
社会学者の上野千鶴子さんと哲学者の國分功一郎さんが、老いをテーマに都内で対談した。上野さんの新刊「アンチ・アンチエイジングの思想 ボーヴォワール『老い』を読む」(みすず書房)の出版イベント。老いに遠慮はいらない。そんなメッセージが会場を包んだ。
新刊は、「老いは文明のスキャンダルである」という視点に立つフランスの哲学者シモーヌ・ド・ボーボワールの著書「老い」を出発点に、老いを否定する「年齢差別」の風潮に異議を唱え、人生最後の日々を生きる筋道を考えた。対談でも、上野さんは「自己決定、自己責任というのは、いや~な言葉。生まれることに自己決定はない。だったら死ぬことにもない」と強調。また上野さんは「死ぬ権利」が叫ばれる現代だが、実際には、特に女性の高齢患者が、いつのまにか死を受け入れるように同意させられてしまうことがある、とも指摘。性暴力と同様、自発的な同意とは言いにくいという。
「認知症予防」も嫌いな言葉だという。「予防できるなら(認知症になるのは)自己責任なのか。現実には、まさかあの人がという人が認知症になっている」。上野さん自身が「後期高齢者」になり「自分のからだが自分の思い通りになるのは奇跡」「昨日のように今日も続くのがどんなに奇跡か」と語った。「ソクラテスは、哲学は死の練習だと言っている」などと返す國分さんに対し、上野さんは「練習しなくても(死は)きますから」と当意即妙で応じた。
孤独死は怖くないですか――。会場からの質問に上野さんは「1人で暮らしているのに、なぜ臨終のときに誰かが来るの」。80~90歳になれば多くは介護サービスを利用することになると指摘した上で「72時間以内に発見されたらいいじゃない」。老いや死と向き合う上野さんの言葉に多くの人が耳を傾けた。(大内悟史)=朝日新聞2025年7月2日掲載
