ふたりはまだ逢ったことはない。だけど互いの存在は知っている。どちらも言葉の使い手だ。
日本と韓国、それぞれの国で活躍する翻訳家の往復書簡から見えてくるのは、不思議なくらい似た境遇と互いの「家族」のこと。
村井理子さんとクォン・ナミさんはエッセイストとしての顔もある。エッセイでは自身のことを書いているが、特定の相手に宛てた手紙(メール)形式になったことで、さらに心の深いところが開いてしまった、そんな一冊だ。
翻訳家になったきっかけ、旅の記憶、些細な日常の出来事、思索と話題は広がり、一方が言葉という手を差し出すと、その手を握り返すみたいに言葉が返ってくる。やり取りはぬくもりとユーモアにあふれているが、内容は切実なものもある。
待ったなしの仕事、介護や子育て、時に体調を崩しながら「未来の自分がどうにかしてくれる」と日々を乗り切る。時に冷たいビールや美味しいお団子、自分へのささやかなご褒美を想像するのも微笑ましい。
「家族」の話で心に留まった一節がある。
「ひとりで生きられると思っていても、私たちはたったひとりで死ぬことさえできません」
家族がいる人も、そうでない人も頷く言葉だろう。
以前、村井さんは兄の遺体を引き取り、その人生を終うために奔走した。今は義理の両親の介護を担っている。
一方、シングルマザーのナミさんは認知症の実母が疥癬にかかってしまい、感染を防ぐため病院も施設も受け入れてもらえず、たった一人で母の面倒を見なければならなかった過去がある。
「親孝行する人は必ずしも幸せではない」という言葉にはハッとした。
母想いの娘・靜河さんについて「親孝行DNA」が体の中にあるとナミさんは言う。それはナミさん、そして村井さんにも流れているだろう。
親の介護とは、言うなれば親孝行しなければならない状況に置かれること。しなければ後ろめたくもなるし、放っておけるものではない。
さらに言うと娘(母)は家族の実質的な世話を焼き、いずれ親の介護を担う。そんな認識が世間にはあるし、実際に担っている。
娘は理不尽な役回り。だけどふたりは自分の幸せのために親孝行を拒否しなかった。
村井さんは粛々と義理の両親の介護をし、ナミさんはおいしいものを食べる度「食べさせてあげたかったな」と亡き母を想っている。
部屋でひとり泣く靜河さんが「お母さんを幸せにしなくちゃいけない」というプレッシャーに苦しむ姿に「親孝行DNA」たらしめる愛は重責にもなるのだと思った。
ナミさんから「前世から双子」と例えられる村井さんには双子の息子がいる。
ナミさんの父親は双子の弟、ナミさんの弟も双子! 家族の双子率が高いのもふたりの共通点。
村井さんとナミさんはすでに「友だち」関係だろうけど、あえて「双子」と称する。
「友だち」は他人、「双子」は家族。実の家族でないふたりは、ほど良い距離感の「双子」。
「双子」は互いをわかりあうため言葉を尽くしながら、あえて語らないことも認めている。
村井さんはかつて親を遠ざけていた。ナミさんは今も連絡を絶っている家族(親族)がいる。家族として積み重ねてきた時間が長いほど、その理由は簡単に言葉にできない。言葉を生業にしているふたりのこと。言わなくても互いに承知しているのだろう。
でもふいに辛い記憶はこぼれだす。泣きたい時に泣けなかったあの頃の自分を振り返り「双子」のもうひとりの前で吐露する。
約一年、メールのやり取りを重ねてふたりは笑い合い、慰め合い、深いところまでわかり合える間柄へと昇華していく。
東京での対面が実現した章では、さらなるふたりの共通点が明らかになる。あえて記さないが「こんなにバイタリティと知性あふれるふたりが! まさか!」 と驚いた。
ナミさんは往復書簡について「日本語だから書けた」と言う。
エッセイやインタビューは一方的な発信になるが、往復書簡というスタイルは自然と互いが自身を開いていくという特性がある。
冒頭近くで「言葉という手を差し出すと、その手を握り返すみたいに言葉が返ってくる」と記したが、愛犬を失って、ついには仕事をやめようと思い悩んだ村井さんに、手ならぬメールという手紙を出したのはナミさんだった。
「双子のもうひとりが、ピンチの私を助けに来てくれた」海の向こうにいた「双子」のもうひとり。出逢いの不思議が生んだ一冊だ。