「感情労働の未来」/「死んだら無になる」書評 「知性の根源」ゆえのやっかいさ
ISBN: 9784309254951
発売⽇: 2025/10/17
サイズ: 13.1×19.1cm/244p
ISBN: 9784480805270
発売⽇: 2025/10/16
サイズ: 18.8×1.8cm/176p
「感情労働の未来」 [著]恩蔵絢子/「死んだら無になる」 [著]西村亨
『感情労働の未来』という書名は少しミスリーディングだ。仕事で無理に笑顔をつくり、疲れ果ててしまうような感情労働。それが今後どう変わるかが書いてあるのかと思うと、きれいに裏切られる。感情とは人間にとって何なのか、感情とどうつきあっていけばいいのかを脳科学者がじっくり考えた本である。
理性より下に見られがちな感情だが、著者はこう定義する。「感情は私たちが生物としてこの世界を生き抜くための知性の根源である」。例えばヒモ状のものを目にしたとき、脳の中で感情をつかさどる扁桃体(へんとうたい)が「ヘビかも!」と反応し、身を引かせて安全を確保する。「何だ、ベルトか」と分析できるのはその少し後だ。職業や恋人を選ぶのも感情が大きな役割を果たしている。
他の人間の感情を推測し、それに合わせて振る舞うことができるのも、人間の人間たるゆえんである。だから感情労働が可能になるのだが、この能力をもっと前向きにとらえるべきだと著者はいう。他人の感情の変化を理解し、自分の感情をうまく使って、その場の状況を良い方向へ持っていく。そんな「感情的知性(EQ)」は、言語能力やIQに負けず劣らず重要だという。
とはいえ感情には、他者への依存や偏見という落とし穴もある。自分が感じているのはどういうことなのかに気づくのが大事だと著者は説くが、これがなかなか難しい。
感情というものの扱いにくさ、やっかいさは、小説『死んだら無になる』の通奏低音でもある。主人公は他人の心の中をひたすら推し量ろうとして疲弊する男だ。公園で会った老人が自分に優越感を抱いているのでは、と思って傷つく。ふと知り合った女性が自分に共感してくれるのでは、と過剰に期待する。自らの感情を表現するやり方もぎこちなく、危なっかしい。そうやってだめになっていく主人公は、ある種の感情労働の犠牲者かもしれない。
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おんぞう・あやこ 1979年生まれ。脳科学者、東大特任研究員▽にしむら・りょう 1977年生まれ。作家。