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孤独な宇宙 千早茜

 先月、二度目のウィーン旅行をした。再びのウィーン滞在は素晴らしい時間だったのだが、私は長時間のフライトのただなかで必ずあるイメージが浮かぶことに気づいた。

 それは半分ほど水に満たされた透明な球体で、中に水生植物と小さな魚が入っている。球体が脳裏をよぎるのは、飛行機が無事に飛び立ち、最初の食事が提供される時である。トレイにきちんと収まった食事は温められ食欲をそそる匂いを放っているのに、なぜか私の頭には球体が浮かび「NASA」と思う。

 好き嫌いの多い私と違い、夫は主菜も副菜のサラダもカットフルーツも添えられたクラッカーやチーズも次々と平らげてトレイを容器だけにしてしまった。きれいになくなったなあ、これで飛行機の積み荷も減るだろうと眺め、違うのではと思う。確かに積載物としての食糧は減った。しかし、食べ物はトレイから夫の胃へ移動しただけで、この飛行機全体の重量は変わらないのではないか。考えている私に客室乗務員が食後のアイスクリームを手渡してくれる。軽食にお茶漬けや担々麺、お菓子のご用意もありますと微笑(ほほえ)まれる。フライトの間は飲み物も食べ物もどんどん与えられる。どんどん乗客である私たちの重量が増えていく。

 いや、トイレに行くので排出もしている。となると、また飛行機の積載物が増える。しかし、全体の重量はやはり変わらないのではないか。食べても、出しても、変わらない。そう思うと、奇妙な孤独感に襲われた。大気圏に浮かんだ巨大な物体の中で、外に繫(つな)がらない限られた循環をおこなう小さな虫になった気分だった。

 NASAの開発したものを調べると、人間が宇宙で暮らすためのスペースコロニーの研究過程で生まれた「エコスフィア」というガラス製の球体があった。空気、人工海水、藻と小魚ではなく小エビが入っていて、循環可能な生態系を保っているらしい。子供の頃、科学雑誌で見たことを思いだした。孤独な宇宙を感じて、幼い私は心細くなったのだった。=朝日新聞2025年12月03日掲載