地図で可視化する世界の女たち――フェミニストの知的武器『女性の世界地図』
記事:明石書店
記事:明石書店
フェミニズム地理学者のジョニー・シーガーが、それこそ世界初のジェンダー・アトラス(地図帳)である“The Atlas of Women in the World”を世に出したのは、1986年のことである。タイトルは少しずつ変わったが、彼女はジェンダー・アトラスを定期的にアップデートしつづけてきた。『女性の世界地図』は、その最新版(“The Women’s Atlas”, 2018年)の全訳である。
本書の扉には、旧版に対する数々の讃辞の、おそらくごく一部が示されている。最新版である原著に対しても、ほとんど同様の頌が多く寄せられている。というのも、初版から30年以上の年月が経過してなお、見過ごすことのできないジェンダー格差が宿痾のように社会に残り続けているからである。
本書は、その「はじめに」に記された、「女性の世界では、『先進』国はほとんど存在しない」という言葉を、身をもって学ぶためにこそあるといっても過言ではない。
地図に表すことは強力な武器となります。地図に表すと「何が」起きているかだけでなく、「どこで」起きているか見えてきます。地図は、統計表や文章でははっきりしない空間的なパターンを一目瞭然にしてくれます。地図は、男女間の生活や異なる地域間での女性同士の差異と類似性を表現するのにきわめて強力なツールとなります。
これは、私も作成に携わった『地図でみる日本の女性』(明石書店、2007年)に対して、ジョニーが寄せてくれた巻頭言の冒頭である。この言葉は、そっくりそのまま『女性の世界地図』の強みを言い当てている。
本書は、たくさんの統計データを使って作られている。いまではクリックひとつでダウンロードできる統計データには、豊かな情報が含まれている。ところが、残念なことに統計表の数字の羅列から意味のあるパターンを瞬時に認識できるほど、人間の脳は優れていない。
他方で個人的な経験に基づいて、「女性は差別されている!」と言葉や文章で訴えても、読み手や聞き手に共感する精神的土壌がなければ、一向に心に響かないかもしれない。
しかし、本書のように、信頼のおけるデータを選び、それをグラフや地図で「見える化」すると、ジェンダー格差が「いうまでもなく」存在することが「一目瞭然」になるのである。本書は、性差別という不正義に立ち向かうフェミニストたちにとって、強力な知的武器になるであろう。
しかしながら、『女性の世界地図』は、意識的なフェミニストだけのために書かれたわけでは全くない。再びジョニーの言葉を聞こう。
アトラスの生真面目な役割に加えて、アトラスは面白いし気楽に読めます。年齢や学歴を問わず、どんな読者でも地図を眺めることはできるし、新しい発見があるに違いありません。あるいは新たな疑問が湧き出すことも。疑問を抱くことは、答えを見つけ出すことと同じくらい重要です。フェミニストなら誰でも知っているように、あれっ? ヘンだと思うことそのものが社会変革なのです。
世界は活動家だけでできていない。だから、活動家だけでは世界を変えられない。より多くの人が『女性の世界地図』を手に取って眺め、日々の生活の中で当たり前だと思わされてしまっているジェンダーやセクシュアリティに関わる差別や不公正について、「あれっ? ヘンだ」と感じてくれることにこそ、ジョニーは社会変革の可能性を見ているのである。
ラディカルな地理学者として、私は統計データやそれに基づいて書かれた地図の「客観性」に疑いの目を向け、地図の「一目瞭然」性が持っている暴力性を批判する立場にもある。しかし、物事には順序というものがある。
地図という表現手法は、地理学者以外の一般の人にとってはなかなかに縁遠く、ひたすら地名やら産物を暗記させられた「地理」の授業の嫌な思い出と結びついてすらいるのではないか。訳者のひとりとしては、研究者としての問題意識をいったん棚上げしても、多くの読者が本書を通して地図という表現の可能性を実感し、そこから何かを読み取ってくれればと願う。
本書の翻訳に至る個人的経験を記しておきたい。ジョニーの手による“The Atlas of Women in the World 3rd eds”が『地図でみる世界の女性』(明石書店、2005年)として世に出たとき、私は先輩研究者たちに混ぜてもらって女性の住まいと仕事に関する共同研究をしていた。
メンバーはみな、かねてから女性の置かれている状況を地図化することに興味をもっていたので、「それならジェンダー・アトラス日本版を作ってやろう」というので出版したのが上述の『地図でみる日本の女性』であった。
正直なところ、「地理学といったら地図」といったステレオタイプは大嫌いであったが、ジェンダー・アトラスを作ってみて、地図のもつ魅力と威力を思い知らされた。その後、明石書店が定期的に刊行してきた『地図でみる世界の地域格差』の翻訳に携わるなかで、自然と地図そのものについて、深く考えるようにもなった。
少し大きな書店に行くと地図の書架が用意され、色とりどりのテーマ地図を収めた地図帳が並ぶような状況が生まれたのは、ここ十数年のことだろう。十数年前につくられた『地図でみる世界の女性』や『地図でみる日本の女性』を手に取ると、なんと古びてみえることか!
この間、GIS(地理情報システム。地理情報をコンピュータ上で地図として表示・利用するための技術)の発展によって、地図作製技術自体が長足の進歩を遂げたのであるが、それと並行して、グラフィックアートとしての地図表現も確実に洗練されてきている。
デザイン的にも、『女性の世界地図』は地図表現、もっといえばインフォグラフィックス(情報の視覚表現)の現時点での到達点を示しているといってよい。配色とデザインに心を砕いたグラフやメッセージ性の強い画像を配置し、同じ世界地図でも多彩なフォーマットを使い分けることで、全体にリズムが生まれているのである。
良書(もちろん原著がという意味)はさまざまに読まれ、活用される。本書がフェミニズムや社会的(不)公正に関心を持つ人にとって有益であることは言うまでもない。のみならず、地図に関心を持つデザイナーや表現者も、本書から学ぶことが多いと確信している。