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「佐野洋子全童話」書評 理不尽な話から見える「その人」

評者: 野矢茂樹 / 朝⽇新聞掲載:2025年05月03日
佐野洋子全童話 著者:佐野洋子 出版社:理論社 ジャンル:文学・評論

ISBN: 9784652206638
発売⽇: 2025/03/24
サイズ: 13.5×19.3cm/702p

「佐野洋子全童話」 [著]佐野洋子

 私は佐野洋子のよい読者ではない。有名な絵本である『100万回生きたねこ』を読んだことがあるだけで、しかも感想は「ふーん」というものだった。愛することを知らなかった猫が何回も死に、生まれ変わり、最後に愛することを知って、その生を全うした、そんな話として多くの読者に感銘を与えてきたのかもしれない。だけど、本書に収められた39の作品の一つとして改めて読み直すと、それだけじゃないぞと思えてくる。
 たぶんこれらの童話は子どもには分かるまい。大人の私だってよく分からない作品がたくさんあったのだから。いや、違うな、むしろ子どもの方が楽しめるのかもしれない。へんてこな登場者たち、「ずっとわたしの上に座っていて。ときどき少し、もぞもぞしてくれたらいいの」と、どことなくエロティックな感じを漂わせる台詞(せりふ)は、椅子がゴリラに言った言葉である。あるいは子どもの残酷さ、愚かさ。死んだちょうちょを運んでいるありの行列を見つけ、ふみつぶす「わたし」。赤ん坊の鼻の穴に小豆をつっこんでゲラゲラ笑い、自分の鼻にもつっこんでとれなくなって大ごとになった幼い洋子の兄。こうしたお行儀の悪い描写に、子どもは喜ぶのかもしれない。
 しかし、私はそんな作品の中で戸惑っていた。そしてあるとき、ああ、ここには佐野洋子その人がいるんだ、と気がついた。子どものまなざしと大人のまなざしが、優しいまなざしと意地の悪いまなざしが、いっしょくたになって繰り広げられる、理不尽な登場者たちによる理不尽な話。そこから「愛することのだいじさ」みたいなメッセージを読みとることもできるだろう。だけど、真骨頂はその枠からはみ出てくる佐野洋子という一人の人間なのだと思う。
 もう一度『100万回生きたねこ』を読んでみる。どうも私は佐野洋子への扉を開いたようだ。それは意外と重い扉だったけれど。
    ◇
さの・ようこ(1938~2010)作家。絵本、小説、エッセーと幅広く執筆。『私はそうは思わない』『神も仏もありませぬ』など。