伝書鳩に「子育て」を学んだ読書家 ジョン・デイ『わが家をめざして』
記事:白水社
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家[ホーム]って、なんだろう。わたしたちは家に何を求め、どんな思いを託してきたのだろう。どうやれば、“わが家”を築けるのか。なぜ、わが家に帰ろうとするのか……。単純な問いのように思えて、深く考えていくと、よくわからなくなってきます。
本書『わが家をめざして──文学者、伝書鳩と暮らす』(Jon Day, Homing: On Pigeons, Dwellings and Why We Return, John Murray Publishers Ltd, 2019)は、ロンドンの中心部で生まれ育った著者が、第一子の誕生を前に自分の家庭を築こうと決意し、郊外へ引っ越して、“わが家”と呼べる場所を作りあげていくさまを綴ったものです。なぜ副題が“伝書鳩と暮らす”なのかというと、その過程で鳩が心のよりどころとなり、たどるべき道を示してくれたからで、著者は引越先で2羽の伝書鳩を飼いはじめ、しだいに数を増やしながら訓練を重ねてチームを作りあげ、鳩レースに参加します。一般的に、生き物をテーマにした体験記では、その生き物と人間との交流をメインにして語られがちですが、本書の場合はちがいます。“鳩はペットではない”ことが大前提で、個々の鳩への愛情よりも、鳩という鳥全般に対する驚嘆の念が作品を貫いています。
鳩は、帰巣本能が強い鳥です。ときには1000キロ以上も離れた地から巣に帰ることができるとされ、古くから伝書鳩が貴重な通信手段として利用されてきました。本書でもいくつか挙げられているように、通信社の電信網を補完したり、戦争中、包囲された都市の人々に手紙を届けたり、処方箋や薬そのものを運んだりと、幅広い活躍をしていたようです。けれども、人間にとって都合のいいことばかりではありません。鳩はいったん巣と認識したら、あくまでその場所にこだわり、何度巣を撤去されようが手荒に追い払われようが、あきらめずにまた戻ってきてしまいます。巣を作ってほしくない場所に鳩が住みつくとやっかいで、糞害や騒がしい鳴き声にさんざん悩まされたあげく、本書に登場するような駆除業者に依頼するはめになります(わたくしごとですが、「いま鳩の本を訳している」と何気なく友人に話したところ、自宅のバルコニーに来る鳩がいかにしつこいか、いかに撃退に苦労しているかをせつせつと訴えられ、身近にそういう例があるのを実感すると同時に、なんだか申し訳ない気持ちになりました)。ともあれ、彼らがこんなふうに巣、つまり家に対して並々ならぬ執着心を持つからこそ、著者は自分の思うとおりに家庭を築けず「家からしめ出されたように感じはじめた」とき、家とはどういうものかを鳩が教えてくれるのではないかと期待したのです。
【著者ジョン・デイのインタビュー動画 Jon Day on the Man Booker Prize 2016 | Judging, rereading, and Paul Beatty's The Sellout(英語) 右下の歯車アイコンをクリックすると字幕翻訳できます。】
著者のジョン・デイは、イギリスの文学者にして書評家、作家でもあり、現在は、名門キングス・カレッジ・ロンドンで教鞭をとるかたわら、『ガーディアン』紙、『ロンドン・レビュー・オブ・ブックス』誌といった有力紙誌に書評やエッセイを寄稿しています。2016年にはマン・ブッカー賞(現在はブッカー賞)の選考委員も務め、学究の世界で着実に地歩を固めているようです(当時の関連記事やニュース動画に彼の講評やインタビューがありますので、興味のあるかたは検索してみてください)。また、本書でもちらりと触れているとおり、大学で職を得る前、生計を立てるために自転車便の配達人をしていた時期があります。彼の最初の著作 Cyclogeography(2015)は、そのときの経験を綴った哲学的なメモワールで、書評家から高い評価を受けました。
本書『わが家をめざして』は、それに続く2冊めの著作です。子どもを授かるまで自由気ままな根なし草の生活を送っていた彼は、そろそろ落ち着いてひとつところに根をおろそうとしたものの、家庭に縛られることへの不安と恐怖に襲われ、気むずかしい乳児だった第一子を育てるのに四苦八苦し、第二子の流産を機にパートナーとのあいだに溝ができ ……と、その道はけっして平坦ではありませんでした。いつまでもふらふらして頼りない著者に、最初のうちは苛立ちを覚える人がいるかもしれません。けれども、彼が悩みつつも真摯に問題に向きあい、手探りで家庭を築いていくさまと、若鳩を訓練して一人前のレース鳩に育てあげ、競う距離をしだいに伸ばしていくさまが、力みのない率直な語りのなかでみごとにリンクしていきます。
鳩の訓練は、ある意味、子育てに似ているのではないでしょうか。時間と労力を惜しみなく注いで育てた鳩が、遠い空からわが家である鳩舎へ戻ってくる。まさに感無量の瞬間で、何度目にしても熱いものがこみあげてくる競翔家は多いようです。その瞬間に向けて、鳩の訓練や体調管理や動機づけなど、必要なことをできるかぎりやるわけですが、著者も本書で言っているように、いったん鳩を空に放ったら、きっと帰ってくるものと信頼してひたすら待つことしかできません。そんな競翔家の心境は、たとえばわが子を受験会場に送り出し、健闘を祈るしかない親のそれと通じるものがあります。
このように、本書ではレース鳩をテーマにしたネイチャーライティング的側面と、著者の家庭作りのようすが絡みあっているのですが、ただ個人的な体験が綴られるだけでなく、『オデュッセイア』『アウステルリッツ』をはじめとする文学作品や、ハイデッガー、ロラン・バルト、シモーヌ・ヴェイユといった哲学者の著作、フロイトやダーウィン、さらには異端の生物学者ルパート・シェルドレイクなどの引用も交え、“ホーム(家、家庭)”“故郷”“ホームランド(祖国、母国)”に関してさまざまな考察がなされています。まさに文学者の面目躍如といった作品で、これら3本の糸が織りなす複雑で繊細な模様は深い含蓄があります。
ところで、昨年(2020年)ほど、“家”に相当することばが人々の口にのぼった年は、これまでなかったのではないでしょうか。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的な流行、いわゆるコロナ禍において、多くの人がステイ・(アット・)ホームを求められ、日本でも“家(あるいは、おうち)で過ごそう”“おうち時間の楽しみかた”“おうちごはん”といったフレーズが各メディアでよく見耳きされます。家という空間は恐ろしいウイルスから身を守ってくれるわけですが、そのいっぽうで、家庭内暴力やうつ症状の増加など、かぎられた空間で長時間過ごすことの弊害がクローズアップされ、家が身体的、精神的な危険をもたらしかねないことも取り沙汰されました。また、感染拡大を防止するためにきびしい移動制限が課され、多くの人が故郷や母国に帰りたくても帰れない状況に陥っています。本書がイギリスで刊行されたのは2019年、こうした感染症の広がりはまだ想像だにしなかったころですが、現状を見越したかのような著者の考察には、訳出中、何度もはっとさせられました。また、少し話は逸れますが、著者がパートナーのナターリアのことを妻[ワイフ]と表現する箇所は、本書中にひとつもありません。その点からも、押しつけがましくはないけれど一本筋の通った彼の夫婦観、家族観がうかがえるような気がします。
さんざん道に迷いつつも、心の旅からわが家に“帰還”する著者と、ぼろぼろになりながらも、長距離レースからなんとか帰巣する鳩。両者が重なりあう“着地点”で、どんな情景が浮かび、どんな感情に包まれるのか……。鳥がテーマのほかの本とは少しちがう不思議な味わいを、みなさんと共有できれば幸いです。
*本書中、動植物は基本的にカタカナ表記にしていますが、“主役”の鳩だけは、カタカナの多用を避けるために、敬意を込めて漢字表記にしてあります。
(ジョン・デイ『わが家をめざして 文学者、伝書鳩と暮らす』訳者あとがきより)
[目次]
午前七時一五分、サーソー、家から八一一キロ
第一章 わが家に入居する
午前七時二〇分、サーソー、家から八一一キロ
第二章 鳥
午前八時二〇分、マレー湾、家から七四〇キロ
第三章 家づくり
午前一〇時四五分、ダンディー、家から五八二キロ
第四章 探索
午前一一時一五分、エディンバラ、家から五三七キロ
第五章 家への旅路
午後一二時三分、ベリック= アポン= ツイード、家から四八六キロ
第六章 祖国
午後一時三七分、サンダーランド、家から三七八キロ
第七章 空へ放す
午後二時二八分、ウィットビー、家から三二八キロ
第八章 家との結びつき
午後四時七分、グリムズビー、家から二三二キロ
第九章 家なし
午後五時四〇分、ウォッシュ湾、家から一六〇キロ
第一〇章 待つ
午後六時五五分、ケンブリッジ、家から七〇キロ
第一一章 ホームシック
午後七時四九分、ラムフォード、家から一三キロ
第一二章 家に帰る
家