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美と政治が出会う「イメージ」 デヴィッド・ボウイからホモ・サケルまで 紀伊國屋書店員さんおすすめの本

記事:じんぶん堂企画室

「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」展(大阪市)に展示されたティツィアーノ「受胎告知」=2016年10月、朝日新聞撮影
「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」展(大阪市)に展示されたティツィアーノ「受胎告知」=2016年10月、朝日新聞撮影

「イメージ」って何のこと?

 みなさんは、「イメージ」という言葉を聞くと、どのような意味を思い浮かべるでしょうか。多くの場合、イメージという言葉は「印象」や「雰囲気」のような意味で使われているかと思います。

 ところでこの文章は人文書を紹介するコラムなのですが、人文書に出てくる「イメージ」という言葉は一般的な用法とは少し違い、像、形、見た目、絵、写真、映像など多くのものを指します。要するに、目に見えるもの、あるいは事物のうちの目に見える部分を指すのがイメージという言葉なのです。

 またさらに意味を広げるならば、声や音、あるいは触感や匂いまでも含むことがあり、つまり感覚によって感じるもの全てをイメージと呼ぶこともあります。

 私は芸術に関する本が好きなのですが、美術や芸術に関する本を読んでいると、徐々に問題がこのイメージという言葉の周りに収斂してくるように思えます。そしてイメージに関する思考は美術や芸術という枠から離れ、私たちの身の回りの全ての画像や映像についての思考となっていきます。

 今回は、この「イメージ」にまつわる人文書の近刊を連想ゲーム式に紹介したいと思います。

架空のキャラクターを演じ続けたデヴィッド・ボウイ

 まず紹介したいのは田中純『デヴィッド・ボウイ 無を歌った男』(岩波書店)です。田中純は表象文化論、思想史を専門とし、『イメージ学の現在』(東京大学出版会)という論集を編者として刊行してもいます。

 今回紹介する最新の著作はデヴィッド・ボウイの全キャリアにわたって楽曲を詳細に読み解いた、500ページを超える大著となっています。音楽評論家ではなく、芸術や建築などの文化を哲学・思想の面から研究した著書を多く発表している著者によるボウイ論である本書は、ボウイの歌詞、作る音と歌われる声、ステージや写真に現れるその姿など、あらゆる要素を、ボウイの思想と企み、そして欲望や無意識の現れとして詳細に分析します。

 1969年のシングル曲「スペース・オディティ」で本格的なデビューを果たしたボウイは、やがて「ジギー・スターダスト」という架空のキャラクターを生み出し、自らがジギーを演じながら音楽活動をすることで熱狂的な人気を獲得します。その後ボウイは絶え間なく音楽性を変化させながら、次々と新たなキャラクターを生み出し続けます。著者はその時々の重要な曲、時にはアルバム全曲を分析し、ボウイの煌びやかな70年代からその晩年までを追います。

 その際この著者は、ボウイの表現が持つことになる政治性についても指摘することを避けません。あらゆるイメージはそれを見る者を動かす力を持ち、それは政治の力となります。イメージの持つ魅力と危うさをともに分析しようとする著者の姿勢は『建築のエロティシズム』(平凡社新書)、『政治の美学』(東京大学出版会)、『過去に触れる』(羽鳥書店)といった他の著書にも一貫するものであり、本書もまた例外ではないのです。

 この本を読み進めるうちに、読者はアーティストの表現がどのように個人と時代を映し出し、そして観客とアーティスト自身を変えていくかを目にするでしょう。

キリスト教美術で表現されてきた人種的表象

 このイメージと政治という問題について多くの著作を発表している筆者に、岡田温司がいます。西洋美術史、思想史を専門とし、今回のテーマと関連付けて挙げれば『イメージの根源へ』(人文書院)という本も書いています。本格的な研究書だけでなく、安価で手に取りやすい新書も多くあります。今回は最新刊となる『西洋美術とレイシズム』(ちくまプリマー新書)を紹介しましょう。

 この本で膨大な例とともに紐解かれているのは、二千年に及ぶキリスト教美術の歴史の中で描かれてきた、人種主義・人種差別的な題材です。著者は例えば、旧約聖書のノアの物語を挙げます。箱舟で有名なノアには後の人類の祖先となる三人の息子がいるのですが、ある時ノアが泥酔して眠ってしまった時に、三人の息子のうちハムだけがその裸を見てしまい、他の二人は目を背けながら着物をかけて裸を隠します。目覚めたノアはハムに向かい、その子孫は奴隷となるだろうと予言するのです。

 著者はこの三人の息子のうち、奴隷の運命を宣告されたハムが絵画にどのように描かれてきたかを追っていきます。すると、聖書にはこのハムの容姿について具体的な描写が一切無いにも関わらず、徐々にユダヤ人、アラブ人、黒人といった特定の人種や民族の特徴を持たされていくということがわかります。

 この本はこうした例をいくつも紹介し、例え明確なメッセージではないにせよ、キリスト教美術というメディアを通じて意識的あるいは無意識的に表現されてきた人種的表象を分析していきます。長い歴史の中で表現されたイメージは、人々の意識に水面下で影響を与えていくのです。

イメージから出発して政治を考えるアガンベン

 さて、岡田温司にはイタリア現代思想の翻訳・紹介者としても多くの仕事があるのですが、その中でも最も有名な思想家がジョルジョ・アガンベンであり、『アガンベン読解』(平凡社)『アガンベンの身振り』(月曜社)といった入門・研究書を書いています。

 ミシェル・フーコーの議論を継承する政治哲学者として特に有名なアガンベンですが、その出自は美学研究にあり、日本ではそのイメージ論を集めた論集『ニンファ その他のイメージ論』(慶応義塾大学出版会)も刊行されています。アガンベンもまた、イメージから出発して政治について考える著者の一人であり、そのことは議論の筋道からも常に窺えます。

 アガンベンの仕事を紹介する最新の入門書が、代表的な翻訳・紹介者である上村忠男による『アガンベン 《ホモ・サケル》の思想』(講談社選書メチエ)です。

 アガンベンが主著『ホモ・サケル 主権権力と剥き出しの生』(以文社)などで取り上げるのは、ラテン語で「ホモ・サケル(聖なる人間)」と呼ばれる古代ローマの形象です。これは特別な種類の罪人で、この者は「殺しても罪に問われず、犠牲として神に捧げることもできない」と定められています。謎めいた規則ですが、ここで重要なのは、ホモ・サケルとされた罪人は社会の中にいながらにして、通常の法が適用されない立場に置かれるということです。アガンベンはこのような「人を社会の内側でも外側でもない領域に置く」という行為こそが政治の根源ではないかと分析します。人間を法の適用されない「例外状態」に追いやるということに「主権」の誕生を見るのです。

 アガンベンは主権権力によってこのホモ・サケルのような存在が社会の様々な場所で生み出されるとし、『アウシュヴィッツの残りのもの アルシーヴと証人』(月曜社)ではその帰結を強制収容所に見出します。

 本書は、上記の『ホモ・サケル』に始まるアガンベン思想の要点がコンパクトにまとめられており、この思想家への入り口にぴったりの一冊です。

 デヴィッド・ボウイというアーティスト、キリスト教美術における人種的表象、そして古代ローマの「ホモ・サケル」。いずれも一筋縄ではいかないこれらのイメージについて、ぜひじっくり読んで考えてみてください。

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