俗や奇談を記し、江戸期のベストセラーとなった随筆「北越雪譜」は40年の時を要して世に出た。木内昇さんの新刊「雪夢往来(せつむおうらい)」(新潮社)は、そんな名著の数奇な運命をたどった歴史小説。江戸の人気戯作(げさく)者が次々と登場し、当時の出版業界の内幕も生々しく伝える。

 物語の中心に据えられるのは塩沢の縮(ちぢみ)仲買商、鈴木牧之(ぼくし)。行商に訪れた江戸で故郷の雪深さを語った際に「法螺(ほら)吹き」扱いされたことから、越後の風俗を書を通して伝えることを思いつく。夜な夜なしたためた「雪話」はやがて、当代の人気戯作者、山東京伝の目にとまり、出版に向けて動き出すのだが……。

 木内さん自身、「北越雪譜」には以前から親しんでいた。「地方の歴史を調べるのが好きで、幻想譚(たん)のような内容が面白いし、雪深いところで暮らす人の営みも面白い。実直な商売をしながら毎晩文をつむいでいく牧之のスタンスにも興味を持った」

 だが、出版に至る曲折については知らなかった。「雪話」の草稿は京伝に始まり、滝沢馬琴に、十返舎一九に、そして京伝の弟・京山のもとに流れていく。戯作の名手たちが一様に興味を持ち、出版の仲介に尽力するのだが、あるときは板元の思惑に、またあるときは仲介者の死に阻まれ、一向に本は出ない。木内さんは、記録魔といえるほど書き物を残した牧之の史料を読み解きながら、その過程を丹念に追っていく。

 「史実に沿って書いたのですが、あまりにも同じことが繰り返されて、書いている私が飽きるほど。でも起きることが同じでも、牧之が年を重ねることで、受け止め方は変わっていったのではないか。そんな心境の変化をすくっていった」
 進捗(しんちょく)の有無を知らせる戯作者からの書状に一喜一憂しながら、家業を営む牧之の生活は淡々と描かれる一方、江戸の出版界はめまぐるしい。次々と生まれる人気作、売れそうな原稿が欲しい板元と書きたいものを書きたい戯作者との駆け引き。現代にも通じる出版界の内幕が描かれる。

 「当時は今よりも戯作者は使い捨てという意識が高かったかもしれません。作品の文化的側面というより、いかに大衆に響くかが優先され、商売に割り切っていたような気がします」

 当時から広く知られた京伝・京山兄弟と馬琴の確執の中で、「雪話」の運命が翻弄(ほんろう)されるさまがスリリングだ。息を吸うように人気作を送り出す京伝、熱にうかされたように「南総里見八犬伝」を書き続ける馬琴、2人の天才の姿を目のあたりにした京山の手によって、「北越雪譜」は世に出ることになる。

 「京山はすごく凡人で、私がいままで書いてこなかった人物像です。身近にいる天才的な人と同じ道を進むのに、ねたみも野心もない。本はどんどん出せているのに、平々凡々だと自覚している。そんな思いが、地元でこつこつ雪話を書いていた牧之と共鳴したような気がします。ただ書くことが生きていることにつながっていた人たちなのではないかと」

 本作の舞台は、今年のNHK大河ドラマ「べらぼう」の主人公、蔦屋重三郎の死後まもない時代にあたる。連載後に制作発表を知った木内さんはこんな期待をかける。

 「江戸の出版物はものすごくレベルが高かったのに安かった。識字率も高く、庶民までが書物を楽しめていた。その辺りの背景ががっちり描かれれば、出版界がにぎわう気がします。本は面白いということを伝えてもらえたら、と思います」(野波健祐)=朝日新聞2025年1月8日掲載