「萌え絵のポスター」は女性差別? ネット上の賛否論争を考える 紀伊國屋書店員さんおすすめの本
記事:じんぶん堂企画室
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「これってそもそも何が問題なの?」
横浜のカフェで10年来の友人に尋ねられたのは、いわゆる萌え絵の献血ポスターで炎上した2019年のニュースだった。少なくとも実在の被害者はいないはずで、当事者ではない外部の人間が勝手に怒るのは筋違いではないか、というのが彼の意見だった。
私はしばらく考え込んでしまった。個人的には強く賛成も反対もしないが、反対する女性の気持ちは理解できないこともない。その時はまとまらない頭で自分の考えを一生懸命に述べた気がするが、詳細はよく覚えていない。言語化できなかった不甲斐なさに若干落ち込んだものの、帰り道に差し掛かったところで、ふと以前読んだ書籍のタイトルが頭をよぎった。
「お砂糖とスパイスと爆発的な何か―不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門」(北村紗衣・著、書肆侃侃房)。タイトルをマザーグースの一節に由来する本書は、シェイクスピアからカズオ・イシグロまでさまざま作品をフェミニズムの視点で分解するとどうなるか、大胆にわかりやすく紐解いていく。著者はフェミニスト批評について「面白い作品はより面白く、つまらない作品はその理由がわかるようになる」ために批評自体がとても楽しいと述べており、「フェミニズム」や「批評」という言葉に何となく距離を置きたくなる人にこそ読んでほしい一冊だ。
個人的に最も興味深かったのは、著者によるディズニーと 「アナと雪の女王」評だった。一見わかりやすいハッピーエンドで幕を下ろした物語も、本書を読み終えて新たな視点を獲得すると女王エルサの立ち位置が異なって見えるし、出版後に公開された続編映画のストーリーも別の姿が見えてくる。
もやもやしたディスカッションから数ヶ月後のある日、売り場の棚を端から端まで眺めていたところ、一冊のタイトルが目に留まった。「『許せない』がやめられない SNSで蔓延する『#怒りの快楽』依存症」(坂爪真吾・著、徳間書店)。もしかしたら「お砂糖とスパイス」とは別の観点から「萌え絵ポスター炎上」の分析が読めるかもしれない……と期待を込めて読み始めたところ大正解で、興味深い論考に引き込まれて一気に読み通した。
本書は主にTwitterを連日騒がせる炎上案件、特に「賛成/反対」に分かれて激しい議論が繰り広げられるトピックについて取り上げている。「どのような人々が」「なぜ」この論争に加担し、そして抜け出せないでいるのか。著者が切れ味のよい言葉でザクザクと切り込み、鮮やかにカテゴリ分けをしていくさまには舌を巻く。
例の献血ポスターについても具体例の一つとして論じられている。他者の女性差別を「自分ごと」として受け止め、団結して怒ることで多くの権利を獲得してきた歴史的経緯のある(そして道半ばの)フェミニストたちが多くいる一方、個人の趣味趣向を尊重し、表現の自由の規制に強い危機感を覚える「オタク」 とでは、どれほどTwitter上で舌戦を繰り広げたところで話が噛み合うはずがない。そもそも議論の土俵が共通しないからである。しかし皮肉なことに、「許せない」感情に囚われる人々の姿は大概どの陣営にいようが似たり寄ったりで、怒りを燃やし続けるために対立相手と共依存関係にあるという著者の指摘は言い得て妙だ。
もはやSNS上で発散される怒り自体が快楽を伴うプロセス異存であり、治療の対象にすべきだというメッセージは非常に重い。そして一般に、依存症は外部の人間からの指摘が響きにくく、自己認識する必要があるというのも事実である。本書には自己の依存度を測るチェックリストも付属しており、もし身近な人が怒りの快楽に飲み込まれそうになっていたら、この本をそっと差し出したいと思う。
最後に、先の二冊とは分野が全く異なるものの、女性が女性であることをテーマにした一冊を紹介させていただきたい。「戦争は女の顔をしていない」(岩波現代文庫)の著者スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチは、ベラルーシのジャーナリストでありながら2015年ノーベル文学賞を受賞。小梅けいと氏によるコミカライズの報に驚かされた人も多いかもしれない(昨年12月に2巻が発売)。
本書は独ソ戦にソビエト連邦軍として従事した女性たちの体験をまとめたもので、淡々と語られるエピソードは壮絶なものばかりだ。インタビューに応じた彼女たちはかつて、男性と同じ方法で国家へ貢献することを望み、自らの意志で戦地へ赴いた。現地の成人年齢である18歳にも満たない少女たちは、志願兵の募集所で一度門前払いをされた後、ある者は司令部へ何十通もの手紙を書き、またある者は前線行きのトラックに忍び込む。ついに彼女らは正式な兵士として認められ、文字通り骨身を削って戦火に身を投じるが、戦後には「従軍歴のある女性」というだけで不当な差別に晒され、来歴を隠さねばならなかった者も多かったという。
本書の日本語版が刊行された背景としては、訳者の故・三浦みどり氏の情熱に依るところが大きかったそうだ。ノーベル文学賞の受賞までは日本でほぼ無名だったアレクシエーヴィチの著作を日本語で読めることに感謝しつつ筆を置きたい。