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「ローマ物語」 端正な文章に浮かぶ原色の光景 朝日新聞書評から

評者: 美村里江 / 朝⽇新聞掲載:2026年10月17日
ローマ物語 (新潮クレスト・ブックス) 著者:ジュンパ・ラヒリ 出版社:新潮社 ジャンル:文芸作品

ISBN: 9784105902100
発売⽇: 2026/07/29
サイズ: 18.8×2cm/232p

「ローマ物語」 [著]ジュンパ・ラヒリ

 『停電の夜に』でジュンパ・ラヒリの文章に惚(ほ)れ込み、以来新作を楽しみにしている一人として、大変嬉(うれ)しくこの短編集の扉を開きました。そして期待通り素晴らしい読書時間となりました。
 幼少期にベンガル人の両親と共に英国から渡米。ピュリツァー賞を受賞した際に用いた英文から離れ、渡伊してイタリア語でエッセー、長編小説、詩集も出版……。そんなラヒリの作品には「ルーツ」が欠かせません。
 故郷から遠く離れた街での暮らし、家族を基本としたコミュニティ、国による文化の違い、そこで起きる感情について。湿度は低くさらりとしているので受け止めやすく、しかし思いがけず深刻な域に達してしまうヒビのような表現を、読者の胸に打ち込んできました(また私もそれを期待して読んできました)。
 そのため、今作を読み驚きました。全編通して登場人物のルーツが曖昧(あいまい)で、「名前」はことごとく排除されています。一人称のわたし、ぼく、おれ、は違和感がありませんが、「喪中の婦人」「教授」「母親」「脚本家」「二人の兄弟」など。
 名前を除外するとその人の最たる特徴を摑(つか)まねばなりませんが、それらは職業や社会上の立場、一番重くその人物の胸にのし掛かっている事象で表現されます。ある場面では辛辣(しんらつ)ですが、同時に不特定な曖昧さとして広がる透明部分でもあります。
 匿名は読者が共感を得やすいようにする装置かな、と思って読んでいましたが、それだけではありませんでした。その人物の思いがけない過去や出来事によって、その匿名=透明部分に鮮烈な色がサッと入ると、急に「ああ、これはいつかの誰かのことなんだ」と、読者の頭の中では小説内容が事実であるかのように染まっていくのです。
 誰かに浴びせられた歯を砕くほどの拳、聞き取れない不穏な外国語、拙(つたな)くも排他的なメモ、気絶するほどの衝撃を与えた空気銃などが、美しく端的な文章から強い原色で浮き上がってきます。さらにその都度、魅力的な観光都市ローマの色褪(あ)せた複雑な陰影が迫ってきて、街そのものの強い引力も感じました。
 日本住まいの日本人である私がもう一段深くラヒリ作品を読むには、異邦人の立場となる経験が必要か、という毎作湧いてくる感想を折り畳み胸に仕舞い直して読了。
 「今作もすぐ読み終わってしまった」と読みやすさの恩恵と惜しさを感じつつ、訳者あとがきによればラヒリは久々に英語で長編を執筆しているとのこと。先の楽しみができました。
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Jhumpa Lahiri 1967年英国生まれ。作家。インド出身の両親のもと米国で育つ。『停電の夜に』でピュリツァー賞など。ローマに移住しイタリア語でも創作。著書に『見知らぬ場所』『わたしのいるところ』など。
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中嶋浩郎訳