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青山・表参道で創業129年、老舗5世代目がギャラリーと珈琲店をはじめて変わったこと:山陽堂書店

山陽堂書店の5世代目、萬納嶺さん

 東京・青山。表参道の交差点の一角に立つ山陽堂書店。ビルが林立する周囲にはハイブランドや高級チョコレートのショップが立ち並ぶが、3階建てのこぢんまりしたこの建物だけは、ゆっくり時が流れているようだ。明治元年生まれの初代が立ち上げた老舗書店は、1階と中2階が本の売り場で、2階はギャラリー、3階は珈琲店。出版不況のなか、家族経営の「本を売る」商いを、どう次の世代につなぐのか。ギャラリーや読書会などの取り組みを進める、5世代目の萬納嶺(まんのう・りょう)さんに聞いた。

表参道駅前のノスタルジックな壁画

 地下鉄の表参道駅を出るとすぐ、山陽堂書店の壁画が目に入る。かつて雑誌『週刊新潮』の表紙を手がけた谷内六郎さんによる「傘の穴は一番星」(2代目の壁画・1975年完成)だ。店内に一歩足を踏み入れると、喧騒を忘れるような穏やかな時間が流れる。

表参道の交差点、谷内六郎の壁画が目印の山陽堂書店。

 入口の横にあるカウンターを過ぎると、厳選された雑誌と単行本が、上と下に仲良く並ぶ。階段を数段昇った中2階には、時代を超えて愛される文庫の列が目に入る。

 2階のギャラリーでは、「『みぬくま』展 志岐奈津子×ナイトウカズミ」が開催されていた(現在は終了)。窓辺に展示されたブックカバーには山陽堂書店を感じる詩が並ぶ。

 螺旋階段を上り、3階の山陽堂珈琲では、淹れたてのコーヒーを片手に、本を静かに読むことができる。窓からは、表参道の交差点が一望できる。

 山陽堂書店の4代目の店主は、3代目店主の妻で、萬納さんの祖母が務める。嶺さんによれば、家族3世代の6人が経営を支えているという。「店主の88歳の祖母と、83歳の大叔母。あとは4世代目に当たる母たち3姉妹(伯母・母・叔母)、それと僕の6人です。1階の書店は女性陣、2階のギャラリーと3階の喫茶は、僕が担当しています」

 青山界隈で生まれ育った萬納さんは、小さい頃から保育園の帰りや、近くにある善光寺のサッカー教室のある日に、お店に顔を出していたという。大学までサッカー三昧の日々を過ごした萬納さん。家業の本屋を継ぐとは「全く思っていなかった」と明かす。書店経営の大変さも知る母たちは決して「継いでくれ」と口にすることはなかったという。

 そんな萬納さんに心境の変化が訪れたのは、2010年、創業120年目を迎えたときだった。

 「今まで山陽堂書店に関わってくださった方々、親類や縁者を集めてパーティーをしたんです。伯母が中心になって(初代の出身地の)岡山まで行って、歴史を調べ直して紙にまとめたんです。その歴史を知ったことが大きかったですね。それまでは漠然と『120年続いている』と言われても、自分にとっては地続きじゃなかったんです」

 「戦後に住み込みで働いてくださった方や3代目店主の祖父の女きょうだいや、祖母が嫁いできたときに中学生だった人も来ていて。みんな集まってうれしそうに話している様子を見たのが大きいですね」

明治24年創業、青山の本屋さんの歩み

 ここで山陽堂書店の歴史を紐解いてみたい。明治元年生まれの初代・萬納孫次郎は岡山城下で畳表や紙を扱う諸問屋に生まれ、大阪暮らしを経て上京。現在の東京大学農学部の教授のもとで書生として寄宿し、新聞売り捌き業などでお金を貯めて、1891年(明治24年)、南青山に山陽堂書店を創業した。その後、数回目の移転先が、皇居から明治神宮へ通じる「御幸通り」の計画にかかり、1931年(昭和6年)に現在の場所に移転。地下1階地上3階の当時の建物がいまなお残る。

2階のギャラリーからは、表参道の交差点がよく見渡せる

 1945年5月25日、太平洋戦争の空襲でも奇跡的に焼けずに残った。1964年の東京オリンピック前には、道路拡幅工事のため、建物を3分の1に削るか移転するかの選択を迫られた。お客さんのアドバイスもあり、3代目店主がこの地に残ると決めたという。まさに東京の歴史とともに、山陽堂書店の歩みはあると伝わる。

 120周年を迎えた2011年、山陽堂書店は店舗をリニューアルした。店の方向性も大きく変えたそのきっかけは、大学生だった萬納さんが書いたギャラリーの企画書だったそうだ。

 「お客様とお話しするときは、みんな明るいんです。けれど事務所で数字を見ているときはため息ばかりで。ときどき遊びに来ても全然明るくないなと思ってしまって。大学生の見立てですけど、何か変えないといけないんじゃないかと」

 企画書をきっかけに、初めて山陽堂会議(という名の家族会議)が開かれ、「思い切るときなんじゃないか」とみんなが改装を決断したのだという。

 縁がつながり、新潮社の編集者が今は亡きイラストレーターの安西水丸さんを紹介してくれた。萬納さんの小学校時代のサッカー仲間のお父さんで、お店に顔を出してくれていたのだ。安西さんは毎年7月に個展を開き、「山陽堂イラストレーターズ・スタジオ」を開講して講師を務めてくれた。

「青山という街で、息抜きになる本屋に」

 萬納さんによると、2011年にリニューアルする前の売り上げは、雑誌が7割で書籍が3割だったそうだ。土地柄、美容室も多くファッション誌が売れた。雑誌が好調な時代でもあった。

 「今は逆転して、書籍が7割で雑誌が3割。書籍重視の方が自分たちの色が出せると気づいたんです。2010年にミシマ社さんのフェアをやったこともきっかけのひとつでした。伯母の二女が合気道をやっていて、ミシマ社の三島邦弘さんと教室が一緒だったご縁で、フェアをやって。フェアをやると本が動くんだ、とわかったんです」

 山陽堂書店の限られた空間には、コミックスは置かず、ベストセラーやビジネス書や実用書も多くはない。一方、古い本であっても、長く読み継がれてほしい本は切らさないようにしているという。

 「例えば、佐野洋子さんのような普遍的な名作は常に切らさないようにしています。日常から少し離れて、ゆるやかに押しつけがましくなく、大事なものを伝えられたら。青山にはおしゃれなお店も多いですけど、街の息抜きになれればいいなと。『ここに本屋できたんだ』と言って入ってくるお客さんも時々いるんですよ(笑)」

 リニューアルによって、客層は着実に広がったという。萬納さんは「よりオープンになった」と変化を実感する。

 「今までは本を買いに来てくださる方がメインでしたけれど、展示を見に来てくださる方や、ふらっと2階に来る人も増えました。出版社の営業の方とお話しすることが多かったんですけど、編集やブックデザイナー、イラストレーターの方のお話も聞けるようになって。(本が)これだけの熱意でつくられたものなんだと知ると、思いが乗り移るというか、僕たちもそういうものを置きたいな、と」

「『みぬくま』展 志岐奈津子×ナイトウカズミ」の様子(現在は終了)

月1回の読書会、オリジナル商品も

 萬納さんは、2019年に毎月の読書会「山陽堂ブック倶楽部」も始めた。新型コロナの影響による中断もあったがオンラインで続けている。

 「すごく面白いですよ。1時間半くらい、本の感想を伝え合うだけなんですけれど、やっぱり本を介して自分の話になって。本の中で記憶に残ったところは自分の体験と紐づいているところがあるので、結構深いところまで話したり。勉強会じゃないので、気軽にみんなが発言できるような雰囲気を意識しています」

 「最初に参加者のみなさんに簡単な感想を言ってもらうんですけど、あるとき、9人目で『僕は、この本つまらなかったんですよ』という意見が出たんです。すごく嬉しかったんですよ。そう言える空気ができていたんだって。その方はその後も続けて参加してくれていますし、僕はそこで最近読んだ面白い本とかを聞いて、仕入れに活かしたりもしています」

読書会のきっかけは、装丁家の藤田知子さんが教えてくれた、カナダの刑務所で囚人のための読書会プログラムをドキュメントした『プリズン・ブック・クラブ』(紀伊國屋書店)。

 山陽堂書店のオリジナルグッズも手がける。昨年亡くなった和田誠さんのイラストレーションをあしらったマグカップなど、日常に寄り添うアイテムで、本以外の収益のかたちを模索している。愛らしいマグカップのラインナップは全8種類。12月に全種類が揃う予定だという。

 「本だけだと利益率が高くないので、長く山陽堂書店を続けるための一助になってほしいと考えました。和田誠さんのイラストレーションは心から素晴らしいと思うので、日常的に使うものになったら気持ちが豊かになる、と思ったんです」

マグカップのイラストレーションは和田さんがデザインした山陽堂書店のブックカバーから生まれた。線の太さや形にこだわり、製品になるまで3年かかったという。

仕事への姿勢と「居る」ことについて

 そんな萬納さんに、人生を変えた一冊を尋ねてみると、「最近読んだなかで強く印象に残ったのは」と前置きしつつ、『これやこの サンキュータツオ随筆集』(KADOKAWA)を挙げてくれた。初心者向けの「渋谷らくご」の立ち上げに尽力した、お笑い芸人・サンキュータツオさんの一冊だ。

落語好きな山陽堂書店の人たち。2019年にはギャラリーで念願の落語会を開催したという。

 「サンキューさんが出会った、今は亡き方々のことを書かれた随筆集です。最初の話は、渋谷らくごに尽力された2人の落語家さんのこと、2つ目以降は今まで出会った人との別れが書かれています」

 「最初の話を読んで、これだけ熱い仕事をしたいなって思ったんです。人を大切にして、人の意思を残すために仕事をして、その意思をこうやって書き記すことが素晴らしいなと。他の話もそれぞれは短い話なんですけれど、僕も一人ひとりのことを心にとどめておける人間になりたいなと」

 いま読みたい人文書は、臨床心理士の東畑開人さんの『居るのはつらいよ―ケアとセラピーについての覚書』(医学書院)だという。

写真は綺麗に撮られているが、本には付箋がびっしり貼られていた。

 「(次の山陽堂ブック倶楽部の)課題本ということもあって読んでいるんです。なかなか難しい。居ることの価値って、あまりにも当たり前すぎてわからないじゃないですか。でも価値として問われない、数字にできないものって、本当はものすごく価値があることなんじゃないか。それに対する気づきを与えてくれる本だなと」

 「作者の方も中で書かれているんです。居るってとても見えにくい価値。でもだからこそ大事で、論文で書けることでもないから、こういうエッセイのかたちになりました、と」

家業を次の世代につなぐ

 「僕が本屋を続けたいと思ったのは家業だから」と萬納さんは話す。

 「ここが魚屋さんでも、八百屋さんでも、和菓子屋さんでも、自分は継いだと思うんです。家族が続けてきたことを、いいかたちでちゃんと次の世代につなげるのが、自分の役割。それ以外の仕事をやりたいと思わなかったんです」

 大学生のときに書いた企画書から約10年――。そこからギャラリーや珈琲店が誕生し、読書会のコミュニティーが育っている。オリジナルアイテムは、きっと息の長い商品になるだろう。

 2021年3月5日には、創業130年を迎える。これからも山陽堂書店はつづく。人とつながり、本を届ける場をつくる5世代目の、自然体の挑戦とともに。

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