住宅ばかりが立ち並ぶ一角を歩いていると、たまに「ん? なんでこんなところに店が?」と思う瞬間に出くわすことがある。「自宅を改装して」というケースが多いものの、油断して歩いている時にふいに商店に遭遇すると、結構びっくりするものだ。
東京ドームや小石川後楽園にほどほどぐらいに近い、文京区小石川のPebbles Booksは、細い道沿いの2階建て一軒家が店舗だ。初めて訪れた時に思ったのは、「なんでこんなところに本屋が?」だった。
「この家はもともと、製本会社が持っていた空き物件だったんです」
店主の久禮亮太さんによれば、向かいのオシャレなイタリアンは製本会社の工場跡地で、 Pebbles Booksの建物は食堂とロッカールームを兼ねる社員用のスペースだった。その製本会社が業務拡張のため埼玉県に工場を移転したことで、長らく空き家になっていたという。久禮さんは2018年9月からここで、Pebbles Booksを始めた。
週休0日の書店修行で得たもの
1975年に高知県で生まれた久禮さんは、高校卒業後は東京を目指した。浅田彰や中沢新一をはじめとするニュー・アカデミズム(ニューアカ)を読み漁り、「大学で文化を多層的に読み解く研究をしたい」と考えていたからだ。
かくして早稲田大学の法学部に入学したものの、法学の勉強はまるで肌に合わなかったと語った。
「一般教養はまだしも、専門科目が全く面白くなくて。孤独感にさいなまれていた時に、学校の近くにある本屋が深夜1時まで営業していたので、引き寄せられるようにして通っては立ち読みしていました」
学校の近くの本屋、すなわちあゆみBOOKS早稲田店(現在は文禄堂早稲田店。いまは閉店したシャノアール早稲田店の1階)は、スマホがない時代の学生にとっては格好の暇つぶし&待ち合わせスポットだった。人文科学系が手厚く揃っていて、長時間立ち読みしていても怒られない(私もかつて、友人を待つために1時間以上いたことがある)。しかも当時は夜になると、久禮さんが好きなクラウトロック(ジャーマンロックのひとつ)がかかっていたという。そこで久禮さんは大学1年生から、同店でアルバイトを始めた。
「いざバイトに入ってみたら、45坪の売り場面積に似つかわしくないほど、在庫の多い店でした。棚作りは社員の仕事で、バイトはレジ打ちと返品作業のみ。ですがレジにいると、外見から想像もつかない本を手に取られたり、逆に予想通りの本を買われたりするお客さんの姿を見ることができて。『こういう客層だから、こういう本が売れるだろう』という予測が裏切られ続けることで、人と本との相性は、数えきれないほどあることを知りました」
キャンパスライフよりも刺激的だったあゆみライフを6年間送り、卒業を先延ばししていた。しかしアルバイト生活では、将来が見通せない。そこで「大学を辞めて正社員になりたい」と、当時の店長に相談した。すると「それではもったいない」と言われ、三省堂八王子店の契約社員に。しかし週2日の休みは、あゆみでのバイトを続けていたという。週休0日って、さぞや過酷だったのでは……?
「八王子店は契約社員にも棚作りをさせてくれたりと、好きなことができたんです。あゆみは早稲田の学生に訴求する品揃えで、三省堂は約200坪ある大型店なので幅広く網羅している。それぞれに個性があり、学ぶことの多い充実した日々でした」
古巣の面影が残る、濃いグリーンの棚
好きを仕事に、当時住んでいた早稲田と八王子を往復する日々を送っていたが、2002年にあゆみBOOKSの正社員となる。とはいえ元バイトだからという甘えは一切なし。正面から面接に挑んで採用された。その後は小石川店の店長をつとめていたが、2011年に子どもが生まれてワークライフ・バランスについて考えるようになり、2014年に退社した。
「妻がマンガ家&イラストレーターなのですが、家のことを任せきりにしていたので、これではいつまで経っても復帰できないと思ったんです。僕が週3日家事を担当することになったので、その枠内でできることをしようと決めました」
程なくしてくだんの製本会社から、「ブックカフェをやりたいのだが、本のディレクターを探している」と声をかけられ、神楽坂の神楽坂モノガタリ(2020年3月閉店)の立ち上げに参加することに。2015年の12月にオープンすると店が軌道に乗り、貢献を認められたことで翌年、「小石川に空き物件があるけれど、書店やる?」と誘いがかかったのだ。
「狙ったわけではないのですが、あゆみBOOKS時代と同じ街だったし『好きな店にしていい』と言われたので。まさに巡り合いでしたね」
経営は製本会社がするため、運転資金がいらないことも大きかった。そこで神楽坂モノガタリでのブックセレクトを続ける傍ら構想を練り始め、店の名前は小石川にちなんでPebbles Booksと決めた。
2017年、かつての古巣・あゆみ小石川店が閉店すると聞いた久禮さんは、棚を譲り受け、DIYで店を作りあげていった。だからPebbles Booksの2階壁面には、かつてあゆみで使われていた緑色の棚がしつらえてある(ああ、なんだか懐かしい……)。そしてともに働いている渡辺秀行さんも、小石川店の元スタッフ。あゆみから来たのは、棚だけではなかったのだ。
壁に封印されていた武者小路実篤のコラム
現在の営業時間は13時から22時。書店にしてはやや遅めのオープンだが、久禮さんと渡辺さんが、ムリなく働ける時間にした結果こうなった。とはいえ近くに住んでいたとしたら、夕食後でも繁華街まで出なくても本が買えるのは、とてもありがたいのではないか。
1階と2階、合わせて18坪の広さに約1万5000冊を揃えているが、ジャンルは絞り込まないことにしている。若い夫婦が多い土地柄ではあるが、人は見た目による本を買うとは限らないことは、週休0日時代に学んだ。だから「若いお母さんなら、きっとこういう本を読むはず」といった思い込みを持たないように、久禮さんは心がけている。
参考書や資格の本はないものの、個人書店では見かけることが少ない、ビジネス書にも棚を割いている。親子で来店して、絵本とセットで購入するお客さんもいるからだ。1階に絵本と雑誌、小説などを置き、2階はアートやビジネス、岩波文庫などの「激しい動きはないものの、長い年月をかけてこつこつ売れ続ける本」を並べることにしているという。
また1階には窓際に座って試し読みができるコーナーもあって、小さい店ながらも、居心地の良さにこだわっているのが伺える。
「この9月で3年目を迎えましたが、まだまだ店は作っている最中です。壁も塗りかけなんですよ」
築70年を超える建物だけに、日々のメンテナンスは欠かせない。あるとき壁を張り替えたら、武者小路実篤がコラムを寄稿した新聞が出てきたという。ちなみに実篤は1885年に生まれ、1976年に亡くなっている。最晩年の文章だったとしても、45年は経過しているかなりの年代モノだ。
その塗りかけの壁を目で追っていき、本棚と壁の隙間に差し掛かると、ギターが立てかけてあった。この隙間こそが久禮さんの「事務スペース」で、久禮さんは「ギターは家に置ききれなくなったので避難させたんです」と言ったあと、笑顔を浮かべた。
住宅街にある書店は階段こそ急だけど、やってくる人だけではなく働く人にも優しい店だった。「こんなところに?」ではなく、そこに存在する理由がある。そんな本屋ではないかと感じたけれど、ちょっと気恥ずかしかったのでそれは口にせず帰路についた。
売れ筋(というかオススメ)
●『モスクワの伯爵』エイモア・トールズ(早川書房)
ロシア革命をきっかけに後半生ずっと幽閉生活を送る元貴族を描いた小説です。でも主人公はちっともへこたれなくて、魅力的なんです。そこがコロナで自宅待機していたみなさんの心を捉えたんだと思います。
●『傷を愛せるか』宮地尚子(大月書店)
「弱さを克服するのではなく、弱さを抱えたまま強くある可能性を求めつづける必要がある」という言葉が、とても印象的なエッセイです。精神科医として優しく弱さを抱擁するようなところと、社会問題の本質を鋭く見抜くところ、一人の旅人としての哀愁、いろんな雰囲気を感じられます。
●『医者は現場でどう考えるか』ジェローム・グループマン(石風社)
あゆみBOOKS小石川店時代から、もう150人以上の方々に買っていただいている、隠れたロングセラーです。救急救命の現場でとっさに下す判断、患者と深く関わり考え抜いて下す判断、複雑に絡み合う病因を解き明かす推理など、医師たちのリアルな思考を伝えてくれるノンフィクション。業種を超えて「プロとは何か」を教えてくれます。