誰もが当事者でありえる問題
――『ブスなんて言わないで』完結おめでとうございます。描き終わってみて、今どんな感覚ですか?
ルッキズムは、私にとっては描きやすい題材でした。美醜の問題を一度も考えたことがない人は少ないし、誰もが当事者でありえるからこそ、興味を持って読んでもらえる。色んなキャラクターが現れては悩みを吐露するという物語のフレームができてからはアイデアがどんどん湧いて、「最終回です」と言ったら、読者の方から「まだまだ描けることがあるはずだ!」と言われたり(笑)。見た目は何にでもつきまとうので、描くことが尽きませんでしたね。
――そもそも着想はどこから始まったんでしょうか。
産後太ってしまった時に、「ボディ・ポジティブ」(※社会が押しつける「理想的な体型」に縛られず、ありのままの自分の体を愛そうという考え方)という言葉が流行っていたんですね。メディアで取り上げられるような外見に恵まれた人がそれを言うところに、自己責任を突きつけられたように感じて、当時ものすごく腹が立ったんですよ。まさに主人公の知子でした。最初は本当に社会が悪いという100%の怒りでルッキズムをテーマにしようと決めました。
――「ブスだから」といじめられてきた知子と、「美人だから」と中身を見てもらえない梨花。本作のストーリーは二人のヒロインの考え方の違いや葛藤とともに進みますが、最初に頭にあったのは知子の抱えている怒りだったんですね。
連載中に色んな本を読むうちに、少しずつ私自身の考えも変わっていったんですけどね。ボディ・ポジティブという言葉の背景にある摂食障害の深刻な問題を知った時には、自分は全然思いが至っていなかったなと思いました。
それこそ、はじめは梨花を悪者として描くつもりだったんです。でも、今の風潮的に悪者を描くのは結構難しいし、その上女性を悪者にするのは私がやりたいこととも違う。そんな時に打ち合わせで担当編集者から「ああ、これはシスターフッドの話なんですね」と言われたんです。「そう捉えるのか」と驚きながらも、「私は梨花を敵だと思っていたけれど、わかりあえなくても繋がっている女性たちとして描いてもいいのかもしれない」と考えはじめました。
――善悪二元論ではない方向へ舵を切ったんですね。
私自身、わかりやすいものより「やっぱりなかなか難しいよね」という問題がちゃんと描かれているものの方が、読んでいておもしろいんですよ。言い切って単純化するのではなく、「とはいえ……」という微妙な部分を大切に描けたらという気持ちがありました。
――『ブスなんて言わないで』というタイトルを決める際にも担当編集者とのやりとりがあったそうですね。
たくさんタイトル案を出したんですが、全然通らなかったんです(笑)。私はタイトルで美醜の話だとわかるようにしたかったんですが、担当編集者が「どうしてもブスって言葉を使いたくない」と。そのうちに「ブスという言葉を見るだけで、私はもう嫌なんです!」と言い出して……。私自身は世代なのか心が丈夫なのか、ブスという言葉に何も感じないのですが、世の中の女性には辛く感じる人が多いのかもしれない。じゃあ打ち消すような言葉をつけようか、と考えたのが『ブスなんて言わないで』というタイトルでした。知子・梨花どちらのセリフとしても成り立つなと気づいたのは、後からでしたね。
「構造と主体のジレンマ」を象徴する知子と梨花
――知子と梨花は、同じ美醜の問題に向き合っているけれど、問いの立て方が違いますよね。
そうですね。実は二人の意見はぶつかっていないんです。ずっとずれている。連載中に知ったんですが、社会学や哲学の議論に「構造と主体のジレンマ」という言葉があるそうなんです。その言葉を知った時に、「私が描きたかったのはこれかもしれない」と思いました。
構造は知子の主張ですよね。社会によって、女性は「きれいにならなきゃいけない」という気持ちにさせられているという問題意識です。主体は梨花が言っていること。メイクや美容には楽しさもあるし、私たちはきれいになりたいからやっている。だからこそ「ブスなんていない」と自分たちの意識を変えようというわけです。
構造の話をすると主体を否定することになるし、主体の話をすると構造を否定することになる。だけど、知子と梨花、どちらの意見も全否定はできないんです。いくら社会が悪いと言っても、社会はそう簡単には変わらないし。とはいえ、梨花の考え方が今の社会を前提にしているのは確かなので、梨花が構造の問題に気づくところまでは絶対に描こうと決めていました。
――お話をうかがっていて、知子がデート前に梨花に生まれて初めてメイクをしてもらうエピソードを思い出しました。気持ちが少し弾んだ知子は、それまで気にしていなかった他人のメイクが視界に入ってきたりして。でも、そこで女性だけが化粧していることに思い至り、また怒りが湧いてくる。一人の人間の中の矛盾した感情の流れがしっかりとページを費やして描かれていて、このマンガはとても粘り強く思考しようとしていると感じたシーンです。
今の私たちって、社会の価値観を内面化してしまっているから、知子みたいにいちいち「なんで女の人ばっかりメイクしなきゃいけないんだ!」なんて考えられないですよね。ちゃんと知子の怒りに共感してもらうためには、内面化した感覚を読者に一度取り外してもらう必要があるなと考えたシーンです。当たり前だと思っていることをリセットしないと、構造のいびつさは見えてこないんです。
――知子と梨花のキャラクターを、作者としてはどうご覧になっていましたか。
知子は自分の代弁者だったので、彼女の怒りを描く時には筆が乗りましたね。なんだかんだ言って見た目でジャッジする現代のミスコンに対して「中途半端な〈多様性〉でこれ以上女の子を苦しめないで」と怒るシーンや、「美しい」「醜い」と平気で裁くやつらのほうが「よっぽど化け物だろうが!」と文章を書くシーン。きっとすごく世界を恨んでるんですよね、私(笑)。すらすらでてくる。
反面、梨花のほうは難しかったです。彼女の中にはもっとドロドロした気持ちや、社会の序列を反映した「ブスじゃなくてよかった」みたいな優越感もあるはずなんだけど、描くのが難しくて、コンプレックスのあるブスといい子をやっている美人という対比で描いてしまった。結局梨花の本音を描き切れなかったという反省があります。
――ああ、でもまさに『ブスなんて言わないで』は、色んなキャラクターたちの意見も通して、ルッキズムについてのさまざまな本音に迫ろうとしたマンガでしたね。
私はやっぱり、本当のことに触れたいんでしょうね。綺麗ごとに「けっ」と思ってしまうタイプの人間なので、本音についてはできるだけがんばりたくて。ポジティブで自己啓発的な言葉は世の中にあふれているけど、私はそういう言葉が響かない人の受け皿になりたいと思ってマンガを描いているのかもしれません。
常識を疑って、自分で考える楽しさを知ってほしい
――問題提起のひとつとして、もっといろいろな見た目の女の子を描きたいという少女マンガ家の苦悩も描かれていました。
別のペンネームで少女マンガ家をしていた時期があるんですが、少女マンガはその時の流行をすぐに取り入れるんですよ。制服の着こなしやメイク、髪型……。現場にいたこともあって、マンガは現実とリンクしているという実感がありました。だからこそ規範的な外見を絵柄で描くことに対して、今もマンガ家としての葛藤があります。やっぱり読んでもらえないと意味がないので、難しいのですが。
――そういう意味でも知子の造形は新鮮でした。
痩せたらかわいくなりそうな女の子とか、今までマンガで描かれてきたブス的な記号を描くのはやめようと思っていました。知子は頬骨のところに線があるんですけど、あれが何の線なのか、正直自分でもわからないんです。自分にそっくりだと誰かに思ってほしくないなと思って描いた記号ですね。
――記号だからできることもあるというアイデアですね。
ラブシーンについても挑戦したつもりです。みんな、マンガでもドラマでも美男美女のラブシーンに見慣れていますよね。だったら『ブスなんて言わないで』はそれに対するアンチテーゼをやろうと。背が小さい男性とブスだと言われている女性の恋愛やセックスを、ギャグじゃなくて真剣に描く。そこで世の中の価値観をちょっとでも崩せたらいいなと考えていました。
――結末に向けてはどんなことを考えましたか?
実はかなり悩みました。私自身は別に恋愛で救われたっていいじゃないかと思っているんですが、担当編集者から一貫して「それはどうだろう?」と投げかけられていたんですね。じゃあどうするか。他者の視線を避けて孤独に生きていた知子が外に出てきたこと自体がすごく大きなことだったと思うので、最終的にはそこから考えていきました。どうしても物語って勝手に動いてしまう部分があるのでかなり振り回されましたが、考えるってやっぱり楽しいことですよね。
――思考の楽しさは『ブスなんて言わないで』のストーリーの本質にありますね。
フェミニズムを通して、考え続ける、常識を疑うことのおもしろさを私も知りました。インターネットに書いてあることってわかりやすいし、いかにも正しそうに見えると思うんですけど、本当にそれが正しいのかと、いったん立ち止まって考える作業の方が意外とおもしろい。自分で考えるってすごく楽しいことだよ、とこのマンガからちょっとでも伝わったらうれしいです。