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ミステリー小説『0秒前の彼女』はどう生まれた? 今村昌弘さんが挑んだ逃走劇と謎解き

今村昌弘さん=北原千恵美撮影

今村昌弘『0秒前の彼女』(双葉社)

逃走する主人公に、恋人の存在をどう刻むか 

――『0秒前の彼女』は、映像化を念頭に置いた企画から始まったそうですね。どのようにしてこの作品が生まれたのでしょうか。

 『0秒前の彼女』はメディア展開をすることを念頭に置いて、映像制作のプロデューサーと編集者、僕とで最初から企画を考えた長編です。映像化されることを前提として、だいたいの物語も組み上げました。「ハイド&シーク」(日本テレビ系毎週日曜夜10時30分)としてドラマ化されることが決まってからは、「映像として面白くなるようにしてください」とお任せして、口出しをしていません。僕はそこから小説執筆に専念しました。

――脚本には関わっておられないんですね。今村さんは『屍人荘の殺人』に始まる剣崎比留子シリーズが有名なので、いわゆるクローズドサークルのような古典的な謎解き小説をお書きになる方という印象が読者には強いのではないかと思います。本作はそれと少し違っていて、最初から最後まで主人公が逃走を続けている活劇小説です。ただ実は『兇人邸の殺人』のように物語の中でずっと動きがある作品も書かれているので、こういう小説も苦手ではないはずなんですよね。今回、物語に起伏をつける上で注意されたのはどういう点ですか。

 初稿を上げた時点では気づいていなかったんですが、主人公の津倉が逃走を続ける動機となるはずのヒロイン・紗奈の出番が、意外と遅かったんです。津倉は逃走し続けていて、彼女のことを考えている余裕なんてないからですけど。序盤で、死んだはずの紗奈が津倉に携帯電話で救いを求めてきて、その場所に行ってみると刑事の死体があり、「裏切りは許されない」というメッセージのようなものが残されている。実はあのメッセージ、最初はなかったんです。

――あのメッセージは重要で、津倉に紗奈の行方を探させるだけではなくて、彼女が自分についてどういう気持ちを抱いていたんだろうと考えることになる、その起点ですよね。

 それがなかったんです(笑)。紗奈は謎めいた存在だから物語の表面にはなかなか出てこれない。そうすると、津倉の思考もなかなか深まっていかない。津倉が紗奈について考えるきっかけが必要だと気が付いて、あのメッセージを思いついたんです。

――津倉には公安の警察官だという職業上の秘密があり、それを婚約者である紗奈にも隠しています。津倉の嘘と、紗奈が抱えているかもしれない秘密が対になっていますが、その構造が埋もれてしまっていたわけですね。

 構造的には出来上がったつもりだったんです。でも、津倉が紗奈のことを考えるたびに唐突感があるんですよね、何か具体的なきっかけがないと。これまでの作品ならクローズドサークルなので、主人公は同じ場所をずっとうろうろしているから、気になれば現場にも戻れるんですけど、今回は逃走劇だから一つの場所に留まっていられない。そこは勝手が違って苦しかったところですね。

――津倉に感情移入してもらわないと成立しない物語ですから、彼を超人にするわけにもいかず、行動にも抑制が求められたのではないかと思います。

 そうなんです。等身大の人間が危機に陥り、悩みながらも真相に迫るという、一般の人がギリギリやれそうな線は守らないと駄目だなと思っていました。そういう点がたぶんドラマとは違うところではないかと思います。ドラマだと可能なことでも、小説では常識の枷をかけておかないと、この話はどこまでがありうることなのか、と迷子になってしまう。最近は、生成AIやハッカーなど、何でも出来てしまいそうな便利な設定も出てきましたが、そういうものを都合よく使って危機を脱するようなことはあってはいけない、とかなり意識しました。

アクションを書くときの時間感覚

――土台をきちんとした上でアクションをつけていくというお考えはよくわかります。今村さんは『屍人荘の殺人』の頃から、活劇や格闘の場面が上手い方だと思っていたのですが、今回はそうした場面がかなり多いですね。やってみていかがでしたか。

 重要なのは、そのアクションにかかる時間内に文章を収めることだと思います。たとえば殴り合いをしているのに、「拳が迫ってくるのが見えた」とか、文章に2~3行を費やしてしまったら感覚的におかしい。自分の中で再生される映像の時間と、文章量は、調整しながら書きました。

――ネタばらしにならないように慎重に言いますが、中盤で大きな謎が浮上してきます。序盤で見えていた事件の姿が疑わしくなるような事実が判明して、以降はその大きな謎に対して自分なりの答えをだすことが津倉にとっての最大の目的になりますね。その真相を示唆する手がかりや、きっかけとなる出来事は最初から準備されていたんですか。

 キーになるような場面はもちろん最初から決めていたのですが、途中で、「あ、こういうのを書かないとな」と追加した手がかりもあります。苦労したのは、映像化も前提にした物語だったというところです。小説だったらヒロインはずっと不在のままでもいいのですが、ドラマではそうはいかない。映像的にはヒロインがちゃんと顔を出すということが必要なので。

真相は隠したい。でも「謎が解ける」楽しさも

――事件にはリヴ・コモンズという市民団体の影があることが最初から示唆されます。そこの幹部である兵藤という男性は、紗奈と同じ顔をした女性のことを「京佳」という別の名前で呼び続けますね。そのことが、津倉の愛した女性はいったい何者だったのかという疑問を招き寄せます。謎解き小説で似た趣向のものは他にもありますが、推理が通る道が違うというか、あまり見たことのない選択肢の設定を見せてもらった気がします。これは書いても問題ないと思いますが、本作のラストには読者も自分の考えで選択をしなければならなくなる局面が準備されています。東野圭吾さんの『どちらかが彼女を殺した』などの先行作を連想しました。

 そこは意識しました。東野さんの作品は結構難しめというか、使える手がかりが少ないんです。それもすごくさりげなく書いてあるので、よほどのミステリーマニアでないとわからないようにできている。今回はドラマを見てから本を買ってくださる、普段はミステリーをあまり読まない方も手に取ってくださるかもしれないので、なるべく「親切設計」を心掛けました。

――そうなんですよね。推理を促す箇所には、手がかりがある場所がきちんと示唆されています。

 真相を隠したい、びっくりさせたい、という気持ちは作者として当然ですけど、やはり謎が解かれることが楽しいというのもあるんです。読んでいる最中には気づかなくても、戻ってみると、「あ、ここにある」と納得できる。そのくらいがちょうどいいバランスなのではないかと思いました。だから、単なる津倉の逃走劇だと思われないように「序」をつけて、傍点を振った文章を3行置いているんですよね。

彼女の言動を思い出せ。・・・・・・・・・・
一つたりとも見逃すことなく。・・・・・・・・・・・・・・
そうすれば、彼女が何者か必ず分かる。・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『0秒前の彼女』より

――こういう読み方をしないと見落としますよ、と。読んでみて、「あれ?」と思った方は、ぜひもう一度このインタビューもご覧になって、今村さんがおっしゃった点にも注意を払ってみていただければと思います。今、奥歯に物が挟まったような物言いになっている箇所は実は最深層にあるもので、ミステリーとしての謎はその上にもいくつか準備されています。そこも流石の作り込みで感心しました。大きな物語ですけど、それを引き起こした犯人の動機にも納得させられますしね。今村さんは、小説ならではの嘘というものを、どの程度、許容されますか。

 僕の場合、ピッチャーマウンドに立っている相手ならどんな変化球を使ってくれてもいいんだけど、ブルペンに立っているやつがいきなりホームベースに投げてくるのは駄目、という感じですね。動機について言えば、どんなに奇抜であっても、それについての言及がその前に書かれていないといけない。作中に社会問題などを書き込むこともありますが、こういうニュースがあったよ、とさらっと言及するだけじゃなくて、そのことについて本質的なことをちゃんと語っているかというのが、作品のピースとして扱うときの決まりになっています。そういう感覚は必要で、なんでもあり、というのは自分で嫌なんだと思いますね。

「胸がキュンとするのかな」 等身大のヒロインを描く難しさ

――本作は津倉勇一という主人公に読者が共感することが必要な小説です。そこでいちばん重要なのが、婚約者である紗奈の存在ですよね。彼女が魅力的に描かれないと、津倉がそこまで頑張る理由も見えなくなる。今村さんの作品で、ここまで女性キャラクターが物語の核となるようなものはこれまでなかったように思います。

 『屍人荘の殺人』の剣崎比留子は強調されたキャラクターなので、すべてを許される。人並み外れた美人だと最初から書いてあるから、誰がメロメロになろうと大丈夫なんです。でも今回の津倉と紗奈のような等身大の人物を書くときはそうはいかない。手探りで二人の会話を書いて、「あれ、今のやりとりで津倉は胸がキュンとするのかな」と首を傾げたりしながら、紗奈を頑張って動かしました。性格はちょっと抜けたところがあるけど、こっちを一所懸命に愛してくれる人、みたいなイメージを作りながら。登場場面が最初は少ないから、うっすらと想像のままに書き出したんですよ。あとで編集者から、「愛らしさを伝えたいので外見の説明も入れてほしい」と要望があって付け足したりして。すごい美人に書いてしまうとリアリティが失われそうだし、「誰よりも愛している」というような紋切型の台詞は言わせないように配慮しながら書いた記憶があります。

――ドラマだったら役者さんの芝居でなんとでもなるところですが。

 いやそうなんですよ。ドラマでは紗奈役を志田彩良さんが演じてくれているので、それは誰でも守りたくなるだろうと思います(笑)。いろいろな縛りがありましたし、これまでの得意技が使えなくて大変だったのですが、壁にぶつかるたびに、この物語は読む人にどう見えなくちゃいけないのかな、と考えることができました。貴重なチャレンジの機会をいただいたと思います。

――本作で初めて今村作品に触れる方もいらっしゃると思いますが、これまでの作品を読んできたファンには、どういう楽しみ方をしてもらいたいですか。

 タイトルをつける段階から、僕がこれまで書いてきたものとはちょっと違うんですよ、ということがファンにちゃんと伝わるようにしようと思っていたんです。以前出した『でぃすぺる』もかなり動きが多い作品でしたが、一つの街からは出ない話でした。今回はクローズドサークルから飛び出す主人公の話で、それでもちゃんと謎解きの小説として書いてありますよ、とは言いたいですね。今まで留まっていたところから飛び出した作品だということはお伝えしたいと思います。