ことばを「復元」する比較言語学のたのしみ 『沖縄語をさかのぼる』
記事:白水社
記事:白水社
9月18日が何の日かご存じだろうか。「しまくとぅばの日」だ。沖縄県がしまくとぅば、つまり県内の各地域で受け継がれてきたことばを普及、推進することを目的に条例として定めている。なぜこの日かというと、沖縄語の発音で9、10、8は「くとぅば」と語呂合わせで読めるからだ。
沖縄で話される「しまくとぅば」はひとつではない。いわゆる沖縄のことばと聞いてイメージされるのは、沖縄県の中心、那覇で話される沖縄語だろう。沖縄語のほかにも、沖縄本島の北部とその近辺の島々で話されている国頭語、宮古諸島で話されている宮古語、八重山諸島の八重山語、与那国島の与那国語がある。さらに県外に視野を広げると、鹿児島県の沖永良部島や与論島で話されていることばも国頭語に分類されるし、奄美大島や徳之島で話されている奄美語も近い関係にある。これらをまとめて琉球語と呼ぶ。それぞれが言語として異なる特徴をもっている。
もうひとつ、しまくとぅばで面白いのが、ひとつの言語のなかでも多様性があることだ。「しま」というのは、沖縄本島など地学的な島を指すのではない。沖縄では村や集落のことを「しま」という。
かつて沖縄には多くの「しま」があった。「いったー しまー まーやが?」【君の故郷はどこか?】という会話が日常でよく聞かれた。「しま」には独特のことばが話されており、それを「しまくとぅば」または、一般に「方言」という。「しま」が違えば「くとぅば」も違うといわれるほどの多様性があった。社会が大きく変化した今日では「しま」の統合や人口の流動を経て消えてしまった「しま」もあるが、「しまくとぅば」の多様性は今日でもみられ、非常に興味深い。
(『沖縄語をさかのぼる』P.63より)
具体例を挙げてみる。かつて琉球王府が置かれた首里は、現在は那覇市に区分されるが、もともと那覇といえば、那覇港を中心とする地域を指す。那覇地域と首里地域は10キロも離れていない。それでも「友達」という語を那覇地域では「るし」というのに対して、首里では「どぅし」というように、ちがいがある。沖縄語にも那覇方言、首里方言といった方言があり、しかもその分布が細かいのだ。
それぞれの琉球語、そしてその方言でどのくらいのちがいがあるのか。奄美大島から与那国島まで、「ありがとう」をどういうか比べてみよう。
奄美語 奄美大島 おぼこりょーた(「ありがたさま」「ありょーた」等とも)
喜界島 うーがんでーた
徳之島 おぼらだれん
国頭語 沖永良部 みへでぃろ
与論島 とーとぅがなし
沖縄語 今帰仁 かふーし(「にへーでーびる」とも)
伊江島 にふぇーでーびる
那覇 にふぇーれーびる
宮古語 来間島 たんでぃがーたんでぃ
多良間島 すでぃがぷー
八重山語 石垣島 にふぁいゆー
竹富島 みーはいゆー
与那国語 与那国島 ふがらさ
(『沖縄語をさかのぼる』P.64より)
かなりのバリエーションに驚くかもしれない。本書では、ほかにも例を挙げて方言のバリエーションを取り上げている。これだけ差があると大変だとも思うが、この多様性が琉球語の魅力だとも感じる。
上に挙げた「ありがとう」の例を見ると沖縄のことばはわたしたちがふだん使う日本語とはまったくちがうという印象をもつ。だから日本語と琉球語とはもともと同じルーツをもつといわれても、納得しづらいかもしれない。しかし、本書の1章にある「日本語と沖縄語の共通点」を読めば、共通点がかなりあることがわかる。発音、語や文の構造はほぼ同じ。語彙も共通するものが多い。
また、一見ちがっているようでも、実は日本語と同じ語源ということもある。沖縄の観光スポットの代表のひとつに美ら海水族館がある。「ちゅら」は「美しい」という意味であり、日本語古語でやはり「美しい」を意味する「きよら」を語源としている。日本語では使われなくなった古語を語源とする語が沖縄ではいまも使われている。これは沖縄語の特徴のひとつでもある。
もうひとつ注目したいのが、音のちがい、具体的には「き」kiと「ち」chiのちがいだ。沖縄語ではその歴史のなかで、iの前後の音に変化が起きた。もともと「下」shitaと発音したのが「しちゃ」shichaに、「釘」kugiだったものが「くじ」kujiになったという具合だ。これは発音するときの舌の位置に原因があり、硬口蓋化という現象だ。英語をはじめ、ほかの多くの言語で同じ現象がみられる。「おきなわ」okinawaが「うちなー」uchinaaとなるのも同じ理由だ。この硬口蓋化も沖縄語の特徴だ。
語源を現代の日本語だけでなく古語からも探ること、そして硬口蓋化など音の変化をたどることで、沖縄語と日本語が共通のルーツをもつことが見えてくる。そして沖縄語の変遷の過程がわかれば、似ていながらも異なる点があるということが納得できる。なんとなくちがうことばだと思っていた沖縄語が身近に思えてくる。
もとは同じ言語だったといっても、もちろんそれぞれの変化を遂げたのだからちがいはある。ちがいが特に現れるのは語の使い方や慣用表現においてかもしれない。例えば「来る」にあたる語の使い方は日本語と異なる。
友達と電話で話をしているとしよう。友達のところへ行くことになった場合、沖縄語では「なまからいったーんかいちゅーさ」【いま君のところへ行くよ】などという。それぞれの語の意味は「なまから」【いまから】、「いったー」【君の】、「んかい」【~へ】、「ちゅーさ」【来るよ】である。「ちゅーさ」は「ちゅーん」【来る】に「さ」【よ】を加えたかたちである。つまり、自分が相手のいる場所へ移動する場合、日本語では「行く」を使うが、沖縄語では「いちゅん」【行く】ではなく「ちゅーん」【来る】を使うのだ。この動詞の使い方はよく英語のcome と比較される。英語でも自分が相手のいる場所へ行く場合、I’m coming to your place.【君のところへ行く】などといい、go【行く】は使わずcome【来る】という動詞を使う。さらに、この独特な使い方は日本語を話す時にも影響を及ぼし、沖縄では日本語でも「いまからそっちへ来るよ」【いまからそっちへ行くよ】などという。
(『沖縄語をさかのぼる』P.97より)
いまはほとんどの世代で、地元のことばよりも日本語を母語とする人が大半だが、それでも沖縄のことばの発想が根っこにあるということだろうかと、とても面白い。
慣用表現をみてみると、「ハリセンボン」を意味する語が「おしゃべりな人」を意味するなど、なぜ? と思ってしまう。本州と沖縄との文化のちがいから来るのだろうか。例を眺めているだけでも面白い。
言語学には比較言語学と呼ばれる分野がある。現在の言語のさまざまなバリエーションを比較することで、あくまで理論的にということにはなるが、言語の古いかたちを復元するという分野だ。
本書のミソは、沖縄語はじめ、琉球語の豊富な方言を比較することで、それぞれの琉球語の古いかたち、祖語を復元する点だ。限られた数の語にはなるが、変化の理由や過程をひとつずつ検証していくのは謎解きのような面白さがある。沖縄に興味があるという人にとっても、また沖縄のことばを使っている人であっても、成り立ちを知ればさらに親近感がわくだろう。
いまの沖縄の人たちの自分たちのことばに対する関心は案外と高いらしい。著者の教える大学では、基本的な「うちなーぐち」(沖縄語)を学ぶ講座があり、定員の5,6倍の希望が毎年集まるそうだ。
沖縄に興味やゆかりのある方に本書を読んでいただければうれしい。
(白水社・西川恭兵)
[目次]
はじめに
琉球諸語の分布
1章 日本語と沖縄語
1 日本語と沖縄語のちがい
2 日本語と沖縄語の共通点
3 言語に「親族関係」があるのか
2章 琉球諸語の多様性
1 「しま」がちがえばことばも変わる
2 音のちがいと変化
3 語の意味や使い方のちがいと変化
3章 比較から琉球語をさかのぼる
1 祖語とは
2 琉球諸語の祖語を比べる
3 琉球祖語のすがた
おわりに
主な参考資料