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来たるべき戦争を防ぐために。クルト・ドゥブーフ『トライバル化する世界』を読む

記事:明石書店

『トライバル化する世界――集合的トラウマがもたらす戦争の危機』(明石書店)
『トライバル化する世界――集合的トラウマがもたらす戦争の危機』(明石書店)

世界史の中で現在を考える

 日々の忙しさのなかにあっても、ふとした瞬間に何かのニュースが意識に飛び込み、しばし考え込んでしまうことがないだろうか。アナウンサーが感情を殺して伝えるどこか遠い世界のニュース。空爆があり、自爆テロがあり、子どもたちが殺されていく。なぜ自分ではなかったのか。意識は自らのパーソナルヒストリーをたどりはじめる。他者には贈られず、自分には与えられた現在の平和。奇跡のような偶然としての自己の存在。こうした感覚の訪れは、自己と世界の関係について思考する絶好の機会となる。そのようなとき、本書を手に取ってみてほしい。

 著者のクルト・ドゥブーフは、ベルギー元首相(ヒー・フェルホフシュタット)の秘書として政治に携わり、EUの欧州議会の調査員として「アラブの春」の中東に飛び、その後、EUの動向をメインに報道するオンライン・ニュース・サイト(EUobserver.com)の編集長として多忙な日々を送りつつ、最近ではヨーロッパ中世の哲学に関わる博士号を取得している。そうしたマルチな顔をもつ著者が、自らの存在の来し方を世界史の大きなうねりの中に位置づけようと試みたのが、本書である。

著者のファミリーヒストリーにナチの影

 彼の原点には、ナチが存在する。彼の大叔父は、キリスト教共同体のためにソビエト赤軍と戦うべく、ナチに飛び込んだ若者であった。また彼の曾祖父は、(ベルギーの)フラマン独立のためにナチに心酔した若者であった。ドゥブーフはその曾祖父の影響を受け、いっときはフラマン・ナショナリストを志していたという。

「わたしの大叔父ジャルマンは外国人戦闘員だった。所属はフラマン部隊、志願兵としてベルギー北部でヒトラーの軍に参加した。ソビエト連邦と戦うためだ。彼は両親の反対を押し切って、1943年にはナチの軍にも加わる。彼には信念があった。真の戦闘はローマとモスクワの間で、つまりキリスト教のヨーロッパとコミュニスト無神論者のロシアとの間で、戦われるべきであった。わたしたちが慣れ親しんだ言い方に直すと、彼は「キリスト教のムジャヒディン」であり、その戦いは「カトリックのジハード」であった。」(本書28頁)

「フラマンの独立のために、フランス語話者が支配した国ベルギーと縁を切り、フラマンの独立を達成すること、これが彼(曾祖父)の人生の目標であった。わたしにとって曽祖父はヒーローだった。」(46頁)

 若きドゥブーフは、ヒーローであった曽祖父の書庫に、ヒトラーの『わが闘争』をみつける。他の本の間に隠されるように所蔵されていたという。この書物を紐解いた彼は、フラマン・ナショナリストへの目覚めから急速に醒めていく。そして曽祖父がナチの制服を着てヒトラーに敬礼する写真を見つけてしまう。なぜ大叔父が、なぜ曾祖父が、ナチに賭けたのか。ドゥブーフの世界史への思考の原点が、この問いであった。やがて、エジプトにおいて「アラブの春」の目撃者となり、シリア紛争の現場に入り込んでいったドゥブーフにとって、そこにみられるトライブ間の果てしなき争いは、大叔父や曾祖父たちのヨーロッパそのものであった。シリアで彼がみた現実は、薬品はもとより食糧も尽き、空爆に晒された人びとであるが、彼の報告に対するEU当局者の反応に、彼は絶望する。われわれの支援は現地に確実に届いていると、彼らは繰り返すのみであったという。彼のEUへの厳しい批判には、とても重たいものが感じられる。

世界史はグローバル化と反グローバル化の行きつ戻りつ

 本書において、彼は世界史の流れを、グローバル化と反グローバル化の行きつ戻りつとして大きくとらえ、戦争がやってくるその足音に耳を傾けようとする。彼によると、戦争をもたらすのは人と人のつながりを断ってしまう反グローバル化の動きであり、その核にあるのが、本書のいうトライバル化である。それは〈部族〉のように強くまとまり、他者への不安と恐怖に打ち勝ち、安全と安心を確保していく人びとの営みであり、これが過剰に強められると、たとえば過激なナショナリズムによる極右集団となり、原理主義が暴力に転じた宗教集団となり、あるいは、広大な帝国が外部を敵とし内部でまとまり、交流を絶ってしまう動きとなる。学術的に詳細な定義が施されているわけではなく、印象論的な捉え方にすぎないとはいえる。しかし、彼はそこに、外的衝撃による集合的トラウマの痕跡を探ろうとする。ここに本書の特色がある。〈外〉を敵とし〈内〉で固まろうとする人間集団のうごめきに対して、一人ひとりのメンタル面の傷と、その集積としての社会心理的なメカニズムを討究していくことの必要性が、本書で提案される。

 ドゥブーフは、人類の歴史の歩みが本来的にはグローバル化そのものであったという、とてもシンプルな事実に読者の注意を引く。たしかに、グローバル化は歴史の歩みそのものであった。本書で指摘されているように、考古学者は紀元前1000年まで遡るシルクの端切れをエジプトで発見する。シルクロードよりはるか昔のできごとである。貿易ルートは太古より巨大であった。やがてシルクロードがさらに広大な領域で、ヒト・モノ・アイデアの交流を実現していく。「文明はグローバル化の一部となるとき栄え、グローバル化から切り離されるとつまずきはじめる」(78頁)のであり、「グローバル化が縮小すると、必ず政治危機が発生する」(79頁)。その最たる例が1930年代にみられるグローバル化の途絶であり、ドゥブーフの大叔父や曾祖父がナチに賭けた時代であった。グローバル化を反転させるこうした動きは、歴史の中に絶えず現れている。彼はその動きを、トライバル化という視点から読み解こうとするのである。

良きグローバル化を語る理念を求めて

 ドゥブーフによると、グローバル化の縮小に先立って、つまり経済の問題が発生するまえに、多くの人びとをアイデンティティの危機に追い落とす事態が生じており、その恐怖や不安が社会心理的に増幅され、集合的トラウマが発生しているのではないかという。そうなると、グローバル化を堰き止める理念が求められていく。かつてのファシズム、ナチズム、コミュニズムがそれであった。ドゥブーフは、いまこそ、人びとをつなぐ良きグローバル化の魅力を訴える理念の言葉が要請されているという。格差を生み出すマーケットの地球大の拡大を意味するネオリベ的グローバル化だけが、人びとの意識を引いてしまっている現在、伝染するトライバル化のうごめきを止めるためにも、良きグローバル化の理念を語る言葉が、求められているのである。本書にそのヒントを、探ってみてほしい。

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