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ハトはピカソとモネの絵を見分ける? ヒトと動物の違いを考える 紀伊國屋書店員さんおすすめの本

記事:じんぶん堂企画室

動物は何を思う?

 今年は遠出をすることがはばかられ、自然と家の近所を散歩することが多かった。普段から野鳥観察が趣味なものの、例年よりも花や虫などについて観察する機会も多かった。鳥や虫たちは、急に老若男女マスクを着けはじめ、恐れるように外出する人間の騒ぎをどうみているのか。そんなことを考えたりもした。

 一体、ヒト以外の動物たちは物事をどのように認識し、どのように考えているのか。ヒトと動物はどう違うのか。この問いは、動物を理解すると同時に、われわれヒトを理解するうえでも非常に有用な問いである。

ヒトと動物 そんなに違わない?

 ヒトと動物、あるいは異なる動物間で、物事を認知する方法を実験・観察し、比較する学問を比較認知科学というらしい。ハトはピカソとモネの絵画を見分けるのに、ネズミ(マウス)はそれができない。結果も興味深いが、そもそも一体どうやってそんなことを実験したのだろうか。興味を持たれた方には、渡辺茂『あなたの中の動物たち』(教育評論社)を是非読んで欲しい。ちなみに著者は、上記のハトの絵画弁別の研究で、1995年にイグ・ノーベル賞(「人々を笑わせ考えさせた業績」に対し与えられる賞)を受賞している。

 ハトの研究はほんの一例で、本書には記憶・判断・道徳・美的感覚など、ヒトだけが特権として有していると思われがちな脳の働きを、他の動物でも行っていることを様々に紹介している。そこで見られる動物たちの姿は、力の強弱の序列をわきまえつつ、他者を助けたり、特定の音楽を愛したり、また不平等に苛立ちを覚えたり、なんとも人間らしい。

 著者が一貫して主張することは、ヒトと動物との違いは質的なものではなく、単なる量的なものだということだ。言葉を理解する、美しいものに惹かれる、道徳的な振る舞いをする……。そんなヒト独自のものだと思っていたものが、多かれ少なかれ動物にもみられるというのは興味深い発見の連続だ。だが、それでも我々の直観はヒトと動物の間にある深い溝を常に意識させる。ヒトと動物、本当に質的な違いはないのだろうか。

ヒトと動物 やっぱり違う?

 哲学においては、人間に固有なものとして、シンボル的想像やシンボル的知性(カッシーラー)や、物質的・精神的創造としての「工作」(ベルクソン)などが唱えられてきた。存在論で知られるハイデッガーも、存在とは何かと解き明かす思索の中で人間の本質を追究した。そのハイデッガーの人間理解に影響を与えたとされる書籍の中に、ユクスキュル、クリサート『生物から見た世界』(岩波書店)がある。

 この本のユニークさは「環世界(Umwelt)」という概念に尽きる。環世界とは、それぞれの動物が特有の知覚によって行動し、それぞれ独自に時間的・区間的に知覚されている世界のことである。

 序章で示されるマダニの例。広い森の中、人間や動物を見つけ、飛び移り、生き血を吸う小さな生物。だがこれは人間から見たダニの世界だ。ダニは視覚がないので、森が広いことも分からなければ、人間や動物を見ることもできない。ダニは獲物に飛び移るための枝先に上り、①嗅覚によって獲物の接近を知り獲物に飛び降りる。次に②温度感覚によって哺乳類の上に落ちたことを知り、③触覚によって獲物の毛が少ない場所を見つけ食い込む。この3つの知覚で認識される世界がダニの環世界である。

 知覚が異なる以上、ヒトとダニとでは認識される環世界が異なり、また我々ヒトはどう転んでもダニの環世界を生きることはできない。もっと言えば、同じヒト同士でも知覚能力に差異がある以上、同じ環世界を生きることはできない。他の動物(あるいは他のヒト)を観察し、その環世界に思いを巡らす営み自体が人間特有の行動として、人間と動物の違いを考える大きなヒントになるかもしれない。

人間らしさを考える

 植物や動物を観察する自分を思い浮かべるときに思い出す本がある。エーリッヒ・フロム『生きるということ』(紀伊國屋書店)である。この本の原題は “TO HAVE OR TO BE?”。「持つ生き方」 (TO HAVE) と、「ある生き方」 (TO BE) の違いが対比的に論じられている。その中でテニソン、芭蕉、ゲーテの三詩人の自然との向き合い方をよく思い出すのだ。

 テニソン(イギリスの詩人)は花を摘み取り所有する。芭蕉は目を凝らして花を見る。ゲーテは、一度摘み取った花を自宅の庭に植え替えて観察する。ゲーテも所有してはいるのだが、生命を壊してはいない。「ある生き方」をしているのは芭蕉とゲーテである。著者フロムは「ある生き方」をしている人は生産的であると繰り返し述べており、生産的な人間は自己の能力を生み出し、ほかの人びとや物に生命を与えるという。

 持つことには際限がなく、また常にそれを失う(変化する)不安があり、物欲に支配された人は人間性を失う。他方で、「ある生き方」は自由であるために自ら変化を望み、絶えず流動する中で他者と関係する(=関心をともにして生きる)。フロムは「ある生き方」に真の人間性を見出している。物があふれる現代社会の中で「ある生き方」はますます珍しくなっているように思う。フロムに言わせれば、今や人間は本当の人間ではないのかもしれない。

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