1. じんぶん堂TOP
  2. 教養
  3. 小さな声を「傾聴」する 紀伊國屋書店員さんおすすめの本

小さな声を「傾聴」する 紀伊國屋書店員さんおすすめの本

記事:じんぶん堂企画室

降りしきる雪の中、福島第一原発周辺の警戒区域で、検問を行う警察官(福島県浪江町、2011年12月、朝日新聞)
降りしきる雪の中、福島第一原発周辺の警戒区域で、検問を行う警察官(福島県浪江町、2011年12月、朝日新聞)

 10年前に宮城県沖で発生した地震は、物理的な振動以上の「揺れ」を現在にいたるまで伝播し続けています。揺さぶられ絡まり合った多層的な問題は、今もまだ消えることはありません。書店で働く私ができる唯一のことは、遠くから届く小さな声に耳を傾けること、そしてそれを別の場所へとつなげることです。そんな思いから、本を紹介します。

声と傾聴

 福島県いわき市での活動をもとに書かれた『新復興論』(著・小松理虔、ゲンロン)には、福島をめぐる凝り固まった議論を解きほぐすための、いくつかの回路が提示されています。その内の一つは、障害福祉の現場で実践されている「傾聴」です。著者は福島県猪苗代町にある「はじまりの美術館」の岡部兼芳館長から、「原発事故とは福島の障害」という言葉を聞き衝撃を受けます。障害として福島を見つめ直した時、激しい言説が飛び交う議論の場とは別の回路が見出せるのではないか。その可能性を強く直感したからです。

 つまり私たちは、障害のある人と同じ立場に立っている。まずはその障害を受け入れて自認したうえで、それを価値とできるよう自分たちの個性を知ろうとしなければならない。よその地域を見回せば、障害のある地域はほかにもある。広島や長崎、沖縄、あるいは水俣もそうだろう。(p369)

 震災以降、「今ここの福島」をめぐり、賛成と反対に二極化した議論が展開されてきました。そこで得たものもあれば失われてしまったのもある。著者は、その失われたものと、「今」とは違う時間軸、「ここ」とは違う地域の声へと耳を傾けることで、再び出会えるのではないか、新たな回路を開けるのではないか。そんな可能性を「傾聴」に見出したのです。

個とシステム

 『チッソは私であった』(著・緒方正人、河出書房新社)には、熊本県芦北町に生まれ、その地で漁業を営む著者の、水俣病に対する固有の向き合い方が綴られています。父親を水俣病で亡くし、チッソに対する水俣病の認定運動に明け暮れた20代を過ごした後、一転して32歳のときに訴訟活動から退くとともに水俣病の患者認定申請も取り下げます。そして著者に訪れたのは内省的な時間でした。

 そしてチッソとは何なんだ、私が闘っている相手は何なんだということがわからなくなって、狂って狂って考えていった先に気付いたのが、巨大な「システム社会」でした。私がいっている「システム社会」というのは、法律であり制度でもありますけれども、それ以上に、時代の価値観が構造的に組み込まれている、そういう世の中です。(p53)

 チッソや県や国に対して市民運動を続けても、加害者であるはずの企業や行政や国家から責任主体である「相手」は一向に出てこない。裁判で被告の席に座っているのはいつも「システム」である。一方で被害者の側も、もし家族を養うためチッソで自分自身が働いていたとしたら、企業の一従業員として自らも水銀を流していたのではないか。一人の「個」として水俣病と向き合った時、「チッソは私であった」かもしれないという想像力が、著者を被害者と加害者の対立構造の外へと連れ出していきました。「システム」と向き合うために「個」として思考し、「個」としての声を聴き入れる、そんな「傾聴」的姿勢こそが、著者が最終的に選び取った、水俣病やチッソと向き合う態度だったのです。

一滴の歴史

 『猫を棄てる』(著・村上春樹、文藝春秋)は、子供として著者が生まれる以前の、自身の父親の半生について書かれた一冊です。大正年間に生まれた著者の父は、青年期を過ごす昭和の時代に入り、次第に周囲の状況に翻弄されていきます。諦めざるを得なかった夢に対する葛藤、繰り返される軍への招集、親族の誰が実家の寺を継ぐのかという問題。父と交わした会話や、証言や資料をつなぎ合わせて辿り直される一人の歴史を、著者は「雨粒」に例え、その一滴の水がたとえ大きな流れに飲み込まれる運命であろうとも、大切にしなければならないと語ります。

 一滴の雨水の歴史があり、それを受け継いでいくという一滴の雨水の責務がある。我々はそれを忘れてはならないだろう。たとえそれがどこかにあっさりと吸い込まれ、個体としての輪郭を失い、集合的な何かに置き換えられて消えていくのだとしても。(p96)

 これも一種の「傾聴」であると私は思います。父が語らず抱え込んでいたであろう「歴史」を、「あっさりと吸い込まれ」「消えていく」であろうその声を、一滴一滴丁寧にすくい上げようとする。ざらついて、かすれながらも聞こえてくる過去のかすかな音の方に、じっと耳をすませて聴こうとする。そんな姿勢こそ、本書の魅力を形作っているのです。

 村上春樹は、エルサレム賞授賞時の「壁と卵」というスピーチで、システムという強固な壁を前にしたとき壁にぶつかって簡単に砕けてしまう卵の方にこそ光を当てる、それが小説家の仕事であると述べています。脆い卵である私たち個々人の声は、時に「集合的な何か」によってあっさりと「消えて」しまいます。そんな儚い声に耳をすませ、鼓膜にとどくかすかな「揺れ」を手がかりに、消えるはずだった小さな声を聴き取ろうと「傾聴」する。紹介した3冊の本に共鳴している「傾聴」の姿勢、それこそが小さな声を私たちと出会わせ、未来へとつなげていくことができる新たな回路となるのではないでしょうか。

ページトップに戻る

じんぶん堂は、「人文書」の魅力を伝える
出版社と朝日新聞社の共同プロジェクトです。
「じんぶん堂」とは 加盟社一覧へ