ISBN: 9784163921419
発売⽇: 2026/07/07
サイズ: 12.7×19.4cm/136p
「ソリティアおじさんがいた頃」 [著]村司侑
こんな小説を、こんな文章を、ずっと読んでいたいと思う。惜しみながら最後のページをめくった。
なぜこれほど読みやすいのだろう。中小企業に勤める30代の女性が、職場でソリティアばかりやっていた元社員のおじさんを追想しつつ過ごす、数日間の話。テンポよく区切られて連なる言葉の流れが心地よい。京都弁が自在に溶け込んだ文体のなかに、「かわいそくない」とか「うめえ」といった単語が浮くことなくぴたっとはまっているのが驚異的だ。「ソリティアおじさん」という言葉がそこかしこでリフレインされ、小説全体に独特のリズムをつくりだしているのも面白い。
そして、この小説にはちゃんと経過と蓄積がある。主人公は、動いたり話したり迷ったりした分、ちゃんと疲れる。だから、小説を読む人間とシンクロする。読者が仮想的な疲れを感じる頃合いに、主人公にも実際に疲れが出る。ここにまったくズレがないから、読者は主人公の身に自分を自然と置き続けることができるのだろう。
本書は、技術と工夫と才覚が隅々まで行き届いた日本語の芸術品だが、それに尽きてはいない。主人公は、世の中を達観しているわけでもなければ、周囲を振り回すほど情熱的なわけでもない。矜持(きょうじ)というには大げさだが、それでも、仕事と職場に対する愛着のような、ささやかな誇りのようなものをもち、今後の人生に対して諦めに似た不安を抱えている。本書がひねることなく繊細に描く、そうした心模様とその変化が、なぜか読者の心を軽くする。
主人公の紡ぐ言葉が、読者も共有する感覚――日常が鈍く停滞しているような、手詰まりの感覚――をほぐし、そこにリズムとユーモアを回復させ、生活の呼吸を整えてくれる。私が本書を読み終えたくなかったのは、ずっと読んでいたかったのは、その魔法が解けるのが惜しかったからでもあるだろう。
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むらし・ゆう 1979年生まれ。京都府在住。本作で文学界新人賞を受賞し、作家デビュー。第175回芥川賞候補作。