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小さな声に耳を傾けること 紀伊國屋書店員さんおすすめの本

消えていく「声」をあつめる

 言わずと知れた名著、宮本常一『忘れられた日本人』(岩波書店)。生涯の4000日を旅に費やし、日本中をくまなく歩き続けた民俗学者・宮本常一の金字塔とも言われるこの本を、恥ずかしながらわたしが手にしたのは、ごく最近のことだ。

 本書は、主に西日本の村を訪ね歩き集められた記録で、そこに生きる主に老人たちの話から、明治~昭和にかけての市井の生活の様子をうかがい知ることができる。村人からの聞き書きだったり、対話であったり、老人のひとり語りのような章もあり、その記述の端々から、一人ひとりの人間が、立ち上ってくるようだった。

 どの話も読後は、ついさっきその人に会って、目の前で話を聞いてしまったかのような感触がある。そのなかでも、福島県の農家である高木誠一さんの話には、線をたくさん引いてしまった(文中には、高木さんにはこの話の昭和15年当時ですでに80歳を超えた父がおり、ご自身は農家経営をしながらも、民俗学の研究をされていたとある)。

 「親と何十年も一緒に暮らしても、親の持つすべてのものが伝承せられるものではないと、年をとればとるほど痛感する」という言葉や、「古い農民生活は古い時代にあっては、それが一番合理的であり、その時にはそのように生きる以外に方法がなかったのである。それだけにその生き方を丹念に見ていくことは大切であるが、時代があたらしくなれば新しい生き方にきりかえてもいかねばならぬ。しかしそれは十分計画もたて試してみねばならぬ。」等々。

 転換期であることを感じざるを得ない今、幾度となくあったこのような時期を、ごくごく普通に暮らす自分のようなかつての人たちは、どのように思い、過ごしてきたのだろうということが、とても気になっている。

「民話」を通して残された無数の「声」

 続いて手に取ったのは、小野和子『あいたくて ききたくて 旅にでる』(PUMPQUAKES)。「幼い頃に聞いて憶えている昔話があったら、聞かせてくださいませんか」。著者である小野和子さんは、30代半ばから宮城県の村を訪ね歩き、そこに住む人びとから民話を聞き記録するという活動を一人で始め、それから50年にわたる今もなお、続けている。

 「民話」というと、「むかしむかし~」からはじまる「かさじぞう」や「ももたろう」を思い浮かべるが、著者が聞き記録を続けるそれは、語り手とは決して切り離すことのできない、生きた物語たちだ。

 著者は語り手から話を聞く営みを、「採集」や「採話」とは言わず、「採訪」と言う。それは、「《聞く》ということは、全身で語ってくださる方のもとへ《訪(おとな)う》こと」だからだ。

 話されたままであろう記された、方言のある語りにも深い味わいがあるが、著者が語り手と向き合った時間そのものから受け取った、ずっしりとした重みのようなもの。語られる物語が発する、ともすれば語り手自身も気付かないような「声」までも受け止めようとする著者の真摯な姿勢が、読み終えてからも強く残った。

個人の「声」としてのZINE

 最後に紹介したいのは、野中モモ『野中モモの「ZINE」小さなわたしのメディアを作る』(晶文社)だ。ジンは英語で「ZINE 」、「個人または少人数の有志が非営利で発行する、自主的な出版物」のこと。誰に頼まれなくとも、自身の「作りたい」という気持ちを出発点に編まれた、「小さなメディア」である。

 本書はジンの世界への指南書であるが、具体的な作り方のようなものは一切提示されていない。作り手へのインタビューを読んでみても、テーマやそのスタイルは様々。作る行為そのものが癒しになっている面もあるし、コミュニケーションのツールとして機能している面もある。紙とペンあればすぐにはじめられる軽やかさも持ち合わせているが、その本質は、一人ひとりが個を確立した、主体的に作られるメディアなのだ。

 今よりも生きやすい社会を創造していこうとするとき、ジンの基底にあると思われる、小さくとも「声を発していくこと」、そしてその声に「耳を傾けること」は切り離せないもの。なにが正解なのか、これまでの価値観が大きく揺らいでいる今だからこそ、このひらかれた感覚を大切にしたいと思う。