映画「星と月は天の穴」主演・綾野剛さんインタビュー 肉体的表現を抑制した「耳で観る映画」
――前作の「花腐し」と同じく、今作も荒井晴彦監督が脚本を担当していますが、脚本を読んでどんな感想を持ちましたか?
これまでも荒井さんの作家性感度や思慮の深さに惹かれていましたが、今作の脚本を読んだときも衝撃を受けました。荒井さんご自身から出てくるものを素直に作品に投影し脚本化されていて、とても密度の濃い内容であるにもかかわらず、余分なものが一切なく、読み手に筆が迷っている箇所や不安定さを一つも感じさせません。この活字を浴びながら、その言葉の渦に巻き込まれる幸せと、そこに自分の全出力をかけられる喜びを感じました。
――小説家の矢添と、彼が描く小説の登場人物「A」の二役を演じていますが、役にはどのようにアプローチしていったのでしょうか?
小説家であることを基準にしたアプローチもあったと思いますが、今回は「矢添」という人間をベースにしています。前作の「花腐し」は日常的だったので、映画監督などの職業がベースになっていた要素もありましたが、今作は矢添という人物が物語的に描かれています。矢添の全ては脚本に書かれてあるので、僕自身の読解力の解像度をなるべくピュアにクリアにして、その脚本を素直に入れていくことだけを考えました。なので、「脚本をこういう風に読みたい」という理屈も主体的な感情も必要ありませんでした。
――矢添は、自身が執筆する恋愛小説の主人公「A」に自分を投影することで「精神的な愛」を自問し探求しているように感じました。失うことは怖いけれど、それでも求めたいという心情をどのようにとらえていましたか?
とても素敵な質問をありがとうございます。実はその答えは、全てセリフに書かれています。この映画は目で観る映画ではなく、耳で観る映画なのかもしれません。目をつぶって観ても、その人の表情が見えてくるようにセリフが書かれており、声以外の肉体的表現は全てなくしています。セリフを聞いていれば「精神的なもの」に対しての矢添の心情が分かりますし、全てセリフが表現してくれています。
近年は、セリフよりも表情や行動など画と作る作品も多く、特に配信系のプラットフォームなどはそれが顕著かと思います。作品の世界観への没入感として必要な表現方法だと思いますし、僕もそういう作品やアプローチは大好きです。同時に、今作のように抑制された作品で必要なのは、セリフを丁寧に読むということです。
――綾野さんは演じる役ごとに、声質や声色、話し方など毎回「声」が違うと思っているのですが、役へのアプローチも含めて、今回の矢添はどのような声を意識したのでしょうか。
矢添の話す声は、ラジオや拡声器から聞こえてくるような情感がないものを選択しました。この映画の舞台である1960年代当時のニュースなどを見てみると、割とみなさんの声が高くて、ある種のパワーがあったんです。それは当時のマイクの性能によるものとも推測でき、Low(低い)の音を拾えず、High(高い)の音を強く拾っていたのではないか。ということは、僕たちはテレビやラジオから聞こえてくる声しか聞いておらず、その人の本当の声を知らないのかもしれない。なので、矢添の声は一緒に現場にいる人たちだけに届くイメージで、より台詞が鳴く様に空っぽな声にしたいと思いました。
そして、昭和という時代のニュアンスと本作のセリフのマッチングも良かったです。例えば、矢添がバーで田中麗奈さん演じる千枝子に、入れ歯の男について延々と話すシーンがあるのですが、ここで現代的な表現を駆使していわゆる"蘊蓄(うんちく)"を伝えても、女性からすると非常に退屈な時間になってしまいます。肉体の表現を抑制し、ただその声のみで発する言葉によって成立する場面になったと思います。
――映画を拝見し、全体的に文学の匂いが漂ってくるようでした。純文学ならではの少し時代がかったセリフの言い回しもありましたが、それは荒井監督の演出ではなく、綾野さんや咲耶さんのプランニングによって生まれたものだったそうですね。
今作では脚本に忠実に、語尾なども一言一句変えていません。「花腐し」は現代的でしたので、その場のムードや相づちなども入れていますが、今作はそういうものを排除して、どこか紙芝居のようなニュアンスもあったと思います。この作品は先ほども言った「耳で観る映画」だと思っているので、セリフに誠実に接することで役を追及していきました。
紀子や千枝子の反応や言葉遣いがそれぞれ微妙に違っているのも、きっと誘うようにセリフが書かれているのだと思います。セリフの細やかな変化だけで相手の反応も変わる。女性の役者さんたちが素晴らしく演じてくださっているので、僕は皆さんの魅力を邪魔しないように努めました。
――以前インタビューした著書『牙を抜かれた男達が化粧をする時代 』では、その時々の役を介して生まれた言葉が綴られていましたが、今作ではどんな「証言」を残しますか?
あの言葉を絞り出すのはとても難しく、今すぐにパッとはなかなか出てこないです。あれはいろいろなことをねじ曲げさせて出したもので、元はねじ曲がっていないことが多いんです。ですが今回の矢添はすでにこじらせている人なので、出しようがないです。あの本に載せている言葉の数々は、最後まで絞って出てきた綺麗な一滴に、毒を入れたかったんです。
――本作は、荒井監督が18歳のときに原作と出会い、長年映画化を熱望していたそうですが、綾野さんが影響を受けた本を教えてください。
たくさんありますが、初めて意識的に買って読んだ小説は金原ひとみさんの『蛇にピアス』です。自分と同年代の方が芥川賞を受賞されたと知り、素直に嬉しかったです。授賞式もご自身のスタイルで出られていて、心の鎖をドローイングしている様でかっこいいなと思い、すぐに購入しました。僕も当時はいろいろな部位にピアスの穴を開けていました。肉体と心が一致していない時限定の、ある種、強烈なきらびやかさを放ちつつ、そういうものを全部そぎ落として、他の介入を受け入れられるようになりたいという念のような。あとは『ザ・ワールド・イズ・マイン』(作・新井英樹)という漫画です。
――本能のままに暴力を振るい続ける謎の男・モンと、爆弾魔のトシが旅を続けながら爆破テロを繰り返し、警察や日本政府、世界までも巻き込んだ群像劇ですね。
初めて読んだのはずいぶん前ですが、今読んでもまた違う角度から感じる現在進行形の作品で、「人のイマジナリーはなんて豊かなんだろう」と。現実では起こせないことを、頭の中ではこんなに具現化できてしまう。それはある面で暴力的で残酷だけど、とても美しくて豊かですよね。
僕は生きている中で想像力の欠如を最も恐れています。過剰なバイオレンス描写が多い漫画ではありますし、それだけではありませんが、あの世界を生み出せる想像力というのは、日常を見過ごさずに生きているからなのだと感じてやまないのです。生きている間に感じられるものは限られている。僕も日常のささやかな出来事を見逃さないようにしたいと思わせてくれた作品です。