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気候変動と文学 新たな「日常」照らす物語 結城正美

強い日差しの下、日傘を差して歩く人たち=2026年8月、熊本市

 記録的な暑さや豪雨は異常気象と呼ばれるが、果たして本当に「異常」なのだろうか。むしろ私たちの「日常」と化しているのではないか。現在の地球温暖化による変化は不可逆的であるにもかかわらず、私たちの日常の感覚は気候変動に対応していない。1・5度目標が他人事のように響き、脱炭素が進まない一因も、この感覚のズレにある。

 日常を多面的に照らし出すところに文学の真骨頂があるが、アミタヴ・ゴーシュ『大いなる錯乱 気候変動と〈思考しえぬもの〉』によれば、現代の洗練された小説は気候変動をまともに描くことができていない。もっぱら人間の内面に関心が向けられ、気象はせいぜい背景として扱われるだけ。人間以外の存在への想像力の欠如が気候危機の根底にあるという彼の洞察は、文学に地殻変動を起こした。

 これは既に、それ以前に書かれたゴーシュ『飢えた潮』(岩堀兼一郎訳、未知谷・3300円)に胚胎(はいたい)している。小説の舞台は、バングラデシュとインド・西ベンガル州にまたがる「潮の国」シュンドルボン。数多(あまた)の河川が入り乱れるこの湿地帯は、潮位差が大きく、陸と水の境界が絶えず変化する。この地で、アメリカ人科学者、地元漁師、数カ国語を操るインテリ、マングローブ林、カワイルカ、蟹(かに)、森の魔物と神様といった多様な存在が複雑に関わりあう。大気や水など物質の圧倒的な大きさを前に人間の存在を見つめ直してはじめて、〈想定外〉とされていた事象が〈地続きの現実〉へと転化する。それを実感させる人物造形が見事だ。

二項対立を崩す

 ダイアン・クック『静寂の荒野(ウィルダネス)』(上野元美訳、早川書房・4070円)は、気候危機が日常化した未来を母娘の関係を軸に描いた小説である。生命を脅かす都市の汚染から幼い娘を守るために、選ばれし者だけに開かれた荒野へ来たが、母親はかつて快適だった都市への未練を捨てきれない。一方、荒野で動物たちを隣人として育った娘は、母とは異なる価値観を身につけ、血縁を超えた「誰も取り残さない」類縁の家族を築いていく。気候危機をデフォルトとし、都市と荒野、人間と自然といった二項対立をこともなげに崩していく子どもの存在に、一筋の光が宿っている。

 気候変動は今に始まったことではない。地球はこれまでも温暖化と寒冷化を繰り返してきた。石牟礼道子『春の城』(藤原書店・5060円)は、一七世紀の小氷期に起きた連年の凶作と大飢饉(ききん)、それに追い打ちをかけた領主の過酷な年貢取立(とりた)て等が引き金となった島原・天草の乱を、庶民の視点から語り直した小説である。小氷期は自然現象であり、人間の活動に起因する現在の気候変動とは異なる。しかし、生存の危機に直面しながらも、森羅万象のなかで人間として尊厳ある生き方を貫く作中の人物から、現代の私たちが学ぶことは多い。少し値が張るけれども、図書館で探すなどしてぜひ読んでほしい。

別の現実を想像

 気候変動小説は現代のリアリズム小説と呼ぶにふさわしい。リチャード・パワーズ『オーバーストーリー』にこう書かれている。「議論がどれほどうまくても、人の心は変えられない。それが可能なのは、よくできた物語だけだ」(木原善彦訳)。情報収集とはちがって、物語を咀嚼(そしゃく)するのには時間がかかる。しかも紹介した小説はどれもかなりのボリュームだ。時間がかかるということが、タイパの悪さと結びつけられがちな昨今だが、だからこそ、あえて時間をかけて物語を読み、別のありうる現実を想像するという非効率的な営みにこそ、私たちの日常感覚を再調整する鍵があるのではないだろうか。=朝日新聞2026年10月24日掲載