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「見せかけ」の世界でどう生きる? 紀伊國屋書店員さんおすすめの本 

記事:じんぶん堂企画室

2021年3月の「ジェンダー・ギャップ指数2021」(世界経済フォーラム)で、日本は156ヵ国中120位
2021年3月の「ジェンダー・ギャップ指数2021」(世界経済フォーラム)で、日本は156ヵ国中120位

 今年3月に世界経済フォーラムが発表した「ジェンダー・ギャップ指数2021」において、日本は156ヵ国中120位で最低レベルと位置づけられた。この事実にもはや違和感すら覚えなくなってしまうような現状に、何から着手すればよいのだろう、と分からなくなっている方に、まずは次の本をおすすめしたい。

男性のために構築された世界という事実

 キャロライン・クリアド=ペレス『存在しない女たち 男性優位の世界にひそむ見せかけのファクトを暴く』(神崎朗子訳、河出書房新社)は、女性が日々直面している不都合な事実を暴露する。ただしその事実は、普段我々の目には見えていない。ここでの「目に見えない」(invisible)というのは2つの意味があり、1つめは(主に女性にとっては)誰かの意図により隠されていること。もう1つは、(主に男性にとっては)無意識のうちに見ないふりをしていることだ。

 本書で様々な事例をもって主張されているように、社会政策、医療、道具など日常の隅から隅まで、この世界は女性の存在を無視して構築されているといっても過言ではない。世界人口のおよそ半分を占めるにも関わらず、だ。

 例えば、ピアノの鍵盤は白人男性の手の大きさを基準に作られているし、自動車の運転席も同様に男性を標準ユーザーとして設計されている。結果、男性よりも女性のほうが自動車事故の重傷リスクは高く、直ちに対策が必要である。薬に関しても、男性の体を「基準」とした考えがいまだにはびこっていて性差やジェンダーに基づく医療が「最小限」で重大な情報不足があるために、女性は十分な効果が期待できない可能性があるという。また、家事・育児・介護などをめぐる無償ケア労働では男女で圧倒的な格差があるが、社会制度や労働時間は男女で同じルールが適用されていたり、見せかけのジェンダーニュートラルがまかり通っていたりする現実がある。

 なぜ女性がこのような「目に見えない」存在とされているのか。その経緯について本書は主たる考察の対象とはしていないが、いくつかヒントを提示している。女性の身体の複雑さに起因する標準化の難しさ(という思い込み)、あるいは、そうした困難がもたらす経済的非効率性(という思い込み)など。実際には女性へのスポーツ助成金の増額により、投資した金額を上回るメリットが健康意識の増大=医療費の削減という形で現れたというデータもある。そもそも、こうした女性に関するデータの圧倒的な不足という問題も本書が鋭く指摘する点である。まずはデータをとり、それが突きつけるジェンダー・ギャップに関する事実に向き合うことを、社会としても、個人としても、いい加減始めなければいけない。

見せかけの「能力」主義

 ジェンダーだけでなく、人種、宗教も含めたマイノリティの機会平等を目指す取り組みの1つに、アファーマティブアクション(「積極的是正措置」などと訳される)がある。歴史的経緯などにより進学や就職において不遇な立場にある集団に対し、特別な採用(合格)枠や点数の割り増しを行うことで、多様性の実現を促す狙いがある。

 しかしこの取り組みについて、過去から現在に至るまで根強い反対意見もある。代表的なものは、能力主義の立場からなされるものである。マイケル・サンデル『実力も運のうち 能力主義は正義か?』(鬼澤忍訳、早川書房)では、この行き過ぎた能力主義に警鐘を鳴らす。

 能力主義といえば、年功序列制度に対するものとして、社歴や年齢に関わらず、業務の成果や会社への貢献度に応じて「平等に」評価する制度を思い浮かべる人が多いかもしれない。ここではもっと広く、自らの能力を発揮した功績(merit)に応じて、その人が何に値するのかを決めるべきとする立場を、能力主義と呼ぶ。だが、その各人の能力や功績は、出自や家庭環境、あるいは運といった要素と不可分なものであり、功績だけで正しい評価することはできない、というのがサンデルの主張である。

 「アメリカンドリーム」という言葉が象徴するように、誰にでも成功のチャンスが開けているイメージを持つアメリカだが、社会的流動性(下位層が上位層にのしあがったり、逆に上位層が下位層に落ちぶれたりする)はかなり低いという。アイビーリーグで知られる名門私立大学の場合、卒業生の子息の方がそうでない場合に比べて入学できる可能性は圧倒的に高く、加えて人種や宗教による差別(入学制限)が平然と行われていた歴史もある。

 能力主義への反論は、政治理論の文脈では平等主義的リベラリズムという立場からも表明されており、その中でも「運の平等主義」は、運(個人の努力や選択ではどうしようもない要素)を考慮させ、そして可能な限り運による不公平を取り除くことを重視する。サンデルにいわせれば、それでも不十分である。運の要素を取り除いた「機会の平等」は、むしろ「機会が平等に与えられたにも関わらず能力が低いために負けた」というように、勝者のおごりと敗者の屈辱を強化することで能力主義を先鋭化させ、民主主義のベースとなる市民的紐帯の足かせとなるからだ。代案として、教育水準や収入が異なる市民どうしが、社会への貢献が評価されリスペクトされる「条件の平等」を提示しているが、なにをもって社会への貢献とするかは議論の余地があるだろう。

見せかけの魔力

 サンデルは、トランプ大統領の誕生も、英国のEU離脱も、能力主義的エリートにうんざりした人々による、不合理な選択・行動の結果と論じるが、私達は日常的に不合理な選択・行動を行うらしい。ダン・アリエリー『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』(熊谷淳子訳、早川書房)は、そうした人間の不合理な行動に注目し、様々な実証実験によって、伝統的な経済学が想定する「合理的経済人(ホモ・エコノミクス)」では説明できない経済現象を解き明かそうとする。

 例えば、1個50円の高級チョコレートと1個3円の小粒チョコレートについて、高級チョコレートを半額の25円、小粒チョコレートを1円に値下げした場合、多くの人は高級チョコレートの方を「お得」と合理的に判断し購入する。しかし、さらに高級チョコレートを24円、小粒チョコレートは無料にした場合、事実としてはそれぞれ1円値下げされただけにも関わらず、今度は小粒チョコレートが多く選ばれる。「無料」という言葉に魅了され、不合理な行動をしてしまった経験は誰にでもあるだろう(そして時々、「タダより高いものはない」という教訓を思い出す)。

 他にも、同じプラセボ(偽薬=効用のない臨床試験用の薬)でも値段が高いほど効果が高い(なぜ?)という実験や、バルサミコ酢が入っていると知った途端ビールが不味く感じてしまう(なぜ?)実験など、我々の不合理性に関する事例が豊富かつどれもユニークに紹介されていて、とにかく面白い。いともたやすく「見せかけ」に騙されてしまう被験者の姿に、決して他人事ではないのだが愛着さえ感じてしまう。

 とはいえ、「見せかけ」はしばしば不合理な判断を導くし、実情にそぐわないジェンダーニュートラルや能力主義においては、「正義」の仮面をかぶり問題を引き起こす。世界にあふれる「見せかけ」に抗することは難しいのかもしれないが、唯一つの対抗する手段があるとすれば、それは素直に事実に向き合うことであろう。

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