他者の存在から自分が見える 尾崎世界観
四十歳を過ぎた辺りから生活に対する意識が徐々に変わってきたように思う。それで最近、少しずつ家にある要らない物を捨てているのだけれど、いざやってみるとこれがなかなか難しい。必要な物と、そうでない物の差が曖昧(あいまい)で、コレを取っておくならアレも、アレを捨てるならコレもとなってしまうのだ。さらに物と物のあいだに大して繫(つな)がりが感じられず、部屋にあるそれらが、どれもただのガラクタに見えてくる。まるで家全体が、飽きっぽい自分の性格を現しているかのよう。
『もりあがれ!タイダーン ヨシタケシンスケ対談集』(白泉社・1650円)を読んで、改めてそんな自分の持ち物が恥ずかしくなった。本書に出てくるヨシタケさんの持ち物は、どれも本当に魅力的。時にまっすぐ、時になめらかに、物と物が美しい線で繫がっている。
たとえどんなに高級なブランド品を手に入れても、その価値が誰にとっても一緒なのは、価値が「物」自体に宿っているから。一方で、ヨシタケさんの持ち物を一つ一つ眺めていると、価値がそれを持つ「人」自身に宿っているのを感じる。それは「思い入れ」とも呼ぶ。だからせめて、そんな「思い入れ」を持った目でもう一度自分の部屋を眺めてみる。するとさっきまでガラクタだと思っていた物とともに、様々な出来事がよみがえってくるではないか。個性豊かな対談相手との創作にまつわる話も含めて、読むたびに多くの気づきをくれる一冊。
もういい大人だから、誰かに悩み相談をするだけでなく、誰かの悩みを聞く機会も増えた。誰かに悩みを打ち明けることは大事で、まず言葉にすれば、今自分が一体何に苦しんでいるのかが見えてくる。一方で誰かの相談に乗る際も、どの口が言ってるんだよと呆(あき)れながら、自分の口から出た思わぬ言葉につい感心したりする。高橋源一郎『誰にも相談できません みんなのなやみ ぼくのこたえ』(毎日文庫・825円)に収められた数々の悩みを通して、そのことを強く実感した。
そもそも何かを悩みとして悩むには、それなりの時間を要する。ドロっと新鮮な絶望が、ある程度固まってできたもの。それが悩みの正体ではないか。ならばいっそ、自分の悩みを解決するなら、誰かに相談するよりも、誰かの相談に乗る方が早い。そもそも悩みは解決するものではなく、ガムのようにいつまでもクチャクチャ嚙(か)み続けるためにあるのかもしれない。結局答えは自分の中にあるということ。切実だったり、自業自得だったり、思わぬ発見があったり。こうして本という形で誰かの悩みを読みながら、あくまで他人事として客観視することも大切だろう。何かに悩んでいる人は魅力的だし、いつだって、他人の悩みは蜜の味がする。
結局、他者の存在が自分を悩ませているのではないか。この世から誰もいなくなってしまえば、相談相手どころか、悩みそのものが消える。フリオ・リャマサーレス『黄色い雨』(木村榮一訳、河出文庫・968円)に出会ったのはちょうどコロナ禍。先の見えない日々とリンクするこの物語がやけに生々しかった。あれだけ時間があったのに、読み終えるまでにかなりの日数を要したのは、朽ち果てた廃村を彷徨(さまよ)う主人公の息づかいが常に耳元で聞こえているようで、何度もページを閉じたから。それでも、なぜか読むことをやめられない。悩みがなくなれば、今度はそのこと自体が悩みになってしまう。『黄色い雨』には、そんな人間の愚かさが書かれていると思う。そして、ここまで人間の気配を消した小説は、絶対に人間にしか書けないはずだ。=朝日新聞2025年11月29日掲載
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おざき・せかいかん ミュージシャン・小説家 84年生まれ。ロックバンド「クリープハイプ」のボーカル・ギター。著書に『転の声』など。
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