――これまでYouTubeやテレビなどが主戦場だったと思いますが、書籍という形で発信した理由を教えてください。
これまでもいくつかの出版社から「本を出しませんか?」と言われることがありましたが、ワニブックスさんがはじめて、形にしてくれたんです。僕が気になっている世の中のことを、普段読書の習慣がない方でも気軽に読めるものにしようと。どこに需要があるのか分かりませんが、僕の写真をいっぱい入れて、文字も大きくして読みやすさを意識して作りました。
――社会問題に果敢に切り込む動画を作っているからなのか、Googleの予測検索で「せやろがいおじさん 嫌い」と出てきます。ファンとアンチ、両方がいることについてどう感じていますか?
自分の考えをはっきり言う人たちって、検索すると「●● 嫌い」って出てくることが多いし、僕のことを認識してくれているのだなと思っています。たとえば育児休業や待機児童とか、子育てに関することを取り上げた時は「よくぞ取り上げてくれた」と言われることが多かったけれど、政権の批判をした時は政権応援団の皆さんから批判的なコメントがたくさん集まる。動画のテーマ次第で予測変換ワードも変わるので、「この動画にはこういう反応が来るんだな」と、参考にしている部分もあります。
沖縄の米軍基地は、日本全体の問題
――奈良県出身で、大学進学を機に沖縄に住むようになったそうですが、移住前まで沖縄について、どんなイメージを持っていましたか?
小学校あがるかあがらんかぐらいのタイミングで一度行ったきりで、「きれいなとこやな」って思った記憶がぼんやりあった程度でした。沖縄の米軍基地問題に関心を持ち始めたのは、20代後半に差し掛かったぐらいからです。それまでもラジオや新聞の報道を耳にしたり、キャンパス内で抗議活動を目にしていたけれど、自分とは違う世界というか、自分との関係を見いだせなかった。でも知れば知るほど、米軍基地の問題は日本全体の問題として考える必要があると思うようになりました。
――米軍基地問題については、本土の人間が語ると「ヤマトの人間に、沖縄の何がわかるのか」という声があがることがあります。
僕もそういうことを考えていた時期はありますが、沖縄に米軍基地を押し付けている現状は、日本全体の問題なんです。だから沖縄の人だけではなく、沖縄の人じゃない人が言うのも大切だと思っていて。沖縄に住んでいる人、沖縄に住んでいる県外出身者、本土に住んでいる沖縄の人、本土の人がそれぞれの目線で語ることが大事かなと思っています。
「ウチナーじゃない者が沖縄を語るな」という批判は僕も受けたことがありますが、一見正論に見えるけれど、沖縄のことを考えさせないようにしているのではないかとも思うので、気にしないようにしています。
リスペクトで「謝ったら死ぬ病」感染予防
――政治と並んで、女性蔑視の風潮についても非当事者として切り込んでいます。女性の容姿を「ブス」とあげつらった過去を振り返って「僕も無自覚ミソジニストやった」と告白していますね。
ジェンダーギャップとかジェンダーバイアスによって生きづらさを感じているのは、女性だけではないと思うんですよ。男性も「男らしさ」という枠にはめられることによって、息苦しい思いをしていることはあるはず。
でも男性社会と呼ばれる日本においては、「女性はこんな苦しい思いをしています」というと、「いやいや、男性だってこんなに息苦しさを抱えていますよ」と、女性の声を小さくするために男性の辛さが使われることがあります。
男VS.女ではなく、ジェンダーギャップVS.息苦しい思いをしている人たちって構造を作らないといけないと思うんですよ。そのためには男性が、自分たちの無自覚の加害性みたいなものをまず自覚して、女性に対する搾取や加害に気づく必要がある。それを経て行動を改めるための議論を始めないと、と思っているので、まず僕が自身の加害性を認めつつ顧みる存在として機能したいなと。
――ダメな自分を認めるのは難しい。わかっていても、なかなかできないことだと思います。
僕の場合ラッキーだったのは、謝れる立場だったこと。お偉いさんになってしまうと、間違いを認めることで自分の地位が危うくなることがあるんやろなって思うことはあります。知識人は知識を否定されたら、存在意義がなくなってしまうというか。でも僕はお笑い芸人なので、「すいません」と言いやすかった。
それでも自分の間違いや過去に目を向けることは、ストレスがかかる作業でした。ただ僕はオンラインサロンをしているのですが、サロンメンバーからの指摘に対して「そうだな、この言い方は違うよな」と認めると、「ナイスアップデートできました!」とリスペクトが生まれる場になっています。だから自分の過去を認めて、意識をアップデートしていけたのかもしれません。
世間一般には、間違った人をバッシングする傾向があると思いますが、間違いを認めて改めますと言った人を「ナイスアップデート!」とリスペクトすることができれば、「謝ったら死ぬ病」の感染拡大防止策になるんじゃないかと思います。
監視カメラは、自分に向けよう
――動画も本も、強い言葉を使っているようで断定はしないし、「これは違うのではないか」と思ったら、一度止めて言い直したりしていますね。
どこまでいっても僕は自分に対して自信を持てなくて、大きい声で言っているように聞こえるけれど、語尾はいつも「なになにちゃうやろか」「どない思う?」なんです。いろいろ批判もしますが、最終的なベクトルは視聴者に向けることを意識していて。たとえば差別問題を取り上げたら、「その差別意識は自分の中にもあるんじゃないか?」っていうボールを投げるようにしています。
僕も議論が白熱して感情的になったことがあるし、今もそうならない自信はないので、気をつけながら「ちゃんとやれよ」って自分に向かって言ってる気がします。「どうせお前またきつい言葉を使って夕方ぐらいに反省して、夜は眠れなくなってミルクあっためて飲むんやろ」って(笑)。考えて行動して嫌われたら「しゃあないな」って思えるけれど、自分のマズい点に気づいた時の方が落ち込むじゃないですか。だから最低限、自分には責められないようにしようって意識しています。
――日本では「政治と宗教の話はタブー」と昔から言われているように、仲のいい友達同士でも、政治の話がなかなかできないことがありますよね。それがきっかけで疎遠になったりするので、話し方に悩みます。
自分の方がいろいろ学んできて知識があったとしても、相手には相手が触れてきた情報やその人の世界があるので、正論でその世界を壊しにかかると、その人の気持ちが置き去りになることがあります。でも「こういうこともあるしね」とか「おれはこうやと思うけど、どう思う?」と問いかけることで、キャッチボールが出来ると思います。
でも、はなから攻撃しようとしている人とはあまり話をしないかもしれません。僕も偉そうに言ってますが、どこまでできますかって言われると自信はない(笑)。
――セクシャル・マイノリティなど、当事者や支援者が声をあげたことで、世の意識が前変わりつつある問題もありますが、外国人への差別など、膠着している問題もあります。
外国人への差別問題については、シンプルに知らない人が多いんじゃないかと思います。たとえば外国人技能実習生が「労働力は欲しいけど日本に受け入れたくない」という状況の中で労働を搾取されていたり、入管施設の対応が人権的に問題があったりすることを知ったら、誰もが「これはあかんやろ」と思うと思うので、今は認知の段階ではないかと思うんです。
誰もが「差別はあかん」ってわかっていても、差別意識は気づかないうちに自分の中に入り込んでいて、知らず知らずのうちに言動に現れることがあるので、「私は差別なんかしていません」と思うのではなく、「私も差別しているのかも」と、自分に監視カメラを向けようぜって言っていく必要があるんじゃないかな。
「おじさん」って芸名、どないしよ…
――1987年生まれなんですね。私より若いのに「おじさん」って呼んでごめんなさい(笑)。
今となっては認知度が高まってしまったので難しいんですが、「おじさん」って言葉自体がジェンダーを感じさせるものなので、「せやろがいおじさん」ってネーミングもあんまりよくないよな、どうしようかなって思ってるところなんです。
――じゃあ、「せやろがい」だけにするとか?
「せやろがい」も圧の強い言葉なので、「じゃないですかさん」とか(笑)。いろいろと問題のある芸名ですけど、認知していただいてるので、すいませんと思いながらやらせていただいてる感じです(苦笑)。